1990年代以降の「失われた30年」と呼ばれる長期的な停滞期を通じて、日本は成長をとめ、むしろ逆行しはじめた。同じ期間に韓国や台湾などの近隣諸国、さらには米国が持続的な経済成長を遂げたことと対照的である。にもかかわらず、日本人の危機意識の欠如は深刻だ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
日本の危機意識の欠如は深刻だ
日本の経済力は、かつて世界を驚嘆させるほどの勢いを持っていた。1950年代から1970年代にかけての高度経済成長期において、日本は圧倒的な生産性と技術力を誇り、先進国の仲間入りを果たした。その後も、1980年代には1人当たりGDPで米国を上回るほどの豊かさを実現した。
ところが、今の日本はどうなのか? 今の日本はその影響力を大きく後退させ、OECD加盟国の中でも平均以下の位置に甘んじている。
日本の1人当たりGDPが1990年代中頃をピークに下降しはじめたことは、多くの専門家によって指摘されてきた。この下降の原因は、単なる円安や景気低迷だけではない。問題の根幹には、少子高齢化や無能な政治が延々と続く社会的な構造が存在する。
1990年代以降の「失われた30年」と呼ばれる長期的な停滞期を通じて、日本は成長をとめ、むしろ逆行しはじめた。同じ期間に韓国や台湾などの近隣諸国、さらには米国が持続的な経済成長を遂げたことと対照的である。
にもかかわらず、日本人や政治家の危機意識の欠如は深刻だ。
1人当たりGDPがOECD平均を下回るという事実は、日本がもはや「先進国」ではないと国際的に認識されるきっかけとなりかねない。日本人も、日本の政治家も、このことについてはまったく関心がないようだが、私はこれに強い危機感を抱いている。
貧困国では「男は強盗、女は売春」が社会の底辺の特徴なのだが、日本でも最近は「男は闇バイトで強盗、女は大久保公園で売春」になっているではないか。社会の底辺は私が見たところ、2010年代後半あたりからどんどん途上国に近づいているように見える。
ほとんどの政治家は「国はどうあるべきか?」とか「日本を立て直すにはどうしたらいいのか?」と議論ばかりしているのだが、そんなのは30年前に議論すべきであって、もう国民は底辺から経済崩壊してしまっている現実をどう思っているのか?
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日本は見放したほうがいいという結論
高度経済成長期において、日本は輸出主導型の産業構造と強力な技術革新を武器に、世界市場での地位を確立した。それは、もう過去の話だ。現在では、そのような競争力は大幅に失われている。
グローバル化が進み、新興国の台頭が目立つ中、日本は競争環境に適応できていない。ITやAIといった次世代産業における技術的優位性を築くことにも失敗し、結果として、世界市場での存在感を急速に低下させている。
日本が直面している問題は、単なる経済成長率の低下にとどまらない。それは、社会全体の活力や持続可能性に深刻な影響を与える。
今の日本の現状は、経済的な次元を超えた国全体の存続にかかわる問題として理解すべきなのだが、相変わらず危機感のない政治を見ていると、「もう日本は見放したほうがいい」という結論になっていく人がいるのも納得できる。
日本の経済低迷は、深刻だ。2021年の1人当たりGDPの比較では、日本はOECD加盟国の平均値を下回り、1970年代初頭の水準に逆戻りしている。この事実を捉える上で重要なのは、単なるドル換算の数字ではなく、他国との相対的な位置づけである。
日本が経済成長を停滞させているあいだ、他国は成長を続けているのだ。これは、国家間で相対的な格差が広がりつつあることを意味している。わかりやすくいうと、日本は成長から退行へと進んでいる。
1950年代から1970年代にかけての高度経済成長期には、日本の1人当たりGDPはOECD平均の2倍に達していた。だが、現在ではその半分以下の水準になりつつある。米国の1人当たりGDPは、日本の約2.4倍に達している。韓国の1人当たりGDPもすでに日本を追い抜き、IMFのデータによれば、日本よりも高い水準にある。
これは、単に日本の経済成長が鈍化したというだけでなく、日本の国際的な競争力の低下を意味している。
