
デイトレードは、即効で結果がわかる。勝てば脳内でドーパミンが大量に分泌される。つまり、即効で快楽が得られる。勝負時にはアドレナリンが大量に身体を駆け巡り、勝てばドーパミンが分泌される。負ければ悔しさが込み上げてもう一度やろうと思う。かくしてトレーダーは抜け出せなくなっていく。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
勝ち続けるのは並大抵のことではない
相場が荒れてボラティリティが高くなっている。ボラティリティが高くなるというのは、右肩上がりだけを望んでいる投資家にとっては不穏な状況なのだが、このボラティリティをよろこぶ人間もいる。それは、トレーダーである。
ボラティリティが高くなればなるほど、トレーダーたちはチャンスとスリルと刺激を感じるようになる。値が大きく動いて下落したところを拾うことができたら一瞬で大儲けすることができる。どんどん回転率を上げることができる。もちろん、取引(トレード)に失敗することもあるが、それはスリルである。
FX(外国為替証拠金取引)や、仮想通貨の売買や、株式の信用取引や、その他すべてのデイトレードは、そこで成功するのは恵まれた反射神経と強運が必要になってくる。短期になればなるほど、相場の動きはランダムになる。
このランダムな動きの中で、トレーダーは「上がるか下がるか」を単純に賭ける。勝った者は、負けた者の利益を総取りする。誰かが儲かれば誰かが損をする。これを「ゼロサムゲーム」と呼ぶ。
このランダムな動きの中で勝ち続けるのは並大抵のことではない。
デイトレードの99%は残り1%に資金をかっさらわれていく。1%の養分となる。だが、この1%の勝者もトレード(取引)を続ける限りは、勝者というポジションを保証されているわけではない。そうであれば、「勝ち逃げ」すればいいと部外者は簡単に思う。
ところが、それができないのだ。
なぜか。100万円を勝てば「トレードでこの100万円を200万円にすることができるかもしれない」と思う。思惑通りに200万円が転がり込めば「次のトレードでこの200万円を400万円にすることができるかもしれない」と思う。
そうやってデイトレーダーは勝負にのめりこみ、そこから降りられなくなる。
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トレードに引き込まれた者は逃れられない
彼らは負ければ負けたで、やはり勝負から降りられない。部外者は「傷が深くならないうちに降りればいいではないか」と簡単に言うが、トレーダーには「負けたまま降りる」という選択肢はない。
トレーダーは、ほとんどが「次は勝てるかもしれない」と考えるからだ。「相場の損は相場で取り返せ」とも言われる。「負けた」という状態で勝負を降りたら、ただの負け犬だ。次で勝てば負け犬から脱する。
そのため、いくら負けが続いても、いや負けが続けば続くほど、そこから抜け出せなくなってしまい、最後には資金のすべてを失うか、もしくは莫大な借金を抱えることになる。
しかし、そうなっても、やはり「次は勝つかもしれない」と思うのがデイトレードの怖さだ。FX(外国為替証拠金取引)で自己破産したトレーダーが、働き始めたのはいいが最初の給料をまたトレードに全額つぎ込んだという話はフィクションではない。
勝っても負けても、トレードに引き込まれた者はそこから逃れられない。
中にはこうした世界で超絶的な才能を発揮して億単位のカネを手に入れる勝者も「わずか」に存在する。100%勝てない世界ではなく、トレードの才能がある「わずか」な人間が勝てる世界なのだ。
これは宝くじと同じで、すさまじく勝率は低いものの、それでも隕石が自分に当たるような幸運で当てる人も世の中にはいるのだ。そうした「わずかな事例」があるから、よけいにトレーダーは離れられなくなるとも言える。
「才能があるのかどうかは、トレードをやっている途中で気づくはずだ。才能がないと思えばやめればいいではないか」と言う人もいるが、そこにもトレーダーを錯誤させるワナがある。
