
鈴木信行は議員になったことで徐々に過激な行動を抑えるようになっていった。通常の保守政治家のように議員活動をこなすようになり、こうした活動に明け暮れ4年間で鈴木信行は過激な強硬右派政治家というイメージが払拭されて、「普通の保守議員」と見られるようになったが…(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
鈴木信行氏が葛飾区議会選挙で敗北した3つの要因とは?
2021年12月5日、日本国民党の総会が行われた。鈴木信行代表(以下敬称略)は一ヶ月前の葛飾区議会選挙で落選するという結果になっており、今回のこの総会については暗い雰囲気になるのではないかと思われたのだが、意に反してそうならなかった。
暗い雰囲気どころか、むしろ開放感すらも漂うすがすがしい雰囲気すらもあったのである。これは興味深い現象だった。
敗因の冷静な分析と、そこから生まれた新たな方向性がすぐに党内に周知されていて、日本国民党を支える幹部や党員の動揺や離脱がまったくなく、離脱どころかむしろ結束がより強化されるという動きが起きていたのだ。
まずは、葛飾区議会選挙での敗戦はどのようなメカニズムで起きていたのか。今回の総会の中で、鈴木信行は敗因となった3つの要因を簡潔に述べている。
『敗因は地元対策の不徹底と、本来の右派政治勢力としての立ち位置を見失い、保守系候補として埋没してしまった結果と分析している』
1つの敗因である「地元対策の不徹底」とは何だったのか。日本国民党をウォッチしている私から見ると、鈴木信行が非常に精力的に朝の辻立ちを行っているのを知っているのだが、それでも鈴木信行がこのように言うのは理由がある。
実は葛飾区のある対立候補は、支持者を地道に掘り起こし支持者の近所で辻立ちを精力的にこなすという鈴木信行の上をいく活動を行っていたのである。「敵ながらあっぱれだった」と鈴木信行は述べている。このことが「地元対策の不徹底」という反省となっている。
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本来の右派政治勢力としての立ち位置を見失って負けた
鈴木信行の2つめの敗因は、「本来の右派政治勢力としての立ち位置を見失ったこと」であると自身で述べている。
鈴木信行は強硬右派の議員であった。そのルーツは右翼にある。一水会に参加することで鈴木信行の活動は始まっているのだが、この一水会というのは三島由紀夫が創設した楯の会から派生した団体である。
この一水会は勉強会を中心として運営されていたのだが、当時ストリートを我が物顔で占拠して抗議デモや抗議活動を繰り広げる左翼の組織と対抗するために創設されたのが統一戦線義勇軍という当時の右派グループの連合体であった。
この統一戦線義勇軍のスタイルは従来の軍歌を流しながら黒塗りの街宣車を走らせる「右翼」とは違っていて、左翼が行っていた「ヘルメットをかぶって徒歩デモ行進する」という手法を取り入れたものであった。
今までの右翼とはまったく違っているので、統一戦線義勇軍はそれまでの右翼とは区別される意味で「新右翼」と呼ばれるようになっていた。
鈴木信行はここで長らく活動し、そこから1980年代に登場した右翼最強の論客である野村秋介氏とも密接に関わるようになり、「風の会」の選挙スタッフとしても動いている。
鈴木信行は一貫してストリートで闘争《バトル》を繰り広げてきた実戦派だったのである。
野村秋介の自決以後、鈴木信行は維新政党・新風に所属して活動していくことになるのだが、2000年以後は力を失っていく「新右翼」とは別に台頭するようになった「行動保守運動」と密接に関わるようになっていき、強硬右派としての鈴木信行の象徴ともなる2012年の事件につながっていく。
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鈴木信行の象徴ともなる2012年の「竹島の碑」事件
2012年に起きた事件、それは一連の「竹島の碑」事件と、ソウル慰安婦像の「竹島の碑」縛りつけ事件である。
2011年12月14日、ソウルでは日本大使館前に慰安婦像が違法設置された。これを撤去できない韓国政府と弱腰でしか対応できない日本政府に対して日本人は憤ったのだが、誰も何もできない中で立ち上がったのが鈴木信行と今の日本国民党を構成する幹部たちである。
韓国が大使館前に慰安婦像を違法設置して撤去しないというのであれば、右派として徹底的に対抗してやると考え、鈴木信行たちは日本国内の韓国大使館やそれに類する施設の前に次々と「竹島は日本固有の領土」と明記された杭を立てていったのだった。
韓国では日本大使館前に設置した慰安婦像に日本が対抗してきたとして連日大騒ぎになっていた。
しかし、鈴木信行たちはそれだけで終わらせなかった。韓国が慰安婦像を違法設置したまま撤去しないのであれば、その反日の象徴に「竹島の碑」の杭を縛りつけてやるとして、逮捕覚悟でソウルに乗り込んでいったのである。
