
スタンレー・ドラッケンミラーという投資家を知っているだろうか? ソロスと共にイングランド銀行相手に空売りして大儲けした投資家なのだが、その後も多くの投資を成功させて時点で彼の資産は62億ドル(約9,289億円)を超えており、今なお金融界で影響力を持ち続けている。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
スタンレー・ドラッケンミラーとは誰なのか?
スタンレー・ドラッケンミラー(Stanley Druckenmiller)という投資家を知っているだろうか? アメリカの伝説的な投資家であり、ヘッジファンドマネージャーとして世界的に名を馳せた人物である。
1953年、ペンシルベニア州ピッツバーグに生まれ、ボウドイン大学で英語と経済学を専攻し、1975年に卒業した。その後、ピッツバーグ・ナショナル銀行(PNC)でエコノミストとしてキャリアをスタートさせた。
1981年、ドラッケンミラーは自らのヘッジファンド「デュケイン・キャピタル・マネジメント(Duquesne Capital Management)」を設立し、卓越したパフォーマンスを続けた。
注目すべきは、1988年にジョージ・ソロスが率いる「クォンタム・ファンド」のチーフストラテジストに就任したことである。彼はソロスの右腕として、マクロ経済の動向を正確に見抜き、巨額の利益を生み出す戦略を実行した。
ドラッケンミラーの名声を確立したのは、1992年の「イングランド銀行破壊事件」である。当時、イギリスは欧州為替相場メカニズム(ERM)にポンドを固定していたが、英国経済は低迷し、その水準を維持できない状況に陥っていた。
ドラッケンミラーはこの異常な状況にいち早く気づき、ジョージ・ソロスとともにポンドの空売りを仕掛けた。その結果、イングランド銀行はポンド防衛に失敗し、ポンドはERMから撤退。
ドラッケンミラーとソロスは一日で10億ドル以上の利益を得た。この取引は金融史に残る出来事となり、彼の名は世界中に広まった。
その後も、ドラッケンミラーはデュケイン・キャピタルで卓越した投資成績を維持し続けたが、2010年にファンドを閉鎖し、個人投資家として活動を続けている。2025年時点で彼の資産は62億ドル(約9,289億円)を超えており、今なお金融界で影響力を持ち続けている。
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「勝算があるときは大きく賭ける」という信念
スタンレー・ドラッケンミラーの投資哲学は、非常に明確でシンプルだ。それは「勝算があるときは大きく賭ける」という信念に基づいている。彼は分散投資を好まず、確信の持てる数少ない案件に集中して資金を投入する。
一般的な投資家は、リスクを回避するために多様な資産に分散投資する傾向があるが、ドラッケンミラーは「私は少額の賭けは好きではありません。チャンスがあれば、全力で賭けます」と語っている。この方針は、彼の成功の根幹である。
彼は、マクロ経済のトレンドを読み解く能力に長けており、その知識を活かして投資のタイミングを見極めてきた。
特に、FRB(米連邦準備制度)の金融政策には絶対に逆らわないというルールを徹底している。ドラッケンミラーは「金利が低いときは積極的にリスクを取り、流動性が逼迫した場合は素早く防御に転じる」と述べており、これを忠実に実践してきた。
たとえば、2008年のリーマン・ショック時には、世界的な金融危機が迫っていることを察知し、リスク資産から素早く撤退した。
さらに、2009年には景気回復の兆しをいち早く見抜き、積極的に株式市場へ再参入して巨額の利益を上げた。この迅速かつ大胆な行動が、ドラッケンミラーの投資哲学を象徴している。
また、彼は複雑な投資手法を好まず、シンプルな戦略に基づいて意思決定をおこなう。ドラッケンミラーは「最高のアイデアはシンプルだ」と述べており、長々としたレポートや複雑なモデルに依存することを避けてきた。
たとえば、ポンドの空売りに際しても、英国経済の現状と為替制度の矛盾というシンプルな事実に基づいて判断した。この「単純さと大胆さ」の哲学が、彼の投資の成功を支えている。
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事実が変われば、考え方も変えるべきだ
投資の世界では、感情的な判断ミスが失敗の大きな原因となる。市場が暴落すると、多くの投資家はパニックに陥り、冷静な判断ができなくなる。
だが、ドラッケンミラーは感情に流されることなく、冷静かつ柔軟に行動することで成功を収めてきた。彼は「柔軟性がなければ、死んでしまう」という哲学を持ち、状況が変われば迅速にポジションを見直すことをためらわない。
1992年の「イングランド銀行破壊事件」でも、ドラッケンミラーの柔軟性は際立っていた。当時、ポンドの防衛策が失敗する兆候を察知した彼は、即座に巨額のポジションを取って空売りを開始した。
イングランド銀行の政策がポンドの維持に失敗した瞬間、彼のポジションは莫大な利益を生み出した。この決断力と柔軟な対応が、ドラッケンミラーの投資成功を決定づけたのだ。
また、彼は「事実が変われば、考え方も変えるべきだ」という姿勢を貫いている。投資判断において、一度の失敗に固執せず、柔軟に軌道修正をおこなうことで損失を最小限に抑えてきた。
たとえば、2000年のITバブル崩壊前夜、彼はハイテク株に強気だったが、市場の過熱を察知するとすぐにポジションを縮小し、大きな損失を回避した。この冷静な判断力と迅速な行動こそ、ドラッケンミラーの成功の核心である。
さらに、彼は市場のボラティリティ(価格変動)にも動じることなく、長期的な視野で投資をおこなってきた。
多くの投資家が短期的な価格変動に翻弄される中、ドラッケンミラーは冷静に状況を分析し、柔軟にポジションを調整してきた。この感情を排除した合理的なアプローチが、彼の成功を支え続けている。
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ドラッケンミラーとバフェットの投資哲学
興味深いのは、ドラッケンミラーとウォーレン・バフェットの投資哲学には、根幹の部分でけっこう似ていることだ。
たとえば、ドラッケンミラーは「チャンスは年に1、2回しか来ない。そのときは大きく賭けるべきだ」と語っている。多くの投資家はリスクを恐れて慎重になりすぎ、大きな機会を逃してしまうというのがドラッケンミラーの持論だ。
この確信が持てる場面では、「大きく賭ける」というのがバフェットとそっくりだ。大きく賭けると、大きな成果が得られる。ドラッケンミラーはポンド空売りの際、「全資産」を賭ける大胆な決断を下している。
普通、どんなに自信のある投資アイデアでも、それに全財産を賭ける人は、なかなかいない。このあたりは勝負師としてのバフェットやドラッケンミラーの真骨頂かもしれない。
バフェットはシンプルさを好むが、これについてもドラッケンミラーも同様だ。ドラッケンミラーは「最高のアイデアはシンプルだ」と述べている。彼は複雑な分析や冗長なレポートを避け、本質を見抜くシンプルな視点を重視してきた。
ポンドの空売りも、英国経済の低迷とポンドの固定相場という単純な要因の組み合わせに基づく判断だった。投資だけでなく、ビジネスや問題解決の場面でも、シンプルな考え方が重要であることを彼の哲学は示している。
・チャンスには大きく賭けること。
・投資アイデアはシンプルなこと。
投資界の大物がだいたいこの2つの意見に収斂しているというのは、それが真実であることを意味している。この大物たちの哲学は、投資のみならず、あらゆる意思決定の場面で応用可能であり、長期的な成功を目指す上で極めて有益な示唆を与えるものだと思う。
