日本が平和主義ではやっていけないのであれば、今後は一気に思想の転換が起こる

日本が平和主義ではやっていけないのであれば、今後は一気に思想の転換が起こる

戦後の日本は、憎悪されたら謝罪し、主張されたら検討し、恫喝には右往左往するだけでやってきた。しかし戦後の平和思想で展望が望めなくなってしまった今「思想の転換」が起きる可能性がある。考え方をガラリと変えてしまうことが日本人にはできる。その日を私は望んでいる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のプレスコード

夏になると、日本は「過ちを繰り返しません」というマスコミの刷り込みような言葉と共に、原爆で灰燼に化した広島や、東京大空襲や、敗戦が語られるようになる。

人々は「平和」を意識するようになり、「もう何があっても戦争はいけないのだ」と考える。

しかし、日本だけが武力を捨てて「平和、平和」と叫んでも、日本を侵略したい国があって日本に戦争を仕掛けてきたらどうするのか。

そして、「平和のために武力を放棄せよ」という建前は、ゆくゆくは日本に侵略するための周辺国の工作活動であったとしたら、どうするのか。

中国・韓国・北朝鮮は、そうした工作活動を延々と日本に仕掛けてきているではないか。「平和のために武力を放棄します」と日本人に言わせ、実行させるのが彼らの工作なのである。

そもそも、日本が「平和」という言葉で対立も衝突もできない民族にされたのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のプレスコードから始まっているのだと意識している日本人はほとんどいない。(ウィキペディア – プレスコード

平和という言葉で戦争できない民族されたことは隠されている。

日本人が気がついていない日本人の特性は何か。これは日本人が世界でも稀に見る「武装民族」「暴力肯定の歴史」であったことだ。諸外国はそれを知っている。

だから、欧米も、アジア諸国も、日本人の「野生」が目覚めるのを極端に恐れており、ありとあらゆる洗脳で「暴力反対」「日本人は優しい」という思想を日本人自身に埋め込もうとしてきた。

しかし、「日本人は優しい民族」というのは、歴史をまったく無視した概念だ。

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礼儀とは、殺されないための「真剣勝負」である

日本人は「戦国時代」「サムライ」「軍国」の時代を数百年生きてきており、世界でも有数の「武装民族」だった。現代の日本人は、武装民族の末裔だ。

サムライとは武士のことで、武士とは武装する民のことだ。日本人が武装すると恐ろしいことになるのは世界中の人々が知っており、だから戦後の日本は、牙を抜かれ、目覚めないように「されてきた」のである。

「暴力的だなんて、そんなことはない。日本人は世界一礼儀正しいし、簡単に悪態をつくこともない」という人もいる。不思議なのは、なぜ日本人がそうなったのかを誰も考えないことだ。

誰もが腰に長刀を差して歩き、相手を怒らせれば命に関わる時代が何百年も続けば、無用な闘争を避けるために「礼儀」が発達するのは当然だ。礼儀正しいというのは、殺されないため、生き残るための「真剣勝負」だったのである。

これは圧倒的な攻撃能力が日常にあったからこそ生まれてきている文化だ。皮肉かも知れないが、「刀」が礼儀正しさを生んだのだ。

それに気がつかないというのが、歴史を知らないということだ。日本人が歴史をまともに教えてもらえなくなったのは、下手に教えて、またもや日本人が圧倒的な攻撃能力を持つと困るからなのだろう。

欧米の植民地主義からアジアを開放したのは日本軍だった。近代の歴史を転換させたのは日本人だった。欧米は武力と組織力に勝る日本人に激しい怨嗟を抱いて、それが日本の徹底破壊に結びついていくことになる。

日本は人類史上でも類を見ない最凶の兵器「原爆」を2つも落とされ、東京も連日の大空襲で焼け野原にされ、戦争に負けた。

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平和・優しさ・ゆとりを洗脳するかのように刷り込んだ

その後、日本にはアメリカから平和憲法を強制され、1945年の敗戦後からは「戦争はいけない」「もう殺し合いはごめんだ」「平和が重要だ」という考え方になるように洗脳され続けた。

結果論で言えば、このときに日本人の「攻撃能力」が封印された。徹底的に焦土にされた国土、無条件降伏、そして2発の原発の悲惨さに言葉を失った日本人は、自らも「攻撃能力」を封印することにした。

平和憲法に疑問を持つことは許されず、1960年代後半はアメリカのベトナム戦争反対の運動が日本まで上陸して、「戦争を知らない若者たち」が「戦争反対」を叫んだ。

結果的にはこのアメリカのヒッピー真似運動は、やがてセクト主義、内ゲバ、左翼テロ化によって挫折していく。

しかし、この左翼的な空気を存分に吸った1960年代の若者たちが社会を担うようになって、その社会を覆うリベラルな空気が日本の思想となった。1970年代以降の動きは常にそうだった。

戦争よりも平和、憎しみよりも和解、暴力よりも対話、プライドよりも金、強制よりも自由……、そういった優しいものが日本を覆っていったと言っていい。

団塊の世代は、その家庭においても子供たちに「平和」「優しさ」「ゆとり」を、まるで洗脳するかのように刷り込んだので、今の日本の子供たちは牙を抜かれてとても優しい。

もはや、戦後を境にして、日本人の性質は完全に変わってしまっていた。それは、かつて「刀」を腰に差して歩いていた戦闘的な性質とはまったく真逆のものである。

この平和主義は、経済成長が続いたことで一層強化された。「嫌なことがあっても、黙っていれば平和でやり過ごせる」という考え方が染みついた。これが事なかれ主義を増長させていった。

