宝くじは望んでも当たらないが、交通事故は望まなくても当たる。それが人生だ

宝くじは望んでも当たらないが、交通事故は望まなくても当たる。それが人生だ

経済的になんともならないのであれば、きちんと働いて、支出を管理し、貯金し、宝くじみたいな確率の低いモノを買わず、着実に資金を積み上げるのが王道なのだ。一攫千金的な手段は、人生を破綻させる。宝くじも当たらない。だが、そう言っても宝くじを買う人のほうが多いのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

宝くじは当たらないが交通事故には遭う

ジャンボ宝くじで1等が当選する確率は「1000万分の1」、年末ジャンボは「2000万分の1」。これは雷に打たれる確率と同程度だという。そんな勝率の悪いものを買うくらいなら、その資金を貯金に回したほうがよっぽどいい。

だが、そう言っても宝くじを買う人のほうが多い。なぜなら、宝くじは何も考えなくてもいいし、一等が当たったら何億円も入ってくるからだ。当たらないとは言っても、どこかで当たった人がいるのは間違いなくて、自分もあやかりたいと思う。

1000万分の1なんて、ほぼ当たらない。理屈で考えたらそうだ。それでも、当たるかもしれないと多くの人は思ってしまう。「ひょっとして」と考えるのだ。

面白いことに、その同じ人が「自分は自動車事故なんかには遭わない」と漠然と思っていたりする。ところが、その自動車事故は、けっこうな確率で遭うことがわかっている。2024年のデータでは約250人に1人が事故に遭う。

1000万分の1と、250分の1なら、どう考えても250分の1のほうが確率が高い。だから「宝くじは当たらないが交通事故には遭う」と考えるのが合理的思考でもある。宝くじは望んでも当たらないが、交通事故は望まなくても当たる。ちなみに私も交通事故に遭って半年も歩けなかった。それが人生だ。

もっとも、このような合理的な計算をする人は、世の中にほとんどいない。

なぜなのかというと、そこには殺伐とした現実があるだけで「夢」がないからだ。宝くじはほとんど当たらない。だが、多くの人はその現実に目をつぶって「どうせ当たらない」と達観しながら宝くじを買う。

どうせ当たらないと言いながら、「ひょっとしたら」という夢が心をかき乱す。ある意味、悲しい感情の動きであると思う。

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自分の人生の一発大逆転が、そこにしか存在しない

失業者も、無職者も、年金生活者も、生活保護受給者も、みんな宝くじを買っていることが知られている。働かなくても、働けなくても、収入がなくても、なけなしの金を宝くじに使う。

それは、限りなく非合理な選択である。経済的に逼迫しているのであれば、1円も無駄にしてはいけない。本来であれば、当たりもしない宝くじを買うような無駄は慎まなければならないはずだ。

足りていないのであれば節約するのが筋であり、確率の低いギャンブルに散財するというのは合理的ではない。

はっきり言って、宝くじというのは「買わなくてもいいモノ」の最たるものである。ほとんど当たりもしない紙切れである。それでも、彼らの一部は宝くじを買うことをやめられない。

なぜなら、宝くじこそが自分の人生に一発大逆転の大金をもたらしてくれる可能性がわずかでもあるからだ。もし大当たりすれば、コツコツと貯金をしている人間を尻目に一気に人生の勝ち組になれるかもしれない。

そんな「夢」が、わずかながらでも宝くじにはある。

コツコツ貯金しても、たかが知れている。面白くもない。だが、宝くじに当たったら世田谷区の一戸建て住宅でも、ポルシェでも、ブルガリでも、ファーストクラスで豪華海外旅行でも、何でも好きにできる。一夜にして、人々の羨望の的だ。

だから、どれだけ確率が低いと言われても、宝くじを買う人には、そんな無粋で現実的な言葉はまったく耳に入らない。満足できない現状を劇的に変えてくれる可能性がある宝くじに賭ける。

「買わなければ当たらない」と言って、確率の悪いものに大切な金を無駄なものに費やしていく。すがるべき「夢」がそこにしかないからだ。一発大逆転がそこにしか存在しないから、どうせ当たらないと言いながら、すがるような思いでそこに賭ける。

