台湾が警戒しているのはTSMCが中国に乗っ取られることではなくて、台湾そのものが乗っ取られることだ。台湾を手に入れてしまえば、TSMCも自動的に中国のものになる。これを阻止するための戦略がシリコンシールド戦略だったが、ここで新たな問題が発生している。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
半導体をめぐる対立は「軍事対立」でもある
次期トランプ政権が発足すれば、半導体分野における中国との対立が一層激化する可能性が高い。
トランプ氏は以前の政権時代に、中国の通信機器大手ファーウェイや半導体メーカーSMICに対して制裁を実施し、米国製の半導体や関連技術の供給を制限した。これによって中国のハイテク産業は大きな打撃を受けたのだが、ふたたび制限が苛烈になっていくのが予測できる。
さらに、トランプ氏は台湾の半導体産業に対しても批判的な姿勢を示しており、台湾が米国の防衛に対して対価を支払うべきだと主張している。今後、半導体セクターは政治に翻弄されることになるのは必至だ。
現在、その矢面に立っているのが台湾積体電路製造(TSMC)だ。
TSMCによる2nmプロセスチップの海外製造禁止は、台湾政府が決めたことなのだが、ここでいう「海外」の最大の対象国は「中国」を指している。アメリカはTSMCを通して、2nmチップ技術が中国に流出するのを懸念している。
トランプ次期政権も当然そこを突いてくるだろう。だから、台湾政府が先回りしてこの決定を下したともいえる。これは、半導体産業における台湾の戦略的立場を如実に示す出来事でもある。
こうした動きは、単なる企業の製造戦略にとどまらず、国家安全保障と経済政策が密接に絡み合う複雑な問題を浮き彫りにしているといえる。2nmプロセス技術は、現在開発中の最先端技術であり、その製造能力は国家の技術力と経済力を象徴するものとなっている。
アメリカは、この2nmチップ技術を中国に盗まれたくない。半導体の優位性は、軍事の優位性につながり、それはアメリカの国防問題に直結するからだ。半導体をめぐる対立は「軍事対立」でもあるのだ。
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半導体セクターは一筋縄ではいかない
台湾は長年、半導体産業において世界をリードする地位を築いてきた。特にTSMCは、最先端の半導体製造技術を持つ世界最大の半導体ファウンドリーとして、グローバル市場で圧倒的な存在感を示している。
台湾政府がTSMCの2nmチップ海外製造を禁止したのは、表向きには「台湾の技術的優位性を維持するため」という説明なのだが、アメリカとの関係を考慮し、「台湾は中国よりも米国側に立つ」という姿勢を明確にするためでもあったと見える。
特に注目すべきは、この決定がドナルド・トランプが次期大統領に決まった中でおこなわれたことだ。
ドナルド・トランプは選挙中に「台湾は我々の半導体をすべて奪った」と激しく台湾を攻撃していた。(トランプ発言「台湾は我々の半導体事業をすべて奪った」で動揺する半導体セクター)
台湾はここで旗印を明確にしておかないと、トランプ次期政権に激しく攻撃されることになるのは目に見えている。半導体技術は現代の軍事力や経済力の根幹を成すものであり、これは台湾の存続にかかわる問題でもある。
もちろん、この決定はグローバルなサプライチェーンに大きな影響を与える。TSMCは世界中の多くの企業に半導体を提供しており、ここが揺らぐと現在のメガテックの売上にも悪影響が及ぶ。
仮に台湾が米国に忠誠を誓っても、トランプは、台湾が半導体の最先端技術を掌握していることに不満をいい続けるかもしれない。台湾政府はこれから難しい決断を強いられていくことになるだろう。
そういう意味で、TSMCの2nmチップ海外製造禁止は、台湾の国家戦略と半導体産業の未来、そして国際的な技術覇権争いが交錯する問題となっていく。この決定が今後、どのような影響を世界の半導体産業と国際関係にもたらすのか、注視していく必要がある。
半導体セクターは一筋縄ではいかない展開となるだろう。