2012年6月19日、鈴木信行は慰安婦像に竹島の碑に縛りつけてそれを生放送でインターネットに配信した。
反日の象徴である慰安婦像に「竹島は日本固有の領土」という杭が縛りつけられたのだから、韓国からしてみたら「慰安婦像というご本尊を汚されて、さらに自分たちが領有権を主張している竹島(独島)をも否定された」わけで二重の意味で屈辱を味わったことになる。
この事件で鈴木信行は一瞬にして韓国から「日本で最も憎むべき敵」となり、日本国内でも全反日勢力を敵に回す「日本で最も危険な極右」となったのであった。
以後、鈴木信行は韓国から韓国から指名手配される身となる。
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「牙を剥き出しにした猛犬」が「普通の保守議員」に
そんな鈴木信行が2017年に葛飾区議会議員選挙に無所属で出馬したのだが、このときのスローガンが「外国人生活保護に1200億円っておかしくない?」というものだった。
このスローガンは一瞬にして左翼・リベラル勢力から「外国人差別だ」「排外主義だ」と袋叩きとなって選挙は妨害の嵐と化した。演説する鈴木信行と、妨害する勢力との激しく暴力的な攻防は社会問題として新聞沙汰になったほどだった。
鈴木信行の落選運動も路上とネットの両方で行われた。このような人間が立候補して勝てるとは誰も思っていなかったはずだ。あまりにも型破り過ぎたのである。
「あの男は右翼だ」と名指しされただけでも落選決定なのに、韓国から指名手配される身で、さらに「外国人差別だ」「排外主義だ」と誹謗中傷が渦巻くのだから、鈴木信行が勝つなど誰も思っていなかった。
ところが、鈴木信行は当選したのである。
このときの鈴木信行は左翼・リベラル勢力からすると「超危険人物」としてマークされていて誹謗中傷罵倒の中心地にいた。左翼勢力から見ると牙を剥き出しにした猛犬が当選したようなものだったのだ。
しかし、逆に「牙を剥き出しにした猛犬」としての鈴木信行を評価する人間が大勢いた。他の議員が怖がって触れないような部分を鈴木信行に担ってもらいたいと思う選挙区民が鈴木信行を支持した。それが2017年の選挙の勝利だった。
ところが、である。
議員になったことを契機にして、鈴木信行から過激な行動が次第に消えていくようになった。右派政治家としての街宣活動は確かに行っていた。しかし地元での議員活動を疎かにすることができなかったので、ストリートよりも議会の活動が中心になっていったのだ。
ある意味、真面目に議員活動をしているということであり、それは評価されるべきことでもある。しかし、こうした議員としての活動に明け暮れる中で、鈴木信行の過激な強硬右派政治家というイメージは払底した。一部では「普通の保守議員」と見られるようになった。
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鈴木信行を縛っていた鎖はすでに外れている
当選してから鈴木信行はかつての「危険な極右の猛犬」から「普通の保守議員」に見られるようになっていった。しかも、鈴木信行は豊富な人脈から保守系の自民党議員の選挙応援もするようになっていた。
これを見て、多くの支持者は「鈴木信行はもう保守議員になったんだ」「いずれ自民党に入ってしまうんだ」と思うようになった。
すなわち、鈴木信行は「牙を失った保守議員」として見られるようになって、かつて持っていたはずの強硬右派支持の基盤を相当数失ってしまうことになった。
通常であれば、それでも選挙で勝てたかもしれない。ところが、今回の葛飾区議会選挙は40議席を巡って約60名が乱立する選挙区となっていた。乱立する選挙では埋没した候補者が苦しい闘いとなる。
しかし、この中で鈴木信行は「ただの保守議員」として埋没して、強硬右派を支持する基盤も離れて票が足りなくなっていた。これが敗因となった3つめの理由であると鈴木信行は述べている。
『敗因は地元対策の不徹底と、本来の右派政治勢力としての立ち位置を見失い、保守系候補として埋没してしまった結果と分析している』
今回の総会では、こうした敗因が鈴木信行の口から述べられた。こうした状況であったというのは、選挙を戦っている時点では見えてこない。終わってみて蓋を開けて、はじめて分かることである。
この敗因の中で鈴木信行は、原点回帰をすると宣言した。
すなわち、これまで抑えてきた本来の姿を今後はより鮮明に打ち出すと明確に宣言した。この方針は、すでにこの総会の前に行われた日本国民党の定例会でも確認されており、誰もがそれを望んでいることが確認されたのだ。
今後、鈴木信行は本来の姿、左翼・リベラル・反日勢力に容赦なく吠えていく「猛犬」に戻っていくことになる。鈴木信行を縛っていた鎖はすでに外れている。日本国民党が次に社会を激震《ロック》させるのはいつになるのだろうか。
