受けた打撃から回復する能力は、すべての人間に重要なもの

受けた打撃から回復する能力は、すべての人間に重要なもの
2017年。ビットコインを含む仮想通貨は、1年に10倍にもなるほど暴騰につぐ暴騰に明け暮れた。

JPモルガン・チェースの最高経営責任者ジェイミー・ダイモン氏は2017年9月13日の時点で「ビットコインは本物ではない。いつか終わる」と警鐘を鳴らしていた。

2013年に資産価格の実証的研究でノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー教授も、人々にそれがバブルであることを訴えていた。

「ストーリーが若者や活動的な人を掻き立て、それが市場を動かしている。財政価値で動いていない。ビットコインでは財政価値は大切ではない」

しかし、誰も耳を貸さなかった。

熱狂を伝えるマスコミや、早くから仮想通貨を取引している投機家が、傍観している人々を煽り立てていた。またビットコインの取引所「コインチェック」も、下らないコマーシャルを打って打って打ちまくっていた。

こうした中で、普通の人たちが「取り残されたくない」という強い焦燥感の中でバブルに乗った。人々は警鐘を鳴らす賢者の声を聞くよりも、バブルの中に身を投じて踊り狂う方を選択したのである。

そして、どうなったのか。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

この世で将来を見通せる人間はどこにもいない

仮想通貨市場は人々が大挙として押し寄せてバブルに乗った12月から変調をきたし、2018年1月16日以後、まるでナイアガラの滝のように価格崩壊を引き起こしたのだった。

つまり、「コインチェック」の下らないコマーシャルに煽られて仮想通貨の取引を始めた人々は、ひとり残らず完全に資産を吹き飛ばしたということになる。

ただ、現物でやっていた人間はまだ持ち堪えることができている。問題は仮想通貨にレバレッジを賭けてやっていた人間たちだ。手っ取り早く金持ちになろうとした人間が、秒殺で資産を失った。ひとりの例外もない。

追証を迫られ、証拠金を用意できなかった人間は、その時点で資産と共に人生も「詰み」だ。甘い夢を見て「すくわれる」のは足元だけなのである。

この後、仮に仮想通貨の相場が再びバブルに向けて噴き上げたとしても、強制決済されて借金しか残らなかった人間たちには何の関係もない。すべてを失った人々は、これから泥を這い回って生きることになる。

バブルだと言われていたのに、バブルに乗った人々は自分の運命が読めなかったのか。もちろんだ。この世で将来を見通せる人間はどこにもいない。

5分先のことであっても世の中が100%見通せるのであれば、その人はそれだけで超人と言われる。

5分先の相場が分かれば取引にことごとく打ち勝てる。5分先の事件が分かれば、先回りして準備できる。5分先の災害が読めればそれだけで予言者になれる。

実際にはそんな人は存在しない。これが意味するのは、「誰も5分先のことですらも」予測できないということだ。

流れを読んで、「だいたい、こうなる」というのは推測することはできても、世の中はまったく何も決まっていないのだから、不意に何かが起きるとすぐに予測は外れていく。

世の中が読めないというのは、当たり前のことなのだ。将来は何も決まっていない。どれだけ有能で、どれだけ将来を見通す能力があっても、どれだけ実務能力があっても、思う通りにはならない。

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何をどうしても正確に見通せないという現実がある

世の中が見通せず、大混乱に巻き込まれるのは誰でも同じだ。世界に君臨する国家アメリカのドナルド・トランプ大統領ですらも、何も見通すことができずに満身創痍である。

強大な大国や超効率的な企業では、ずば抜けて優秀なブレーンが「世の中はこのようになる」と見通して予測データを出すが、大抵はそのようにならない。

予期せぬ事件や事態が重なって、予測を立てた時とはまったく違う状況になっていく。

予測に基づいて何かを計画しても、妥協を余儀なくされ、末節の部分の一部は挫折し、一部は延期され、「こうしたい」という計画は最初とまったく違う形になってしまう。

確かに事業計画にも組織運営にも投資にも予測は必要だ。しかし、予測を過信するのはあまりにも無謀なのだ。

緻密な予測に基づいて動いても、予測を覆す出来事が次々と起きるからだ。

そうであれば、重要なのは「世の中を見通す能力」ではないことに気が付かなければならない。そんな能力は誰も持っていないし、どんな努力しても身につかない。

世の中で起きていることを分析し、予測を立てることはできる。莫大なデータを解釈して「こうなるかもしれない」と考えることができる。

しかし「絶対」にその通りにはならない。

毎日のように何らかの予測不能の突発事項が発生し、それによって世の中はどうでも変わるし、何でも起きる。

だから、私たちが求めなければならないのは、間違えても「世の中を見通す能力」ではない。

何をどうしても正確に見通せないという現実がある以上、それを求めるのは単なる「ないものねだり」であり、意味がないことなのである。

だとすれば、私たちが本当に求めなければならない能力とは何だろうか。

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現実を見る人間が最も必要としているのは何か?