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これから日本人は再び考え方を変えることになる

そして、1980年代。日本はバブル経済に突入し1989年に崩壊、1990年代は停滞の時代になった。

2000年に入ると、戦後生まれの団塊の世代(1947年から1949年生まれ)がそろそろ老いていくのと重なって日本を形成してきた戦後のシステムが金属疲労のような姿を見せるようになった。

高齢化社会、少子化、デフレは国の衰退を加速させていく。これに弱腰の政治家たちと、中国・韓国・北朝鮮の反日工作が重なった。日本は沈没していくばかりの国と化した。

もう今までのやり方や考え方では駄目だと誰もが気がついている。「人類みな兄弟」ではない別の考え方が必要になりつつあると感じているのである。「人類みな兄弟」など言っていると侵略されて終わりになってしまう。

だから近い将来、1945年に起きたような「劇的な思想転換」がまた日本人に起こり得るかもしれない。

カタストロフィー理論というものがある。これは、社会学の一部で知られているものなのだが、今まで連続して続いてきた現象が、ある日突如として不連続なものへと転換する現象を指す。

1945年の日本人は敗戦を通じて思想のカタストロフィー(崩壊)を起こして、1945年8月16日からは、まるで別の人種のように転換を計った。それは一気に行われたのだ。

日本人は、劇的な思想転換を何度もしている民族だ。たとえば、それまでは「鎖国史上主義」だったのに、ペリーの黒船来航から倒幕に至る流れの中で「開国史上主義」へと転換した。

それまで「士農工商」の身分制度は当然だと言っていたのに、突如として「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず」と福沢諭吉が言い出して、一気に思想転換をしたのは日本の歴史の一コマである。

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尖閣諸島だけでなく、沖縄も、北海道も着々と侵略

日本人は何度も考え方を劇的に、一気に変えてきた。だから、もはや戦後の平和思想で国の発展が望めなくなってしまった今、またもや日本人に「思想の急転換」が起きる可能性はある。

いくら日本が「それぞれの国と仲良くしたい」と思ったとしても、中国・韓国・北朝鮮のようなアンフェアな国が傍若無人な振る舞いをするようになると、自ずと関係は不安定になっていく。

つまり、対立と衝突の時代に入っていく。経済の時代から武力衝突の時代へと転換していくのであれば、もはや日本だけが「平和だ、協調だ」と言っても何の意味もない。

中国が知的財産の侵害や、それぞれの国家の政治家の買収やハニートラップ等々の非合法な手段で台頭して、いまや人類の敵になってしまったのは誰の目にも明らかである。

中国はチベットやウイグルを徹底弾圧して民族を抹殺しようとしているのだが、同時に香港をも押さえつけて一国二制度を破壊し、今後は台湾を狙い、日本をも狙っている。

尖閣諸島だけでなく、沖縄も、北海道も着々と侵略されている。領土を取られても「みな兄弟」などと言っているのは単なる馬鹿だが、もちろん日本人は馬鹿ではない(一部の政治家をのぞく)。

平和を唱えていても駄目だと日本人が悟ったとき、一転して思想的な転換を起こして別のものに転換する、すなわち「武力肯定に転換する」舞台が揃ってきたのではないだろうか。

暴力への目覚めが起きる頃ではないか……。

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国民も政治家も国家も、対立と衝突に慣れる必要がある

戦後の日本は、憎悪されたら謝罪し、主張されたら検討し、恫喝には右往左往するだけでやってきた。今もほとんどの政治家はそうだ。まるで中国・韓国・北朝鮮の代理人なのか、と思うような政治家までいる。

しかし、日本人自身がそれに苛立っており、こうした状況を転換させなければならないと考えるようになってきている。

日本人は「この考え方ではやっていけない」と確信した時、一気に違う考え方に転換することが可能な民族なのだ。

今まさに、他国に侵略されないため、領土を奪われないため、またもや新しい考え方が必要になってきている。

今までの「押しつけられた平和主義」から目を覚まし、今後は日本の国益のために国家間対立や衝突が起きても戦えるような姿勢が必要になる。国民も政治家も国家も、対立と衝突に慣れる必要がある。

国土を守るのに武力が必要なのは、世界では当たり前の常識だ。この当たり前が日本だけ通用しないのは、「日本の攻撃能力を封印する」という全世界のコンセンサスが日本人に押しつけられているからだ。

全世界がよってたかって日本人を目覚めないようにさせており、日本人もまた自分の中の「攻撃能力」を眠らせて、思考停止になってしまっている。

思考停止の理由は「目覚めないような工作活動が為されているからだ」と指摘するのはタブーを破ることであり、もし大っぴらにこんなことを指摘すれば社会的に抹殺される危険性さえもある。

中国・韓国・北朝鮮の工作員やマスコミから「対立と衝突を煽っている」「レイシストだ」とレッテルを貼られることもあるだろう。

しかし、多くの日本人が「なぜ日本人だけが、他国の顔色を窺ってペコペコしないといけないのか?」と考え、「おかしいじゃないか」と声を上げ始めた時、タブーはタブーでなくなる。

戦後日本の最大の思想的タブーである「平和主義からの脱却」は果たして来るのだろうか。思想は一気に転換できるだろうか。答えは、サムライの末裔の血を遺伝子の中に持つ、日本人の胸の内にある。

『日本の戦争解剖図鑑 明治維新から終戦まで、日本と世界に何が起きていたのか?』

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