通常、貸金庫は個人がプライベートな情報や、貴重品や、現金などを「人知れず」預けるものだ。人知れず預けるということは、貸金庫に個人が何を入れたのかは誰も知らない。故人となった人の貸金庫の中身は、銀行は盗み放題だった可能性がある。疑念は大きい。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
貸金庫を無断で開け、現金や貴金属を窃取
2020年4月から2024年10月までの約4年半、三菱UFJ銀行の東京都内の2支店において、当時の店頭業務責任者であった女性行員が貸金庫を無断で開け、「わかっているだけ」でも約60名の顧客の現金や貴金属を窃取していたことが発覚した。
この行員は2024年11月14日付で懲戒解雇となったが、いまだ捜査中という理由で犯人の実名も公表されていない。
この窃盗事件は、銀行という組織の信頼性と安全性を根底から揺さぶる事態となった。何しろ、4年も犯行が野放図におこなわれていて、その被害総額は十数億円にも達するとされているのだ。
こうした事例は、顧客が銀行の貸金庫に対して持つ「絶対的な安全性」の信頼を大きく損なう。
驚いたことに、私の知人も、ほかの銀行において同様の問題に巻き込まれていた。
彼は貸金庫に保管していた現金1,000万円を盗まれ、弁護士を立てて銀行と話し合いを持った。幸いにして、彼の場合は主張が認められて1,000万円が戻ってきたのだが、こうした話を聞くと、貸金庫の安全性に疑問を持たざるを得ない。
ある著名な俳優も、その死後に遺族が貸金庫の中を開けたら空っぽだったという。最初から空っぽだったのかどうか、疑念が湧く。銀行が貸金庫の資産を盗んで「死者に口なし」をしていたら遺族にはわからない。
銀行は貸金庫の安全性を担保するため、厳格な管理ルールや複数のセキュリティポイント、顧客専用の鍵システム、そして外部監査といった多層的なセキュリティ対策を実施していると説明する。しかし、これらの対策が機能していなかった。
現実に起きている事件が、それを示している。
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現実は、野放図に盗まれ放題だった可能性
今回の三菱UFJ銀行の事件では、内部の管理職が関与していた。これが、さらなる不安を煽る要因となっている。管理職も信頼できず、銀行でさえ安全が確保されない。これは、一般の顧客にとって大きな衝撃だ。
私の知人のケースにおいても、銀行は当初シラを切って相手にしなかったことを語っている。彼は、弁護士を立てて手間と金をかけて調査をしてもらうしかなかった。しかも、知人の被害に遭った銀行は今回の三菱UFJ銀行ではない。
これでは、「銀行全体が窃盗に関与して意図的に隠蔽しているのではないか」との疑念が生じても無理はない。貸金庫に預けるという行為そのものが、こうした事件を受けて無防備に感じられる。
貸金庫は、安全性を第一に設計されているはずだった。少なくとも銀行は強固なセキュリティを謳っていた。それが完全に嘘だった。言語道断だ。
「多層的なセキュリティ対策を取っている」という説明は何だったか。厳格な管理ルール、カードキーや暗証番号を用いた複数のセキュリティポイント、顧客専用の鍵、外部監査によるチェック、そして銀行員の立会いは、ぜんぶ「口先だけ」だったのか。そうなのだ。口先だけだった。
銀行は、「これらの仕組みにより、理論上は貸金庫の内容物が第三者に奪われる可能性は極めて低い」というのだが、現実は内部から盗まれ放題だった。偉そうにいっていたセキュリティ対策は、ぜんぜん機能していなかった。
銀行員が顧客に無断で貸金庫を開け、内容物を盗むという行為が常態化し、さらには長期間にわたり、その窃盗が発覚しなかった。
貸金庫は本来、顧客のもっとも重要な資産を守るための施設であるにもかかわらず、その安全性が脅かされているのは非常に深刻な問題だ。これだと、「すみません、保障します」ではすまないし、「これから気をつけます」といわれても、もはや信用することすらも難しい。
もうひとつ、今回の事件で考えなければならないのは、盗まれなくても、勝手に中をのぞかれてプライバシーも侵害された可能性もあることだ。金銭の窃盗だけでなく、プライバシーや機密情報さえも盗まれていた確率は非常に高い。
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個人が何を入れたのかは誰も知らない?
