
世の中には「錯覚資産」と呼ばれるものがある。分相応なブランドなどは「こういうものを持っているから金持ちだろう」という錯覚を抱かせるモノとして機能する。それは自分を過大評価させるための道具なのだ。世の中には、借金まみれになっても過大評価されたい人が大勢いる。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
「人は見た目が9割」とか言われるが……
安い服を着て、ジャンクフードを食べていたら、2億円以上の株式資産を持っていても誰も気にもとめない。5000万円の借金を抱えていても、ポルシェに乗って、デザイナーブランドの服を着ていれば、誰もが金持ちだと錯覚して注目する。
人は他人の経済状況を判断するとき、かならずしも実際の数字を見ているわけではない。モノを見て判断する。そして、往々にして判断を誤る。
第一印象として「見た目」が与える情報量は圧倒的である。「人は見た目が9割」とか言われることもある。安価な服装を着ていて安いチェーン店で食事をしている人を見たら、「この人は余裕がないのではないか?」と思ってしまうのは当然だ。
ビル・ゲイツも適当な服を着てマクドナルドで割引クーポンで買ったチーズバーガーを食べていたりするのだが、全米屈指の金持ちであったとしても、そうやっていると超富裕層とは思われないだろう。
逆に、高級ブランドのロゴがついたバッグや服を着て、ポルシェのハンドルを握っている人を見たら、借金まみれでトラブルだらけであっても「金持ちではないのか?」と思われる。
こうした錯覚は見た目から生まれているのだが、逆に言えば見た目でその人の資産価値を判断しようと思っても意味がないということに気づかなければならない。
よく、テレビや映画では、高所得者がタワーマンションに住んでハイブランドや高級レストランを利用するシーンが繰り返し描かれるのだが、私はあれを見るとステレオタイプの虚像なのだろうと薄ら笑いしか出てこない。
そういう金持ちも、たしかにいる。だが一方で、自分が金持ちであることを誇示しないで、普通に庶民的で平凡な暮らしをしている金持ちもかなり多い。金持ちだから贅沢しなければならない法律はない。
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ブランド品や高級車は「錯覚資産」としての効果
世の中には「錯覚資産」と呼ばれるものがある。分相応なブランドなどは「こういうものを持っているから金持ちだろう」という錯覚を抱かせるモノとして機能する。それは自分を過大評価させるための道具なのだ。
世の中には、借金まみれになっても過大評価されたい人が大勢いる。
借金をしてでもハイブランドのバッグを買う人は、自分の経済状況を顧みず、そうやって「自分が豊かである」という演出していることになる。高級なものを身につけていると、周囲の視線は一瞬で変わる。
「金持ちかもしれない」「重要な人かもしれない」と思われる。実際には錯覚なのだが、自己承認欲求の強い人などは、その錯覚を通じて、プライドや社会的信用を獲得しようとする。
金持ちと思われたら、金持ちの界隈に入れてもらえるかもしれない。そうやって金持ちの空間に潜り込むと、自分の虚栄心を満たすことができたり、人脈を作って誇示して自尊心を満たしたりすることもできる。
しかし、錯覚資産は持続性がない。
見てくれと虚栄のために金を使うのは投資でも何でもなく、ただの浪費でしかないので、その浪費によって借金返済や高い維持費に追われることになる。それは、遅かれ早かれ本来の生活基盤を崩壊させる。
真の資産家は支出に関してはかなり合理的で論理的であったりするので、虚飾よりも投資のほうがリターンをもたらすと思ったら、虚飾には1円も資金を出すことはない。自分をブランド服で着飾ってもリターンがないのなら、そんなものに興味を持たない。
だが、ブランドを身につけて得られるらしい一時的な高揚感や、周囲の賞賛に価値を見いだすような人は、リアルな資産の構築よりも消費による錯覚を優先してしまう。そして、結局は自分で自分の首を絞めていく、
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「見せかけ」の錯覚資産に人々の注目が向かう
数億円の株式資産を保有しながらも、ユニクロやスーパーで買った安い服を着て、どこでも売っている数千円の時計をして、安いチェーン店で食事しているような人を見ると「何のために金を持っているのか?」と疑問に思う人もいるかもしれない。
べつに、こうした資産家は異常なわけではない。
彼らは資産の運用益を再投資に回し、複利効果を最大化する戦略をおこなっていたりする。そうしているから金持ちになったとも言える。彼らは表面的には質素でも、裏では膨大な金融資産が増大している。
もし彼らが最初からブランドを買って、高級レストランで食べまくって、夜の店で豪遊していたら、そもそも数億円の資産は築けなかっただろう。
こうした普通の人にまぎれる資産家は、高級車やブランド品に金を払うことを「資本の浪費」として嫌う。無駄な固定費を削減し、投資機会に資金を集中させることを合理的かつ効率的だと判断している。
それで、周囲からは金持ちとは思われずに素通りされることになる。世間の可視化された錯覚資産と実際の資産は、大きなギャップを生み出しているとも言える。
中には「見える化された資産は課税対象になりやすい」という理由で、わざと質素にしている金持ちもいる。あるいは、無駄な税金を払いたくないという理由で、含み益を長期投資でずっと先延ばしする金持ちもいる。
経済活動における合理性が際立っているとも言えるが、この構造を理解している本当の資産家は、無駄な支出が減るので皮肉なことに、どんどん質素になっていく。
実のところ、支出を減らして投資を増やすという戦略的思考は、経済的な豊かさを生み、錯覚資産で金を浪費する虚栄は経済的な貧困を生み出す。にもかかわらず「見せかけ」の錯覚資産に人々の注目が向かうのが興味深い。
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見せかけの錯覚資産は、大切な資金を奪うだけ
錯覚資産に浪費するライフスタイルや、それに対する憧れは、他人の視線や社会的イメージに振り回されている可能性がある。借金を重ねてまでブランド消費に走る行為は、一種の自己欺瞞だ。他人を騙しつつ、自分も騙している。
見た目だけの錯覚資産を誇示しても、それは本当の資産ではない。
必要なのは「錯覚」ではなく「リアル」な資産である。そのリアルな資産を積み上げて増やしていくためには、自分自身の価値観を見つめ直し、他人の評価や社会的イメージに左右されない生き方を選ぶことが大切だ。
その上で、奇妙な「錯覚資産」に走ったりするのではなく、収入と支出のバランスを見極め、堅実に資産を積み上げていく姿勢に変えていく必要がある。
具体的には、無駄な浪費を抑え、将来のための投資や貯蓄を優先することが重要だ。金融リテラシーを高めることで、資産運用の選択肢が広がり、着実に資産を増やすことが可能となる。
ちなみに、築き上げた資産はいちいち他人に誇示する必要はない。
長く堅実な投資をしていると、自分が想像する以上の資産が貯まる。だが、他人にそれを自慢する必要性は皆無だ。「億り人になった」とか馬鹿なことを言っていると、金のニオイを嗅ぎつけた人間がうじゃうじゃとやってきてタカリ始める。詐欺師もくれば、税務署もくる。
くだらないことを誇示してよけいなトラブルを抱えるくらいなら、誰にも何も言わないで最初から不要なトラブルを回避しておいたほうがいい。
リアルな資産は見た目では判断できないが、いざという時に自分を守ってくれる本当の「安心」や「自由」をもたらすのだから、黙ってそれを享受していればいい。
私は錯覚資産で他人を幻惑している人も見ているが、そういうのには近寄らないようにしている。見せかけの錯覚資産は大切な資金を奪うだけだが、それが理解できない人は一緒にいてリスクだからだ。
