人は合理的ではない。合理的ではない人間が株式市場で生き残るにはどうするか?

人は合理的ではない。合理的ではない人間が株式市場で生き残るにはどうするか?

人は合理的ではない。株式市場の変動に関しても、相場が高くなったらそれがべらぼうな評価額でも「バスに乗り遅れるな」と高値で株を買い、株価が下落するとそれが行き過ぎだとわかっていても絶望して持ち株を全部売って大損したりする。非合理きわまりない。しかし、それが人間だった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

人間は理屈通りには動かない。しばしば感情で動く

1979年、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、経済学の常識を覆す論文「プロスペクト理論:リスク下の意思決定の分析」を発表した。この論文は、人々が不確実な状況下でどのように意思決定をおこなうかを分析し、人々がかならずしも合理的に判断していないことを表したものだった。

それまでの経済学は、「人は合理的な意思決定をし、期待される効用を最大化するように行動する」という考えに基づいていた。ところが、カーネマンとトベルスキーは、人々がかならずしも合理的な意思決定者ではなく、感情や認知的なバイアスによって意思決定がゆがめられることを示した。

具体的に言うと、どういうことか?

たとえば、人々は「利益を得るよろこび」よりも「損失をこうむる苦痛」を強く感じる傾向がある。たとえば、100ドルを得るよろこびよりも、100ドルを失う苦痛の方がはるかに感情を揺さぶる。

「とにかく、損を回避したい」

そうした感情が、人々の意思決定に大きな影響を与えていた。たとえば、トレーダーは損失を確定させることを嫌い、損失が拡大する可能性があっても、損失を出した株を保有し続ける傾向がある。

また、人々は損失を回避するために、リスクの高い行動を取ることもある。一番よく知られているのは、ギャンブラーが損失を取り戻そうとして、さらに大きな賭けに出るような行動をすることだ。確率より感情に走る。

人間は理屈通りには動かない。しばしば感情で動く。宝くじに当たる確率は非常に低いが、人々は「当たるかもしれない」と思って、途方もなく確率の低い宝くじさえも平気でカネを出す。感情が昂じると確率さえも無視する好例だ。

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「プロスペクト」こそが判断をゆがめる

もともと、人間の感情は効率的なものではないし、合理的なものでもない。人間は意志決定において、しばしばゆがんた解釈で動いたり、動かなかったりする。

損失を回避するために、「現状維持バイアス」を示す傾向もそうだ。現状維持バイアスとは、人々が変化を避け、現状を維持しようとする傾向のことである。

このままでは大損するとわかっていても損切りしなかったり、状況が変わったと感じていても何もしなかったりする。現状を維持したい、という理屈に合わない感情がそこにある。

また、人々は「確証バイアス」を示すこともある。確証バイアスとは、自分の考えや信念に合致する情報ばかりを集め、反証する情報を無視する傾向のことである。すべてのデータが「この市場はバブルだ」と示しているのに「今回だけは違う」と思い込み、そういう情報ばかり集めてバブル崩壊で破綻する人がいつの時代にもいる。

これらのバイアスは、人々の意思決定をゆがめ、非合理的な行動につながる可能性がある。こうした非合理な行動は、経済学だけでなく、マーケティング、金融、交渉など、さまざまな分野で観察されている。

ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、これを「プロスペクト理論」と名づけたのだが、プロスペクトというのは「将来の見込み、期待、願望」のことを意味している。

自分の都合の良い思い込み(プロスペクト)こそが判断をゆがめる。
それが、プロスペクト理論だった。

プロスペクト理論は、人間の意思決定における感情や認知的なバイアスの重要性を明らかにした。かくしてこの理論は、従来の経済学の枠組みでは説明できない人間の行動を理解するための強力なツールとなっていった。

ただ、人々の「思い込み」のパターンは無尽蔵なので、プロスペクト理論によって人々がどのように意志決定するのかは説明することができない。つまり、プロスペクト理論によって人々の行動を予測することが難しい。プロスペクト理論が示しているのは、「人々は合理的ではない」ということだけである。

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心理学の知見を取り入れた「行動経済学」

プロスペクト理論は、当時の経済学の限界から必然的に生まれてきたものだった。この理論が広がる1970年代まで、経済学は「人は合理的な判断をするはずだ」という前提で組み立てられていた。

だが、現実の経済現象は、かならずしも合理性で説明できるものではなかった。

たとえば、1970年代のオイルショックは、人々のリスク回避的な行動を浮き彫りにした。石油供給の途絶や物資不足への不安から、多くの人々がトイレットペーパーや洗剤などの日用品を大量に購入したり、通常では考えられない量の商品を購入するなど、理性的な計算ではなく衝動的な行動をした。

株式市場の変動に関しても、人々は相場が高くなったらそれがべらぼうな評価額でも「バスに乗り遅れるな」と高値で株を買い、株価が下落するとそれが行き過ぎだとわかっていても絶望して持ち株を全部売って大損したりする。おおよそ、合理的ではない。しかし、それが人間だった。

このような状況下で、心理学の知見を取り入れた「行動経済学」が注目を集めた。

行動経済学は、人間の意思決定における感情や認知的なバイアスの役割を研究する分野である。カーネマンとトベルスキーは、心理学の知見を経済学に応用し、プロスペクト理論を構築した。

プロスペクト理論は、当時の経済学の常識を覆すものであったが、現実の経済現象をよりよく説明できる理論として、多くの研究者や実務家から支持された。

1970年代は消費社会が成熟し、人々の選択肢が多様化した時代でもあった。人々は、さまざまな商品やサービスの中から、自分のニーズや好みに合ったものを選択する必要があった。このような状況下で、人々の購買行動を理解するために、プロスペクト理論が活用された。

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感情を制御できる自信がなければどうするか?

私たちの判断は、しばしば不安や、恐怖や、焦りや、欲望や、思い込みなどによってゆがめられていく。私たちは「自分は合理的だ」と思っていても、客観的に見ると合理的ではない可能性がある。

私たちに重要なのは、つねに自分自身ですらも客観的に見つめることなのかもしれない。自分の感情や思い込みを意識的に観察し、それらが結論にどのような「ゆがみ」を与えているのか、それができれば、より合理的で的確な判断に向かえる。

投資行動においては、合理的な判断ができるかどうかというのは、想像以上に重要なことである。感情で動いていたら、投資の成功はおぼつかない。

恐怖に支配されれば、株価が少し下がっただけでパニックに陥り、損失を確定させてしまう。逆に、欲望が強すぎると、根拠のない楽観主義に陥り、リスクを見誤って大金を投じてしまう可能性がある。

焦りも合理的な判断を吹き飛ばす。短期的な値動きに反応して衝動的に売買を繰り返せば、手数料や損失が積み重なり、資産は目減りしていく。あるいは、過去の成功体験や偏った情報に固執すれば、市場の変化に対応できず、大きな失敗を招く。

投資においては、感情を抑え、客観的なデータと論理に基づく判断が求められる。

もし、感情を制御できる自信がなければ、株式市場をすべて丸ごと買う意味で指数連動型のETFや投資信託を買い、それを機械的に積み上げるドルコスト平均法で、定期に、定額を、積み立てるように投資するのが一番いいのではないかと思っている。

指数を定期に定額を積立てるように買っていくのは、そうすれば投資に「感情が入らないから」である。下手に感情が入るよりも、感情が皆無なほうが変なことをしなくてもすむ。しかも、こうした淡々とした投資は、大半のヘッジファンドよりも運用成績が良かったりする。

投資の80%くらいは、いや場合によっては100%、それでいいのかもしれない。それくらい感情を制御するというのは難しいことなのだから……。

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