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いよいよ時代は2nmの大量生産に入っていく
2023年の統計によると、TSMCは世界の半導体ファウンドリー市場において約60%のシェアを占めている。これは、2位のサムスン電子の約15%を大きく引き離して圧倒的であるともいえる。
特に7nm以下の先端プロセス技術では、TSMCのシェアは80%を超えている。
TSMCの売上高も注目に値する。2023年の売上高は約750億ドル(約8兆2,500億円)に達し、前年比で約10%の成長を記録した。この成長の大きな要因は、5nmや3nmといった先端プロセス技術の需要増加にある。
そして、いよいよ時代は2nmの大量生産に入っていこうとしている。
TSMCは2025年に2nmプロセスの量産を開始する。これに向けて約200億ドル(約2兆2,000億円)の投資をおこなう予定なのだが、この投資規模はTSMCの年間設備投資額の3分の1に相当する。TSMCはここを落とすわけにはいかないのが、設備投資の額からもわかるはずだ。
TSMCは、台湾証券取引所の時価総額の約30%を占める巨大企業となっている。台湾政府もTSMCと一心同体であるともいえる。TSMCが転ければ、台湾そのものが転ける。そのため、2nmプロセスの技術は何としてでも死守したい動機がある。
だが中国の半導体産業も、急速に成長していこうとしている。アメリカが躍起になって叩いて技術の流出を防いでいるにもかかわらずだ。これは、アメリカのみならず台湾にとっても、大きな脅威となっているのだ。
中国政府は2025年までに半導体の自給率を70%に引き上げる目標を掲げており、年間1,000億ドル(約11兆円)以上の投資をおこなっている。まだ、台湾に追いつくためには相当の時間がかかりそうだが、うかうかしていると技術を盗まれて持っていかれる。
台湾がもっとも警戒しているのは、TSMCの技術を乗っ取られることではなくて、台湾そのものを侵略され、乗っ取られることだ。台湾を手に入れてしまえば、自動的にTSMCも中国のものになる。中国なら、そういうこともやりかねない。
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台湾のシリコンシールド戦略が世界を揺るがす
その中国の脅威を前にして、台湾が採用してきたのが「シリコンシールド」戦略だ。
台湾は半導体製造において重要な役割を果たしている。だから、この半導体産業における世界的な重要性を利用して、中国からの軍事的脅威に対する抑止力とする考えかたが「シリコンシールド戦略」だった。
わかりやすくいうと、現代文明の中核を担う最先端半導体チップを製造できるのは台湾なのだから「それがゆえに世界は台湾を守らざるを得ない」というものだ。
だから、「2nmチップの製造を台湾国内に限定する」「最先端チップだけは米国でも製造もしない」というのは、シリコンシールド戦略に乗っ取ったものであるともいえる。しかし、トランプ次期政権のもとでは、この台湾のシリコンシールド戦略が槍玉にあげられる可能性が高い。
トランプ次期大統領の認識は「我々の技術が台湾に奪われて、台湾政府は自国の防衛に米国の軍事力をタダで利用している」というものだからだ。これは、台湾政府のシリコンシールド戦略を批判するものであるともいえる。
たしかにシリコンシールド戦略は台湾にとっては合理的な国防戦略である。重要技術を台湾に一極集中させることで、台湾が世界にとって重要な国であると認識してもらい、台湾を「守ってもらえる」からだ。
だが、グローバル経済から見ると、重要技術が台湾に一極集中してしまっているので、もし台湾に何かがあったときには最先端の半導体が手に入らなくなって大混乱が起こることを意味する。それをもっとも懸念しているのがイノベーションの中心地である米国なのだ。
今後、台湾は中国の脅威とも戦う必要があるのだが、同時に同盟国であるはずの米国とも厳しい折衝が必要となる。まさに技術覇権、国家安全保障、経済政策が複雑に絡み合う現代の国際関係の縮図がここにある。