自分が有利な分野で生きるのは、最も合理的な生き方となる

自分が有利な分野で生きるのは、最も合理的な生き方となる
人には誰にも得手・不得手というものがある。自分の生き方・自分の人生が、自分の得意とする分野のものであって、しかもそれで稼ぐことができるのであれば、まさにそれこそが天職となる。

天職を得ると、没頭して仕事ができる。そして、没頭することがよりパフォーマンスを向上させる。パフォーマンスが向上することによって、得手がより得手になって、それで生活することが可能になる。

世間体が良い仕事や、給料が良い仕事や、派手な仕事が良い仕事なのではない。自分の得意が発揮できて、没頭できて、それで食べていける仕事が「自分の仕事」なのである。そのような天職を得ると、仕事が生きる目的になる。

不得手で無関心な仕事で生きていくほど虚しいことはない。そうであれば「得手・不得手」を早いうちに見極め、何があっても得意分野で生きていくのが合理的な生き方であると言える。

ところで、得意というのは、往々にして「生まれつきの才能」が左右するのは誰もが知っていることだ。

運動能力、知的能力、芸術センス、言語能力……。遺伝子的に何らかの有利なものを持っている人は、遺伝的な能力によって他者を凌駕できる可能性がある。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

生まれつきの能力は、気づかなければ目覚めない

ただ、生まれつきの能力というのは、気づかなければ目覚めない可能性もある。

猛烈な「運動能力」を持っているのに、本人もまわりもまったく気付かずに怠惰な生活をして肥満して能力発揮できなかったり、恐るべき「知的能力」を持っているのに、貧困のせいで教育を受けられずに能力が発揮できないこともある。

子供が持つ才能を伸ばすのではなく、親のエゴで子供の才能を無視して何かを強制すると、子供も生まれ持った独自の能力を生かすことができずに腐ることもある。

芸術的なセンスがあるのに、芸術の素地のない両親が芸術の道に行かせなかったり、言語能力が抜群なのに、それとまったく何の関係もない仕事に就いていたりすることもある。

生まれつきの能力や才能は、見付けられないと本人すらも気付かないまま眠ったままだ。

本当は超能力的な能力が発揮できるはずの人が、何もできないで人生を終わらせたりするのは、往々にして「自分の不得意な分野」で生きようとしているからでもある。

また、「生まれつきの才能」に自分では気付いていても、別の関心があって才能を自ら捨てるケースもある。「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」というのは、才能を磨かない結果として起きている事象でもある。

「信じられない才能」は発見されないと、誰も気付かないし、気付いてもそれは原石なので、磨かないと社会に認知されるほどにまで至らない。

能力や才能を自然と発揮できるようになる人もいるが、そうでない人の方が多い。それが「発見」できないと、せっかく持っていたはずの能力は死んでしまうのである。

もし、やりたくもない仕事をして、日々を流されるように生きているとしたら、間違いなくそれは自分の中の「信じられない才能」を埋もれさせている。

自分の能力を発見できていない。何か貴重な才能を持っているのに、自分がそれに気付いていないので、埋もれさせてしまっている。

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自分の生まれつきの才能は何なのかを必死で捜す

運動能力に秀でた遺伝子というのはある。知的能力に秀でた遺伝子というのもある。

現在、科学は遺伝子の研究を急ピッチで進めているが、仮に研究がもっと進んで分子レベルで遺伝子が解明されるようになったら、とんでもないことになるかもしれない。

運動能力から言語能力、音楽能力まで、人類に貢献する様々な才能の中で「自分は何が秀でているのか」が、すべて正確に分かるようになるからだ。

音楽能力が秀でているとしても、音楽にまったく関心がなければその才能は使われることはないかもしれない。絶対音感を持つ人でも、全員が音楽の仕事をしているわけではない。

自分に才能や能力があると分かっていても、その方面に関心が向かないということもあり得る。

しかし、自分には何が得意なのかを知るというのは、決して無駄なことではない。

遺伝的才能と自分の関心が合致すれば、それこそ凡人を凌駕する結果を残すこともできるようになる。また、自分の子供に何の才能があるのかを知ることができれば、その才能を伸ばして上げることもできる。

今まで自分が何が得意なのかまったく分からず、分かっていても錯覚だったり、願望だったりすることもある。

しかし、自分の得意な分野が遺伝的にどこなのか、それを正確に解析できる時代が、いずれやってくる。

ただ、そういった科学の進歩の恩恵にいつ浴せるのかは誰にも分からない。倫理的にも道徳的にも遺伝子を丸裸にすることが問題視されて受け入れられない可能性もある。

だとすれば、どうしたらいいのか。

自分の才能は、自分で見つけるしかない。今の生き方や仕事が自分のやりたいことでも得意なものでもないというのであれば、まずは立ち止まらなければならない。

そして、「自分の生まれつきの才能はいったい何なのか」を捜す必要がある。

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他人よりもはるかに楽に普通の水準を超越できる

生まれ持った才能はその片鱗が表に表れることもあるが、最初は熟練されていないので見過ごされることも多い。

中には子供たちを注意深く見てきた教師や、ある方面で慧眼を持つ人がいて、秘めた能力を見抜く人もいるが、ほとんどの場合は誰も気付かないのが普通だ。

他人どころか自分自身も気付いていない可能性がある。

たとえば、音楽が色で見えたり、文字に匂いを感じたりする「共感覚」を持つ人がいる。(天才が持つ共感覚を手軽に得る方法と、言ってはいけない事

この人は自分がそうであっても、他人もそうだと思っているので子供の頃はそれが特別な感覚であるということに気付かない。

特別な才能なのに、本人は日常なので気付かないのである。それと同様に、特異な才能も気付かなくても不思議ではない。

その遺伝的な才能は、もしかしたら自分の想像もしなかった分野のものであるかもしれないので驚愕するかもしれない。それは、捜さないと分からないのである。

それが見つかったからと言っても、自分がその分野に関心がなければ当惑するばかりで、どうしようもないということもあり得る。

しかし、その「遺伝子的に有利」なものを伸ばしていくことによって、他人よりもはるかに楽に普通の水準を超越できる。そして、努力と経験で恐るべき結果が出せる。

人が容易にできないのに、自分には何の苦もなくできるものが何かないだろうか。自分は大したことがないと思っていたのに、他人が驚くようなものは何かないだろうか。

必死になってそれを見付けなければ手遅れになる。

自分の能力が低い分野でいくら努力しても、ものになることはない。努力すれば、ある程度まで能力を伸ばすことができることはできるが、ほどほどで終わってしまうだけだ。努力のわりには大して能力が伸びないのである。

しかし、「遺伝子的に有利」に当たれば、努力すればするほど、能力が飛躍的に伸びていく。

そして、その努力が苦にならない。自分が有利な分野に潜り込み、他を切り捨て、才能を伸ばし、その世界で生きるのは最も合理的な生き方となる。

自分が知らなければならないのは自分の能力だ。どの分野に遺伝的才能があるのかを知ることによって、劇的な能力を発揮することが可能になる。

今からでも遅くない。それを見付けることによって人生の限界を突破できる可能性が見えてくる。(written by 鈴木傾城)

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自分が知らなければならないのは自分の能力だ。どの分野に遺伝的才能があるのかを知ることによって、劇的な能力を発揮することが可能になる。

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