全世界に轟くはずの才能が、埋もれて消えてしまう日本社会

全世界に轟くはずの才能が、埋もれて消えてしまう日本社会
日本企業は、社員がとびきり何かができなくても、平均的に何でもできることを求めている。そして、「無難であること」「平均であること」というのが非常に重宝される。

平均的であれば、組織の歯車として最適だからだ。何でも平均的にできれば、どこにでも配置できるし、さらに歯車が使えなくなったら、すぐに別の歯車と取り替えられる。

平均的であるというのは、要するに人材の「規格化」なのだ。誰かが抜けても、その抜けた部分にぴったりはまる人間を企業は必要としている。

ある才能だけが突出していて、他のことは何もできない人間は組織の歯車にならない。だから、そういった人間は特異な才能があったとしても組織では使えない。

人材的には、そういった人間は「使い物にならない不良品」である。たとえ、驚異的な能力がどこかにあったとしても、平均的に何でもできないのであれば「不良品」だ。

だから、教育はすべてにおいて学生を平均化する。得意を伸ばすのではなく、弱点をひたすら補強させる。

弱点を補強するというのは時間がかかる。しかも劣等感さえも植え付ける。その弱点の克服を延々とさせて、得意分野に取り組めないほど疲弊させ、結果的には平均的な人材を作り上げていく。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

すぐにでもやらなければならないことは、ただ1つ

企業に入って普通に生きていき、普通に当たり障りなく暮らし、定年までサラリーマンで生きられるのであれば、企業の歯車であるというのは「おいしい生き方」でもあった。

しかし、もうそんな時代は終わっている。企業は社員の面倒を最後まで見てくれないし、普通にしていればどんどん賃金が下がっていくばかりだ。

その上に、インターネットによる合理化と効率化、人工知能、ロボット化……と「雇用を削減するイノベーション」が次々と入り込んで、平均的な人間の仕事を大量に奪っていく。

そんな時代の中で生き残るには、他の人にはない「尖った部分」を持って、個人的な才能や才覚や得意分野で生き残れるようにする必要がある。

つまり、他の人間やロボットでは置き換えできないほどの「尖った部分」を身につけなければならない。

無個性から個性が重要になっており、平均的な人間から尖った人間が重要視される時代に変わりつつある。だから、教育では伸ばしてくれなかった得意分野を自分で伸ばさなければならないということだ。

何が得意分野なのか、自分の才能の何を伸ばすべきなのかは人によってそれぞれ違う。

しかし、今後生きていく中で自分の中で伸ばしていくべき才能があったら、激動していく社会で生き残るために、すぐにでもそれを伸ばすべきだ。

才能を伸ばし、磨くために時間を使わなければならない。

時間がなければ、やるべきは「余計なものをすべて捨てる」しかない。自分の人生で重要ではないもの、意味のないものを片っ端から捨てる。今すぐにでも、それができなければならない。

誰でも一日は24時間しかない。その24時間の中で、いろんな雑事をしながら目標を達成しなければならない。

重要なもののために時間を割くため、絶対にしなければならないのは「自分の人生に必要のないものを捨てる」ということなのである。

レオナルド・ダ・ビンチ。ルネッサンス時代最大の天才だが、メモはすべて鏡文字で書き、誇大妄想癖もあり、おおよそ「普通」とは程遠い人物であった。日本では、潰されていた才能だろう。

日本の社会は、余計なことを無理やりやらせる

ひとつの目標に集中すれば、他が疎かになる。疎かになったものは、うまくできなくなる。話題にもついていけなくなる。しかし、そうなって当然なので、それもうまくできるようになろうと思っては絶対にいけない。

歌手になりたい人以外は、無理して歌の練習などしなくてもいい。アスリートになりたい人以外は、無理してスポーツがうまくできなくてもいい。やっても構わないが、無理してそれに関わらなくても構わない。

人は自分の人生で追及できることは大して多くない。だから、ひとつに集中するというのは、とても大切なことだ。

日本人は何でも平均的にできないと恥だと思うし、世間で流行っているものは知っていないと恥だとも感じやすい。結局、あれこれ首を突っ込んで、すべてが中途半端になる。

思い切って「他を捨てる」ことができる人が、自分の才能を伸ばす時間を手にすることができる。

ゴルファーはバスケットをうまくできない。バスケット選手は器械体操をうまくできない。体操選手はスケートで点数を出せない。

アスリートですら、分野が違うとその瞬間に能力が発揮できなくなる。一瞬が重要な分野になればなるほど、研ぎ澄まされた集中力と技術が必要になる。

ところが、日本の教育、日本の社会は、余計なことを無理やりやらせる。得意を伸ばすのではなく、苦手をつぶす教育をする。

その人の研ぎ澄まされた才能は、それで潰されることが多い。

できないことを無理にさせる。できないことを練習させる。できないことに時間をかけさせる。

そうして、可もなく不可もない人間を大量生産する。企業もその規格品を求める。社会もそんな人間がいいと考える。

日本は「できないものを捨てて、得意を天才的なまでに伸ばす」という教育がなされないのだ。

だから、日本では突出した才能を持つ人が生まれにくく、その代わりに無個性ながらも何でもできる平均的な人間が大量に生まれてくる。

アルベルト・アインシュタイン。理論物理学者。幼少より数学に傑出した才能を示した。ところが簡単な計算もしょっちゅう間違って日常生活もめちゃくちゃだった。やはり、日本では潰されていた才能だろう。

全世界に轟くはずの才能が、埋もれて消えてしまう

日本人は個人個人が「凄まじく光るもの」を持っているのだが、長い学校生活ですべてに平均的になることを叩き込まれてしまっているので、結局その特異な才能は埋もれて終わる。

日本人の才能はその多くが眠ったままだ。「少し器用にできる」「少し得意」くらいの範疇で止まってしまっている。

そして全世界に轟くはずの才能が埋もれて消えてしまう。日本にとって、これほどの損失はない。

しかし日本の社会は、どうしても「平均」を重視する癖が止められない。そして、その人の持つ特異な才能を平均に合わないからと、あっさりと殺してしまう。時代は変わっているのに、日本は変わっておらず旧態依然としている。

今まではそれでも食べていけたからそれで良かった。しかし、グローバル化し、極度にハイテク化していく次世代は、それが貧困化につながる。

だから、もう「いろんなことができる」ようになろうと思わない方がいい。目指すべきはその方向ではなく「置き換えできないほどの才能や個性や存在感や得意分野」を持つことだ。

ひとつのことを追及していけば、他が疎かになるのは当たり前だ。つまり、「あれこれできない」のは本来は当たり前のことなのだ。

あれこれできるわけがないのに、それを無理にしようとするから、すべてにおいてうまくできなくなる。

どうでもいいことは切り捨てることによって、才能を伸ばす時間が作れる。

どうでもいい「苦手」は、学校を離れたのなら無理して関わる必要もない。自分の人生に関係もないのに、その関係もない苦手を克服するという価値観こそが自分の才能を押しとどめる行為になってしまう。

自分の特異な才能に気付いたら、早い段階で自分の才能に注力することを目的とした方がいい。

日本では、自分の才能が何かを指摘してくれる人もいないし、それを伸ばしてくれる人もいない。個人の才能を見抜くことができる人すらもいない。

それがどんなに日本に巨大な損失をもたらしているのか計り知れないほどだ。(written by 鈴木傾城)

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アイザック・ニュートン。人類史上稀に見る天才的物理学者だったが、あちこちで議論をふっかけ、日常生活に支障が出るほど上の空で、性格にはかなり難があった。やはり、日本では潰されていた才能だろう。

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