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もしかしたら、楽して大金持ちになれるかも

面白いことに、一発大逆転や一攫千金を望む人の多くは、堅実性や確実性を嫌う。まじめに働けばそれなりに収入を得られて食べていけるのは間違いない。だが、まじめに働くのがかったるい。

収入をきちんと手に入れるという意味で言えば、「働く」というのは堅実であり確実である。誰よりも働くというのは愚直ではあるが確実でもある。働かずにパチンコや競馬や宝くじで何とかしようと考えるほうが無謀である。

ところが、ギャンブルにのめり込む人は、肝心の「働く」という部分に熱意を見出さない人が多い。熱意どころか、それを必死で回避しようとする人もいる。もちろん、働かないで宝くじを買う人も同じことが言える。

収入を得るには、まず「働く」ことがもっとも着実な方法であるにもかかわらず、基本をきちんと押さえない。重要な部分をおざなりにして、不確実な方向を熱心にする。そうなってしまうのは、私にもわかる。

「働く」というのは楽ではないからだ。

朝は眠いのに起きて、満員電車に揺られて会社にいき、体調が良くても悪くても、雨が降っても風が吹いても、上司や顧客に理不尽なことを言われても、淡々とやるべき仕事をしなければならない。それが「働く」ということである。

しかも、雇用者は必要以上に給料をもらえるということはない。往々にして給料は足りない額であり、しかもどんなに一生懸命に働いてもいきなり給料が倍額になることもない。

「働く」ということは定期的に金を手に入れるための確実な方法であるのは間違いないのだが、確実であってもそこには夢も希望もない。場合によっては、強いストレスだけしかない人もいる。

だから「働く」という堅実性や確実性に真剣になれず、ひとときの夢を見させてくれるギャンブルにのめり込み、宝くじを買ったりする人がいるのだ。たとえ、それが確実性に欠けていたとしても、大当たりするという夢がほんの少しでもあるのなら、それにすがる。

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着実な「積み上げ」の向こう側に夢を見るべきだ

宝くじの夢は、現実逃避の最たるものだ。現実逃避がしたい人がそれを買う。切れ目のない努力や、長い時間をかけて磨き抜かれた能力が介在しない場合、その多くは現実逃避である。

当然のことだが、現実逃避で現実を乗り切ることは無理だ。

現実を乗り切るには、逃避した現実にふたたび戻らなければならない。人生の一発大逆転やよくわからない一攫千金ではなく、無理のない範囲で確実に「積み上げる」のが重要だ。

「積み上げる」というのは、貯金でも投資でも資金を失うことなく増やせるものを指す。一生懸命に働いて、毎月3万円を貯めるというのも「積み上げる」ものであり、それはとても堅実であり確実だ。

その前に、毎日ちゃんと働いて毎月の給料を手に入れるというのも「積み上げ」である。きちんと働くという実績の積み上げは、長い人生の中でもっとも堅実なものだ。

着実な計算があれば、妄想的な夢は必要ない。必要なのは夢ではなく遂行能力だ。明るい未来を見たいというのであれば、このような着実な「積み上げ」の向こう側に未来を見るべきである。

才能や能力ですらも、日々の努力や精進や工夫による「積み上げ」で手に入れる必要がある。それは妄想で手に入らない。また、棚からぼた餅で手に入れるものではない。

宝くじの夢がただの現実逃避であるのは、そこには「積み上げ」も何もないからである。「積み上げ」は楽ではない。手間も時間もかかる。だが、その基本をおろそかにしているようでは、この弱肉強食の世の中で生き抜くことはできない。現実逃避して生きてもしかたがない。

経済的になんともならないのであれば、きちんと働いて、支出を管理し、貯金し、宝くじみたいな確率の低いモノを買わず、着実に資金を積み上げるのが王道なのだ。一攫千金的な手段は、人生を破綻させる。

私自身は「宝くじを買わない」というところから合理的精神が育まれていくのだと思っている。宝くじを買っているうちは、自分は合理的な判断力や行動が身についていないと思うべきだ。

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