銀行の中でモラルハザードが起きている。銀行員に対する信頼性も揺らぎ、システムに対する脆弱性も露呈し、責任を取らないで事件を小さく収束させようと動く経営陣の動きも含めて、銀行全体の信頼を揺るがす事態となっている。
この事件をきっかけに、貸金庫のセキュリティ対策が見直されるのだろうが、それによって信頼が取り戻せるわけではない。銀行の管理体制に依存していた顧客にとって、これほどまでに深刻な裏切りはない。
貸金庫事件に関連して、一部では「銀行が組織的に関与しているのではないか?」という不穏な噂までもが飛び交っている。
通常、貸金庫は個人がプライベートな情報や、貴重品や、現金などを「人知れず」預けるものだ。人知れず預けるということは、貸金庫に個人が何を入れたのかは誰も知らない。
それをいいことに、銀行は今まで個人が預けていたものを「意図的」かつ「組織的」に盗んでいたのではないか。とくに、故人となった人の貸金庫の中身は、銀行は盗み放題だった可能性がある。そういう疑念がささやかれている。
つまり、「窃盗は不良行員が単独で犯罪をおこなっているのではなく、銀行そのものが全体で秘密裏にやっていたのではないか」というのが噂の主旨だ。
繰り返すが、預けたものは当人しか知らないのだ。預けた人が故人になれば、銀行は簡単に盗める。そして、それは非常に確率の高い完全犯罪となる。
たしかに、貸金庫を開けた際に空になっていたという報告は複数存在しており、それに加えて多数の窃盗被害の報告もあり、被害も複数の銀行にまたがっている。とすれば、そういう噂が飛んでも不思議ではない。
貸金庫は、一般的に銀行員だけでは開けることができない仕組みになっている。しかし、今回の事件のように管理職が関与していた場合、貸金庫は簡単に開けられている。銀行が組織ぐるみで行動していたとすれば、貸金庫の内容物を盗んで隠蔽することなんか造作なくできてしまう。
このような状況が続く限り、銀行がグルであるとの疑念は払拭されない。
貸金庫の中身が空になっていたという事態が頻発している現状を踏まえると、この問題は単なる偶発的な事件ではなく、銀行内部の深刻な構造的問題を示している可能性が高い。
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事件を隠蔽しているのではないかという疑念
今回の三菱UFJ銀行における貸金庫窃盗事件は、多くの人々に銀行そのものへの不信感を抱かせる結果となった。
貸金庫とは、個人が自身の資産を守るために信頼を寄せて利用する場所だ。だが、その貸金庫が内部から侵害されたという事実は、銀行が提供するセキュリティの神話を根底から崩壊させた。
今の段階では、犯人の行員がいまだ警察に引き渡されておらず、逮捕にも至っていない。このことも、人々の不信感をあおる原因となっている。調査に時間がかかっているという点もあるのだろうが、これが事件を隠蔽しているのではないかと人々は思うようになっているのだ。
生活に困った人が100円のおにぎりを窃盗しても、逮捕されてその実名が報道される現実がある。その一方で、今回のように数十億円もの巨額の窃盗が発生していても犯人の実名もあきらかにされない。何か圧倒的な不公平感がそこにあると人々は考えるようになっている。
報道や銀行側の発表が乏しい状況では、社会全体が事件の全容を正確に把握することは難しい。だが、あきらかになっている事実だけでも、銀行の対応には大きな問題があるといわざるを得ない。
貸金庫の利用者にとって、この事件は単なるひとつの事例ではない。銀行という存在そのものが持つ安全性と倫理性に対する大きな問いかけである。
個人的にも、このような状況を目の当たりにして、銀行自体に疑念を抱かざるを得ない。貸金庫という場所がもはや信頼に足るものでないとすれば、顧客は自身の資産を守るためにどこに頼るべきかを再考する必要がある。