大量の情報に接するほど何が真実なのか分からなくなる理由

大量の情報に接するほど何が真実なのか分からなくなる理由

総務省は、1996年から2006年の10年間で「人々が接することの出来る情報量は530倍に増加した」と発表したことがある。この背景にはインターネットの爆発的流行があった。

しかし、インターネットがより拡散していったのは2006年以後である。アップルがiPhoneを発売したのが2007年だったが、そこからインターネットはさらに拡大し、もはや2006年の530倍どころではなくなっている。

そして、この消費可能情報量の拡大は今も続いているのだが、実を言うとこれからさらに桁が上がる。ビッグデータ、IoT、人工知能がより浸透していくからだ。

これらのイノベーションの共通点は何か。それは、情報量がもっと増えるということである。私たちは今、前人未踏の大量情報洪水の時代に生きているのだ。

こうした情報化の中心に「グーグル」がある。グーグルの主力は検索エンジンだが、爆発的かつ加速度的に増えていく情報を手に入れるには検索エンジンが必須だ。

現在は、検索エンジンで何でも検索して答えが出せる時代になっている。大量の情報の中からたちどころに必要な情報が出てくる。こんな時代はかつてなかった。

では、人々は大量情報の洪水に接して万能になったのか?

人々は、大量の情報でむしろ混乱に落ちている

極度なまでに増え続ける情報の中から、私たちは欲しい情報を検索エンジンで即座に手に入れることができるようになった。ところが自分が万能になったのかと言われれば、まったくそうではないことに多くの人が気づいている。

たとえば、以下の問いかけを自分にしてみるだけで、すぐにそのことが分かる。

「大量の情報に接して悩みが減っただろうか?」
「大量の情報に接して金持ちになっただろうか?」
「大量の情報に接して生きやすくなっただろうか?」

インターネットにはこれだけ大量の情報があるのだから、自分の抱えている問題を検索して、すぐに答えを見つけて、悩みも迷いもなくなったのだろうか。

これだけ情報があるのだから、金儲けのネタがすぐに見つかって、人々はみんな金持ちになっているのだろうか。「金持ちになりたい」と検索したら大量の情報が出てくるが、それで金持ちになれるのだろうか。

大量の情報が検索できるようになっても、人々はどのように生きていいのか分からず、むしろ混乱してしまっている。ますます混乱の度合いが深まっている。

人々は何でもインターネットで情報を調べることができるようになった。情報が入りやすくなった。それならば、それに比して悩みが減っていてもおかしくない。

ところが、超高度情報化の時代になっても、人々は相変わらず判断に迷い、答えが出せずに悩み、選択を間違えて苦しんでいる。悩みは減らず、金持ちにもなれず、生きやすくなることもなかった。

人々は迷いも悩みもまったく解決できていない。むしろ、大量の情報にアクセスできるようになればなるほど、逆に精神的な安定から遠ざかってしまっている。

情報がどんなに大量であっても、人々は安心を手に入れることができず、何も決められず、「これでいい」という安心感を得ることができない。

かつては「情報がない」から人生の悩みと迷いは解決できないと思っている人が多かった。しかし、もうそうではないことを誰もが知っている。

いくら情報が大量にあっても同じだ。大量の情報に接しても、依然として、人々はどう生きていいのか分からない。

人生で悩む問題は、だいたいが両極端な意見がある

大量の情報がなだれ込んできても、人々は自分の人生に立ちふさがる問題をどう処理していいのか分からない。

逆に、大量の情報に接すれば接するほど、よけいに正しい道が分からなくなる。なぜなら、相反する情報が大量の情報の中にあるからである。

「フェイクニュースが紛れ込んでいる」というのもある。しかし、それだけではない。単純に物の見方が違うために見方が180度違うことは往々にしてある。

たとえば、「困難に立ち向かえ」という情報があったら、その次の瞬間には「困難には立ち向かわずに逃げてもいい」という情報があったりする。このふたつは180度違うスタンスで説明されている。

物事の事象を観察すると、多くの問題はそれぞれ賛同や反対があることに気づく。場合によっては、調べれば調べるほど情報の迷宮にはまり込んでいく。

「つらい会社は続けるべきか、辞めるべきか」
「うまくいかない恋人と別れるべきか、努力すべきか」
「欲しいものを買うべきか、止めるべきか」
「この薬は飲むべきか、止めるべきか」

自分の抱えている問題を調べると、結局どちらの意見も大量の情報の中に見つけて、選択は自己責任になる。

人生で悩む問題は、だいたいが両極端な意見があるものだ。調べれば調べるほど、確信よりも疑惑が増えていき、その疑惑によって人は惑わされる。

100の情報があって、その人が1つだけ選択したとすると、極端に言えば、その瞬間に99の情報が選択を迷わせる情報になる。

選んだものは本当に正しかったのか、もしかしたら間違ったものを選んだのではないかと思い始め、今度はその99の情報が自分の足を引っ張り出すのだ。

大量の情報に接すれば接するほど、そうなっていく。だから、大量の情報がなだれ込んでくると、逆に決められなくなることも多い。

大量の情報があっても、一向に役に立たない

大量の情報があっても、それだけでは意味がない。それは、情報化時代に入っても、貧困層が爆発的に増えていることを見ても分かる。

若年層の貧困は、皮肉にも超高度情報化社会の中で起きているのである。

大量の情報が役に立つのであれば、情報にアクセスする能力が最も高い若年層がもっともうまく立ち回り、成功に至る道をインターネットで検索して選択し、欲しいものを手に入れていてもおかしくない。

大量の情報を手に入れることが成功する秘訣というのであれば、朝から晩までインターネットをしている若年層が一番成功しているはずなのだ。しかし、若年層の貧困は深刻だ。

これは要するに大量の情報があっても、それで社会で成功することはできないということを意味している。いくら情報に接してもそれだけでは成功しない。

たとえば、インターネットには「すぐに金持ちになる方法」みたいな胡散臭い情報が大量に流れている。しかし、そうした情報も、逆に相反する否定の情報に埋もれている。

昨今では仮想通貨バブルになって、その相場は暴騰と暴落を繰り返しているのだが、「仮想通貨はもっと上がる」という情報と「仮想通貨には価値がない」という相反する情報が錯綜している。

大量の情報に接すれば接するほど、何が真実なのか分からなくなっていくはずだ。

相場に関する見方に限定しても、情報は錯乱の中にある。

仮想通貨に限らず、すべての相場は「上がるか、下がるか」の二者択一だが、そのどちらにも根拠があって強く主張する人がいて、どちらが当たったとも外れたとも言えないのだ。

大量の情報などあっても、すべてが自分の決断をぐらつかせるものになるだけなのである。そう考えると、大量の情報は真実に辿り着くのに何の意味もないことが分かる。

有益どころか、状況によっては有害ですらある。

大量の情報を手に入れても、人々が相変わらず人生に悩み、苦しみ、心が折れ、挫折し、失敗し、取り返しがつかない状況になるのは、そういうことだ。情報はいくら大量にあったとしても、混乱を増長させるだけなのだ。

大量の情報を手に入れても、人々が相変わらず人生に悩み、苦しみ、心が折れ、挫折し、失敗し、取り返しがつかない状況になるのは、そういうことだ。情報はいくら大量にあったとしても、混乱を増長させるだけなのだ。

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