自分が窮地に落ちたら誰も助けてくれない時代がやってきている

自分が窮地に落ちたら誰も助けてくれない時代がやってきている
ひとたび悪いことが起きると、それは連続して続くことが多い。誰もが日常を通して経験することだ。悪いことは次から次へと新しい問題を引き起こし、坂道を転がり落ちるように続いていく。「悪いことは連続して続く」という深遠な教訓を世に知らせる格言はたくさんある。

「弱り目に祟り目」「泣きっ面に蜂」「負のスパイラル」

これらはすべて、困っているところに、さらに困ったことが重なるという事態を端的に示す。

なぜ、そうなるのか。それは、順調だった時には何の問題もなかった「レベル」が、何かのきっかけで不遇になると維持できなくなることによって起きるのだ。

現代人の転落は、ほとんどが経済的な苦境からやって来る。

多くの人は真面目に働いているので、普通に生活して、失職しない限りまったく何も問題はない。しかし、不意打ちに働けなくなったらどうなるのか。そして、それが長期に及んだらどうなるのか。

普通の人はあまり考えないようにしているのだが、「不意に働けなくなる」というのは実はそれほど珍しいことではない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

不意に働けなる事態は突如として襲いかかってくる

不意に働けなる事態は、突如として襲いかかってくるものである。想定できることもあるが、逆に予想外で避けられないものも多い。

リストラによる失職、倒産による失職、能力不足になったことによる失職、低賃金を理由とした離職、介護を理由とした離職、精神的限界の離職、転職の失敗……。

あるいは、定年、高年齢、事故、怪我、事件、心身の病気、借金、予期せぬ妊娠、出産・子育て、離婚……。

こうした「予期せぬ事態」をすべて回避できる人は多くない。「不意に働けなる」というのは誰もが人生のどこかで必ず経験する。

問題は、仕事を失った後にすぐに態勢を立て直して、やり直しが効くかどうかである。事故による怪我の回復が長引くこともあれば、鬱病が長引くこともある。年齢的に、もはやリカバリーできないこともあり得る。

失職して、様々な理由で次の仕事に就けない状況が長引けばどうなるのか。

どこまでその苦境に耐えられるのかは貯金がどれくらいあるかで決まってくるのだが、莫大な貯金がある人でもない限り、遅かれ早かれ地獄がやってくる。

たとえば、貯金300万円、給料30万円の人がいたとする。

この人が失職すると、もちろん貯金を食いつぶして生きていくことになるのだが、その貯金はいつものように月30万円で生活していると10ヶ月で消えていく。

そして、どうなるのか。11ヶ月目から、「弱り目に祟り目」「泣きっ面に蜂」「負のスパイラル」のすべてが襲いかかってくるのである。

節約して生活したとしても、収入がない以上は11ヶ月目の破綻が若干伸びただけで結論は変わらない。

 

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次々と問題が発生して下に下に突き落とされていく

貯金がゼロになってもまだ仕事が見付からなかった場合、この人は無一文になった上に、電気・ガス・水道・電話代・食事代・家賃のすべてが払えなくなってしまう。

友人に借り、親に借り、消費者金融に借り、何とか家賃だけを確保しても、電気もガスも水道代も電話代も食事代も出ないのだから、どれかを削らなければならない。

電話代を削ったら、就職活動に支障をきたす。食事代を削ったら就職活動をする体力もなくなる。光熱費を削ったら生活全般に支障をきたす。

しかし、何かを削らなければならないので、恐らく食費が削られる。食事が満足にできなくなると、自分が本来持っている能力が落ちるだけでなく、注意力も散漫になり、病気や怪我をしやすくなる。

何とか仕事を確保しなければならないが、追い詰められた時に就職活動をすると、給料や待遇でかなりの譲歩を迫られることになる。待遇が悪かろうと、給料が安かろうと、背に腹はかえられないのだ。

すると、前職まで月30万円だったのに、月15万円の給料で妥協したりすることになる。

月15万円でも確かに収入ゼロよりはマシだが、それでも今までよりも50%も貧しくなってしまったわけである。それでは月30万円のレベルを維持できない。

たとえば、家賃が10万円だったところに住んでいた場合、給料が15万円になった瞬間、そこに暮らし続けるというのは無理が生じてしまう。

それでも仕事が見付かればまだ幸せだ。仕事が見付からなければどうなるのか。場合によっては路頭に迷う。ホームレスになって、さらなる「負のスパイラル」に巻き込まれる。

いったん何かがうまくいかなくなると、今までのレベルを維持することができなくなって、次々と問題が発生して下に下に突き落とされていくのである。

 

