
総務省の出している2024年(令和6年)「家計調査報告(貯蓄・負債編)」によると、貯蓄現在高の平均値は1,984万円。しかし、一部の富裕層が平均を引き上げているだけで中央値は1,189万円。全体の約67%、およそ3分の2の世帯は、貯蓄現在高が平均値(1,984万円)に達していない。それが現実だ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
どちら側から見ても、実情にも合っていない
総務省の「家計調査報告(貯蓄・負債編)」が発表されるたびに、多くのメディアは「平均貯蓄1,984万円」という数字を大きく取り上げる。見出しだけを見れば、日本人の多くが2,000万円近い貯蓄を持っているかのような印象を受ける。
だが、この数字をそのまま信じるのはやめたほうがいい。
「平均値」は、けっして「標準的な日本人の姿」を表していない。このことに気づかず、数字の罠にはまる人が多い。2,000万円というインパクトのある数字は、現実から大きく乖離している。
実のところ、「家計調査報告」で報道される平均値はいつも右肩上がりで増え続けているので、社会全体が豊かになっているかのように見えてしまう。これは完全なる錯覚である。
たとえ社会が貧困化していても、平均貯蓄が右肩上がりになることもある。
どう言うことか。平たく言えば、「ほんの一部」の高額資産を持つ富裕層が、全体の数字を大きく押し上げているため、実際の大多数の暮らしぶりを正確には反映していないのが平均値なのだ。
たとえば、10人の人がいて9人が貯蓄100万円で、1人が貯蓄1億円だとする。すると、平均貯蓄はいくらになるのかというと、1,090万円となる。90%の人間が100万円なのに、1人のせいで平均貯蓄は1,090万円になってしまうのだ。
これだけを見ても、平均貯蓄なんか何の役にも立っていない数字であることがわかってくるはずだ。ほとんどの人の貯蓄額である100万円からも外れているし、たった1人の人の1億円からも外れている。どちら側から見ても、実情にも合っていない。
平均貯蓄「約2,000万円」もそうなのだ。それは、誰の実情にも合っていない。
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「みんなが2,000万円を貯めている」わけがない
世間では2019年に「老後2,000万円問題」が騒がれたことが記憶に新しい。これは、金融庁の報告書が「老後資金として2,000万円が必要」と指摘したことから生じた社会不安だった。
もちろん、その議論でもしばしばこの「平均値」が使われてきた。はっきり言って、実態を見ると日本人の多くの世帯がこの数字に到達していないのがわかるはずだ。
それにもかかわらず、「みんなが2,000万円を貯めている」という漠然としたイメージが形成され、その数字がアンカーとなって同調圧力や不安感が生まれている。
重要なのは、「平均」と「中央値」はまったく異なる性質の数字であることだ。
2024年の同調査で、中央値は1,189万円と報告されている。平均値1,984万円と比較して、実に800万円近い開きがある。
この「中央値」とは何かというと、すべての世帯を資産額で並べて、ちょうど真ん中に位置する世帯の値を指す。つまり、それが「日本人の中間層」が持っている貯蓄額を示している。その数値が「1,189万円」だった。
そのため、意味のない「平均値1,984万円」で見てしまうと、不要な不安を生み出すことになる。
調査では、貯蓄が平均値を下回る世帯は全体の約67%もいる。つまり3分の2にも及ぶ。これが多数派だ。大多数の日本人が2,000万円の貯蓄に達していないので、「自分は2,000万円なんか持っていない」と悩む必要はない。
日本人の大半は「2,000万円の壁」を超えられていないのに「平均・約2,000万円」という言葉だけがひとり歩きしているので、ここで多くの人が自分の家計と社会全体の乖離に戸惑う状況が生まれてしまっているのだ。
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人生の中でなかなか到達できないハードル
日本の家計調査における「平均値」がこれほどまでに高くなって、さらに「中央値」との乖離が大きくなってきているというのは何を意味しているのか。そこには「経済格差」があって、それが広がっていることに他ならない。
格差が広がり、富裕層がより豊かになっている。「9人が100万円、1人が1億円。平均貯蓄額は1,090万円」の例を見てもわかるとおり、ごく一部の富裕層の存在が存在することで平均値が大きく押し上げられる。
統計の世界で「平均値の偏り」として知られる現象だ。
家計調査によると、貯蓄額上位10%の世帯は平均7,707万円もの資産を保有している。さらに上位5%に限定すれば、その平均は1億円を超える。一方で、貯蓄額がゼロの世帯の割合は、全体の約15%存在する。
ほとんどの日本人にとって、1,000万円や2,000万円という金額でさえ、人生の中でなかなか到達できない大きなハードルである。
だが、上位5%や10%の世帯が10億円、20億円といった莫大な資産を持つことで、たとえ全体の67%の世帯が1,984万円に届かなくても、統計上の「平均値」はつねに高止まりする。
世間一般では「自分も平均くらい貯めていないといけないのでは」と感じてしまう人が多いが、「平均値」と「自分の現実」を重ねて考えること自体が、すでに的外れになっている。
中央値は意識しておいたほうがいいと思うが、平均値は何の実態も示していないので忘れて構わない。
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「取り残され感」や「社会的な分断意識」
現役世代や若年層、非正規雇用者、子供を持つ家庭にとっては、日々の生活を回すだけで精一杯という状況が続いている。特に近年は物価上昇や社会保険料の負担増も重なり、「思うように貯蓄が増えない」と感じる層が増加している。
子育て世帯の場合、教育費や住宅ローンの負担が重く、計画的な資産形成が難しくなっているのが現実だ。収入が伸び悩む一方で支出だけが増える状況では、将来への漠然とした不安が広がっている。
一方で、上位層は資産運用や不動産投資、株式市場の値上がりなどによって、資産を順調に増やしている。相続による資産承継も加わり、資産を持つ者と持たない者の差が拡大する。
この格差は、近年はSNSによって可視化されている。そのため、「取り残され感」や「社会的な分断意識」は、ますます強烈になっていくのだろう。
そこに、「平均値」での貯蓄である1,984万円みたいな数字が出てくると、「自分は遅れている」「みんな、それくらい持っているのに自分だけは持っていない」という自己否定や焦燥感も浮かぶようになる。
だが、平均値で出てきた数値は錯覚の数値であり、実態を表していないわけで、それならば、この数値である1,984万円にこだわる必要がないというのがわかる。
実のところ、他人がいくら持っていようが持っていまいが、自分が自分らしく生活できれば平均値も中央値も関係ない。本質的にはそれに尽きる。自分の暮らしや価値観を見失うべきではない。
生活の規模や安心の基準は、家族構成やライフスタイル、健康状態、将来の夢によって、みんな異なるのだ。自分に必要な備えを淡々と積み重ね、自分に合った目標やペースを大切にすればいい。
平均や統計を気にして不必要なプレッシャーを感じること自体が無意味だ。数字はただの指標に過ぎず、自分の人生の価値や充実はそこでは測れない。結局のところ、他人の資産状況ではなく、自分自身の満足や安心こそが生活の土台になる。
