
株式市場は数字で成り立っている。だから数学者が活躍する余地がある。株式市場は人々の心理で動いている。だから心理学者が活躍する余地もある。株式市場は経済だ。だから経済学者が活躍する余地もある。しかし、数学者も心理学者も経済学者も勝てない。それには大きな理由がある。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
株式市場は数字で成り立っているのだが……
株式市場は数字で成り立っている。とすれば、投資の世界において、数学が果たす役割は極めて大きい。株式市場での数学といえば、現代ポートフォリオ理論はその代表例だろう。
1952年にハリー・マーコビッツが提唱したこの理論は、リスクとリターンの関係を数式で定量化し、分散投資の重要性を明らかにした。
具体的には、期待リターンを最大化しつつリスクを最小化するポートフォリオを構築するため、資産間の相関関係や標準偏差を計算に取り入れる。たとえば、株式Aと株式Bの相関係数が低い場合、一方が下落しても他方がそれを補う可能性が高く、全体の変動幅が抑えられる。
これを数学的に証明したのが現代ポートフォリオ理論であり、今日の資産運用の基礎となっている。
さらに、金融工学の発展が投資における数学の地位を高めた。ブラック・ショールズモデルはその一例だ。1973年にフィッシャー・ブラックとマイロン・ショールズが開発したこのモデルは、オプション価格を計算するための微分方程式を提示した。
原資産価格、行使価格、満期までの時間、金利、ボラティリティといった変数を入力することで、理論的なオプション価格を導き出す。
このモデルはデリバティブ市場の拡大を支え、トレーダーやヘッジファンドがリスク管理をおこなう際の標準ツールとなった。実際、2020年の米国デリバティブ市場の取引高は約300兆ドルに達しているのだが、その背後にはこうした数学的フレームワークが存在する。
ところが、である。数学だけでは投資の成功は保証されないのだ。それが露呈したのが、2008年の金融危機だった。
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株価は多くの人々の心理で動いている
リーマン・ブラザーズの破綻を引き起こしたサブプライムローン問題では、複雑な金融工学モデルがリスクを過小評価していた。モルガン・スタンレーの報告によれば、当時のモデルは住宅価格の下落率を5%程度と想定していたが、実際には30%を超える下落が発生した。
数学的精度に頼りすぎた結果、想定外の事態に対応できなかった。理論は現実を完全に捉えきれず、前提条件の崩壊は致命的な結果を招く。
ところで、株価は多くの人々の心理で動いている。そこで投資にも心理学が取りれられるようになっていった。この投資における心理学の影響は、行動ファイナンスの研究によって明らかにされている。
この分野は、投資家が合理的な判断を下さない現実を分析する。代表的な例が「損失回避バイアス」である。これについては、こちらでも取り上げた。(ダークネス:人は合理的ではない。合理的ではない人間が株式市場で生き残るにはどうするか?)
結局、人は「損すること」の痛みに弱く、それを必死で回避したがる。下落相場では多くの投資家の心が折れる。
2008年のスタンフォード大学の研究では、投資家がリスクを取る際には、前頭前皮質と扁桃体が活性化することを確認している。
扁桃体は恐怖や不安を司る領域であり、市場が暴落すると過剰反応を引き起こす。2020年のコロナショック時、S&P500が1か月で34%下落した際、多くの投資家がパニック売りをおこなった。
心理学者はそうした人々の心理が相場を動かすことを数々の下落相場で証明してきた。ところが、それで心理学者が株式市場で大儲けしたという話はまったく聞かない。なぜなのか。
それは、人々が有頂天になったり絶望したりする心理が株式市場を動かすとしても、「いつ・どのタイミングで」そうなるのかは心理学者ですらもわからないからだ。人々の心理が揺れ動くことはわかっていても、タイミングがわからなければ相場で利益を取ることができない。
結局、心理学者もまた相場で勝てないのだった。
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経済学の予測にも限界もあるということ
株式も投資も経済活動の一環だ。とすれば、経済学の重要性は、どれだけ強調しても足りないくらいだ。相場はGDP成長率や、インフレ率や、金利によって大きく左右される。そのため、多くの投資家が、そうしたマクロの動きに注目する。
国際通貨基金(IMF)のデータによれば、2022年の世界GDP成長率は3.4%だったが、2023年には2.8%に低下した。この減速は、企業収益の伸び鈍化を招き、S&P500の年間リターンがマイナス18%を記録する一因となった。
こうした動きを追っていた投資家は、相場が読めていただろう。
金利動向も同様だ。2022年に米連邦準備制度(FRB)が政策金利を4.5%まで引き上げた結果、債券価格が下落し、株式市場にも圧力がかかった。金利が上昇すると株価は下落するのだから、ここでも投資家は相場が読めただろう。
しかし、この経済学の予測にも限界もある。
2008年の金融危機では、多くのエコノミストが景気後退の規模を過小評価した。米労働省の雇用統計や住宅着工件数といった先行指標が危機を予見できなかった。実際、危機前の2007年にノーベル賞経済学者ロバート・ルーカスは「マクロ経済学は安定した」と主張したが、その翌年に経済は崩壊した。
経済学はたしかに役には立つが、現実の複雑さを完全に捉えられるわけではなかった。
経済学のもっとも大きな弱点は、突発的に起こる「予期せぬ出来事」に対応できないことかもしれない。2022年のロシア・ウクライナ戦争は、エネルギー価格を急騰させ、欧州の天然ガス価格を前年比300%上昇させた。
これがインフレを加速させ、欧州株の下落を招いた。経済学はこうした外部要因を後づけで説明してくれるのだが、突発的な事件をあらかじめ予期してくれているわけではないので、対応はどうしても後手に回る。
結局、経済学者もそうしたわけで相場を読み切って超リッチになっていくわけでもなかった。
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「相場は読めない」前提で市場に臨む
相場はあまりにもさまざまな要因で揺れ動くので、数学、心理学、経済学のいずれを駆使しても、それだけで勝てるわけではなかった。投資の世界で、数学者も心理学者も経済学者も勝てないのは、ここに理由がある。
結局のところ、相場は「読めない」というのがシンプルな結論なのだろう。とすれば、「相場は読めない」という前提で、株式市場に臨むのがもっとも現実的なスタンスではないか。
相場が読めないのであれば、相場を読んで売買するトレーダー的な動きは最初からやらないほうがいいという話になる。では、どうしたらいいのか。
長期投資がその答えとなる。
S&P500の過去100年間の平均年間リターンは約10%であり、短期的な変動を乗り越えれば安定した収益が得られる。1929年の大恐慌や2008年の金融危機でも、10年以上のスパンで保有した投資家は損失を回復した。
それならば、S&P500連動型ETFである【VTI】や【VOO】などを保有するのは、市場をもっとも簡単にハックする手段となり得る。【VTI】や【VOO】などは運用コストも低く、市場全体の成長を享受できる。
いつ買うのか? 今すぐ買えばいい。ただし、定期で定額を積立するように投資するスタイルがいい。こうした買い方をドル・コスト平均法と呼ぶが、毎月一定額を投資することで、高値では少なく、安値では多く購入できる。
2022年のような下落相場では、この方法が平均取得単価を下げ、翌年の回復で利益を拡大させることができる。データによると、1990年から2020年までの30年間で、ドル・コスト平均法を用いた投資家は一括投資よりもリスク調整後リターンが高いことがわかっている。
予測しないで資産を増やすには、そうやって自分の感情を排して機械的に積み上げていくのがもっとも合理的だ。合理的な投資は大好きだ。最後には、合理性がモノをいう世界なのだから……。