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順風満帆な人生も、いつでも些細なことで変転する

順風満帆な人生も、いつでも些細なことで転落していくのは、誰もが我が身や知り合いの人生を振り返って気付くはずだ。つまづく「きっかけ」というのは、どこにでもある。

自分の判断ミスや、人生を賭けた一か八かの賭けに失敗して転落していくのであれば、自業自得でもあるのでまだ納得できることはあるかもしれない。

しかし、人生が転落していく「きっかけ」は決してそれだけではないのだ。

交通事故に遭うこともある。病気になることもある。大きな災害に巻き込まれることもある。あるいは高齢化した親が認知症になったり、介護が必要になったりして、そのために自分の仕事や生活が犠牲になることもある。

つまり、外部から自分の人生を暗転させる「きっかけ」がやってくる。それも突如としてやってくる。

人生は何でも起こり得る。人は誰でも自分が癌になるとは思わないが、日本人は2人に1人は癌にかかり、3人に1人は癌で死亡する。統計的に日本人と癌は切り離せない。

自分が癌になったり、自分の家族が癌になったりして生活が一変するというのは、遠い世界の話どころか「明日は我が身」かもしれないのだ。

癌だけではない。糖尿病や鬱病も誰でもなり得る病気だ。

もし一家の収入を抱えている大黒柱である父親が重い病気になった場合は、収入が途絶えて本人ばかりか家族も一緒に貧困に堕ちる。母親が病気になったら、子供たちの面倒を見る大切な人を失うので、やはり父親の収入にも影響が及ぶ。

家族の誰かが病気になったら、それが誰であっても一緒に暮らす者が、経済的、精神的、肉体的に追い詰められていく。相手を愛していれば、その精神的ダメージはとても大きなものだろう。

病気になれば、健康の時には何でもなかったことが、できなくなったりすることも多い。そういった「きっかけ」は誰にでもやってくるものだと考えた方がいい。

 

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相対的貧困から絶対貧困に、より深刻化するのか?

自分が苦境に堕ちたら、「政府が助けてくれる」とか「行政が何とかしてくれる」とか楽観的に思ったらいけない。政府や行政の能力は徐々に、そして確実に低下しているからだ。

今後の日本社会は少子高齢化によって、今のまま推移していくと先細りの社会になってしまうのは確実だ。(マネーボイス:なぜ日本は「少子高齢化」に目を背ける? 老いぼれ国家に若者が殺される現実=鈴木傾城

少子高齢化の社会に入るというのは、要するに日本人は病気になりやすく、事故に遭いやすく、介護が必要になりやすく、生活が破綻しやすくなったということでもある。

だから社会保障費は膨れ上がる一方になり、政府の財政は悪化し、年金も、生活保護費も、医療費も、すべて削減される。削減されないのであれば、莫大な税金が課せられるか、もしくはインフレによって実質削減になる。

累積債務が際限なく膨れ上がっていることに「問題がない」と言う人はどうかしている。

日本社会は少子高齢化という毒に侵されているのだから、私は日本を愛する人たちこそ、この日本を亡国に導く少子高齢化の危機をもっと訴えるべきだと考えている。

残念なことに、今のところ日本人はまったく少子高齢化という「亡国に至る病」に危機感を持っていない。

だから、政府の財政赤字が政府の能力を喪失させていき、いざ自分や家族や友人が経済的な苦境に堕ちたときに政府も行政も助ける能力がなくなってしまう。

いったん自分が「負のスパイラル」に転落した時、どのようにサバイバルするかというのは、今後の日本人の重要な課題になっていくのは間違いない。

自分が窮地に落ちたら誰も助けてくれない。現在の日本は「相対的貧困」が問題になっているのだが、そのうちに「絶対的貧困」に転じていっても不思議ではないのだ。

これほどの危機を、見て見ぬふりをしてやり過ごす日本人の姿が歯がゆい。(written by 鈴木傾城)

 

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自分が窮地に落ちたら誰も助けてくれない。現在の日本は「相対的貧困」が問題になっているのだが、そのうちに「絶対的貧困」に転じていっても不思議ではないのだ。

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