デイトレードは1回だけやって1回負けてすべてが終わるというものではない。小さな勝負を無数に、無限に繰り返す。その中で、たしかに「勝てたトレード」も積み重なるのだ。だから、大きく勝てばいけるとトレーダーは思い込む。
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一瞬にして自分に快楽を与えてくれる即効性
デイトレードは、即効で結果がわかる。勝てば脳内でドーパミンが大量に分泌される。つまり、即効で快楽が得られる。勝負時にはアドレナリンが大量に身体を駆け巡り、勝てばドーパミンが分泌される。
これが「スリル」となってやめられない。この刺激がデイトレーダーを虜《とりこ》にする大きな原動力だ。即効でスリルを味わい、それをくぐり抜けて利益が出たら脳内に快楽物質が広がって多幸感を味わえる。
負ければどうなるのか。負ければ多幸感はないのだが、多幸感を求めて「もう一度やろう」という動機が生まれる。多幸感が手に入ればもっと欲しくなり、多幸感が手に入らなければ次のトレードで多幸感を手に入れようとする。
まさに無限地獄がそこに待っている。
これがトレードの魔力なのだ。つねに勝ち続けるトレードはなく、つねに負け続けるトレードもない。それが感情の高ぶりや悔しさを生み出して飽きない。
そうやってのめり込んでいくうちに、ついにはトレード中毒になって、朝から晩まで24時間そこに張りついて、他のことは何もできなくなっていく。そして、いつしかひとつひとつのトレードが雑になっていき、破綻の道を歩んでいく。
それだけのエネルギーと労力を労働に注ぎ込めば、そちらの方が着実にカネが儲かる。勉強に注ぎ込めば、素晴らしい知識も手に入る。だが、けっしてそのような選択は取られることはない。
トレードに全精神を賭けてのめり込むほどの集中力とエネルギーがあるのに、どうしてこのようなトレーダーが仕事や勉強にその集中力を発揮できないのかと言えば、そこには「スリル」がないからだ。
一瞬にして自分に快楽を与えてくれる即効性がない。トレードにはあるが、仕事や勉強にはそれがない。
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再起したらまたデイトレードに戻る
即効性というのは、別の言い方では「目先の利益」と言い換えることができるかもしれない。目先の利益にとらわれると長期的な展望が見えなくなる。目先の利益だけしか見えず、それを追うことしかできなくなる。
デイトレーダーと長期投資家がまったく違う人種なのは、視点が違っているからである。デイトレーダーは、つねに目先の利益を見て、長期投資家はつねに遠い先の利益を見ている。哲学も手法だけでなく、ライフスタイル自体も違う。
デイトレーダー的な気質と考え方に完全に固定化された人は、いくら長期投資の理論を知ってもそれを実践できないのは、どうしても目先の利益を追う「習性」があって、その習性を捨てきれないからだ。
「長期的に見れば有利なものを持つ」「複利で増やしていく」と言われても、本質的には短期でいかに利益を手に入れられるかという即効性を求める習性が強すぎて、もはや長期投資の哲学がまったく身につかない。
デイトレードに染まってしまったら、デイトレードしかできなくなる。
すべてを失って、いったい自分の身に何が起きたのか振り返り、心理を分析し、そして「別のやり方もあったのではないか」と自問自答できるようになるまで、他のやり方ができない。
「別のやり方があったかも」という考えかたに、たどり着く前に、デイトレーダーはこのように考えるのが普通だ。
「もっとうまくトレードすれば良かった。もう一度やってみよう」
そんなわけで、デイトレーダーは資金をすべて吹き飛ばすまでそれを続け、すべてを吹き飛ばしても再起したらまたデイトレードに戻ることになる。デイトレードの恐ろしさはそこにある。そこにハマったら抜けるのは容易なことではない。
長期投資家とデイトレーダーは同じ金融市場にいても、まったくの別の人種であり、その方法論が交わることがない。長期投資家にはデイトレーダーのやっていることを真似たくないし、デイトレーダーも長期投資家のやっていることを真似ることはできない。
それぞれ別の道をいくしかない。