円安の進行も、深刻だ。2022年のドル円為替相場では円安が急激に進行し、輸入コストの上昇や購買力の低下を招いた。これにより、国内消費が抑制され、経済全体の成長がさらに鈍化した。
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「新しいもの」に対する無理解と無関心
日本の低迷がいかに深刻であるかは、他国との比較によって一層明確になる。
韓国や台湾は、ITや半導体産業を中心に急成長を遂げ、世界市場での地位を確立している。一方で、日本はこれらの分野での技術革新に遅れを取り、国内市場のみに依存する形で縮小を続けている。その国内市場も、べつに活況を呈しているわけではない。
少子高齢化による労働力人口の減少も、日本経済にダメージを与えている。総務省のデータによれば、日本の総人口は2020年代に入って減少を続けており、労働市場における若年層の割合が急速に低下している。
さらに、技術革新への投資不足も見逃せない。現在、アメリカはAI革命を通じて新しいビジネスモデルを次々と生み出しているのに対し、日本ではこの分野でのリーダーシップを取ることができなかった。
メガテック(Microsoft、Google、Apple、Meta、Amazon、NVIDIA)に代表される企業群が世界経済を席巻する中、日本はそれに匹敵する企業を生み出せていない。
日本企業の保守的な経営体質もあるが、日本社会そのものが高齢化してしまって、「新しいもの」に対する無理解と無関心が広がっていることもある。2000年初頭から、その傾向はあった。
たとえば、日本の多数派である高齢者がガラケーにこだわって日本企業がガラパゴス化してスマートフォンという最先端に乗り遅れたことや、キャッシュレスに飛び込むのも嫌がってフィンテックに遅れたのを見てもわかる。
最近では、AI(人工知能)に対しても拒絶心を示している人が多いが、こうしたイノベーション嫌いの感情により、日本人も日本企業も大きく出遅れ、国際市場での競争力が低下し、国内産業の停滞が顕著になっている。
このような状況では、新しい産業や技術を生み出すことが困難であり、結果として経済全体の活力が失われている。そして、もう手遅れになってしまった。
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私は今の日本の政治家を愛していない
日本を変えるのは、もう手遅れだと私は割り切った。この意見については批判を受けることも多いし、日本は立ち直れると主張する知り合いとも険悪な議論になってしまったこともあるが、私の心情は変わらない。
現在の日本が直面している経済的な課題は、今後さらに深刻化するはずだ。
私自身は少子高齢化が現代の日本の社会問題のすべての根源であり、ここが解決できないとなんともならないと考えているのだが、政治家は無策なので状況は悪化していく一方となるだろう。
今よりも、さらに日本経済の現状が悪化していくと、もはや国際市場における地位も極限まで下がってしまい、日本の影響力なんか見る影もなく消えるはずだ。すでに2022年の世界競争力ランキングでは、日本は過去最低の34位に転落している。
これは、日本が他国に対して、競争力を維持できなくなっている現実を如実に示している。
今の日本が直面している問題は、一時的なものではない。長期的かつ構造的なものだ。これらの問題に対する適切な対策が取られて、復活してほしいと思う。しかし、日本は何も変わりそうにない。
それならば、未来はさらに厳しいものになることは避けられない。
私は自分の国である日本を心から愛しているが、今の日本の政治家は愛していないし、彼らが30年かけてもたらした惨状につき合って、一緒に沈んでいこうと思うような考えかたは持っていない。
私は2012年に、ほぼ全資産をドルに変えた。以後は、アメリカの株式市場で資産を運用するようになっている。早い話、私は12年前にキャピタルフライトを終わらせていたということになる。
あの頃「10年後の日本はもっと経済的にひどくなっているだろう」と考えていたのだが、想像以上にひどくなってしまった。今も「10年後の日本はもっと経済的にひどくなっているだろう」と同じことを思っている。おそらく当たろうだろう。