現実を見る人間が最も必要としているのは、「想定外が起きても、それで終わりにならないための対策であり、そこから態勢を立て直す能力」の方だ。

不測の事態は必ず起きる。だから、不測の事態が起きることを想定して、万一の出来事でも自分が終わりにならないようにしておかなければならない。

しかし、それだけでは足りない。不測の事態に備えて何らかの準備をすることもできるが、世の中はその準備すらも上回る事件がしばしば起きるからだ。

たとえば、仮想通貨での取引をするとしても激しいボラティリティがある市場で高レバレッジを賭けるのは、逆に触れて一瞬で足元をすくわれる危険性がある。

高いレバレッジを賭けるのだから、いくらまでの想定外に耐えられるのかは計算しているはずだが、仮にそれ以上の値動きがあった時でも、すべてを失わないために対策をしておかなければならないということだ。

しかし、対策を上回る想定外もしばしば起きる。

だから、想定外に備えるための対策と共に、想定以上のことが起きても、そこから事態を立て直す能力も必要になって来る。この「不意打ちのダメージから立ち直る」というのが重要なのである。

想定外から事態を立て直す能力というのは、不意打ちを食らった瞬間であっても、冷静に自分の身に起きていることを客観的に見つめて、その時点でベストの選択ができる能力だ。

予測できない打撃を食らうと、その瞬間に今までの順風が吹き飛んでしまう。打撃が大きいと、今まで持っていた楽観も、予定も、計画も、何もかもが吹き飛んでしまう。

それこそ、人生における絶頂期にあるときに、突如として予測もしなかった打撃を受ける人すらもいる。最も幸せな瞬間が、一瞬にして崩れる。

世の中が予期できないということは、誰もがこの「打撃」を味わうということである。

どんな有能な人間であっても、どんなに慎重な人間であっても、長い人生の中で不意の打撃を一度も受けないでやり過ごすことなどできない。

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失ったものを数えるのではなく、残ったものを拾う

もちろん先を見通す能力を磨くのは無駄ではないし、ある程度の予測能力があっても邪魔にはならない。平常な時期には、ある程度の予測がきちんと立てられる人の方が成功する。

無計画な人よりも、計画的な人の方が常に優秀であり、結果を出すことができるのだ。

しかし、予測を過信するとワナに落ちる。予測はその正確さを100%担保することができず、往々にして外れ、曲がり、想定外に見舞われるからである。

どんなに過去を研究し、膨大なデータを読み取り、緻密な計算をしても、正確さは100%にならない。

だから、「想定外が起きても、それで終わりにならないための対策」が重要であり、さらに「態勢を立て直す能力」が必要不可欠となる。

予測を過信して自滅するくらいなら、受けた打撃から回復する能力の方を重視した方がより現実的である。

日本には「七転び八起き」という言葉があるが、これは人生という修羅場を生きていく中で7回も8回も不意打ちのダメージを受けるということを示唆したものだ。

「何度も何度も立ち上がれ」というメッセージの前に、何度も何度も不意打ちを受けるという現実があるということをそこから読み取らなければならない。

予想通りにならずに窮地に落ちる局面は必ず人生にある。だから、いったんは泥にまみれても、したたかに立ち上がる「能力」が必要になってくる。

受けたダメージを客観的に見つめて、そこからいかに回復していけるか。失ったものを数えるのではなく、残ったものを拾って、いかに立ち直るのか……。

そこに焦点が当たっていると、どん底から立ち直るきっかけをつかみやすい。

「態勢を立て直す能力」を磨くというのは、何が起きるのか分からない世の中で、自分なりにサバイバルできるようにするということでもある。

回復した上に前よりもうまくいけば、それこそ「転んでもただでは起きない」を地で行くことになる。受けた打撃から回復する能力は、すべての人間に重要なものである。(written by 鈴木傾城)

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受けたダメージを客観的に見つめて、そこからいかに回復していけるか。失ったものを数えるのではなく、残ったものを拾って、いかに立ち直るのか……。そこに焦点が当たっていると、どん底から立ち直るきっかけをつかみやすい。

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