民進党の議員をみても分かる通り、「政治屋」として税金を吸って生きている議員たちは、いつでも主義主張を変え、言い訳し、支持してくれていた国民を簡単に裏切る。
尊敬できる政治家もいるが、ほとんどはクズのような政治屋が日本の国会にうごめいている。
だから、あなたが特定の政治家個人を信じているのであれば、いずれは苦い思いをする可能性がある。清廉潔白な政治家はほとんどいないし、信念を貫き通せる政治家もいない。
税金に寄生するために生きている軟弱な政治屋は必ず有権者を裏切る判断をし、政局の中でころころと変節して最初と最後が別人のようになる。
民進党の議員のように、その時々によって180度違うことを言い出すのである。やると言ったことをやらず、やらないと言ったことをやり出す。
政治屋の言葉には一貫性がない。状況によって行き当たりばったりに転がる。権力と地位が転がり込む前と後では、何もかもが違ってしまう。
どんなに美辞麗句で飾る政治屋でも、私たちの知らない裏側では、目を覆いたくなるような醜悪な姿になっていることも多い。不倫に明け暮れている政治屋もいれば、秘書を恫喝している政治屋もいる。
政治家はアイドルではないし、芸能人でもない
尊敬できる政治家が少数いるからと言って、すべての政治家が尊敬できると子供のように思ってはいけない。ほとんどの政治家は利権でどちらにも転ぶ。
だから、私たちが政治家を見るとき、それが誰であっても、崇拝したり、信じたり、信奉したりしてはいけない。
政治家はアイドルではないし、芸能人でもない。特定の政治家に惚れてはいけないし、ことさら持ち上げてもならない。政治家とは距離を置いて見つめなければならない。
政治家には「裏」があるのが分かっているのだから、信じるのではなく、利用するというスタンスでいなければならないのである。
私利私欲の政治家が役に立つ期間はそれほどない。すぐに賞味期限が切れてしまう。長持ちしない。時には最初から粗悪品や不良品で役に立たないことも多い。
私たちは、「人間の使い捨て、政治家の使い捨て」をしたいとは誰も思っていない。曲がりなりにも選挙で選んだ政治家を、使い捨てにして税金を無駄にしたくない。
国益に沿ってきちんと働いてくれる政治家がいれば、長持ちして欲しいと思う。
ところが、政治家の方は選挙でペコペコしていたのに当選すると、突如として国益よりも私欲に沿い、自ら自分の立場を消耗品に陥れる。
最初に言っていたことと、実際にやっていることが180度違っていたら、それは不良品だったということだ。
約束が破られたら、国民としてはその政治家を「不良品」として取り替えざるを得ない。公約を果たすことができないのであれば、そんな政治家は存続する意味がない。
取り替えるためには、その政治家を崇拝していてはまずいことになる。なぜなら、崇拝は盲信を生み出し、盲信しているがゆえに切り捨てられなくなるからだ。
なぜ、政治家がすぐに使い物にならなくなるのかは、いくつかの理由がある。
政治家は「私利私欲」で、おかしくなる
なぜ政治家はすぐにおかしくなるのか。まず第一に上げなければならないのは「私利私欲」である。政治家になるのは、崇高な理念を実現するためと答える政治家は少ない。
もちろん口では理念を口にするが、その多くは私利私欲で動いている。
特に「政治は儲かりそうだ」と思って政治家になる人間は、崇高な理念など最初からあるはずもなく、自分と自分の関係者の利権のために動くことが多い。
儲かるから政治家になる。儲けるために政治家になる。
そういった私利私欲が主になると、金にならない「国益」は二の次か、もしくは自分には関係のないものになる。そういった政治家は、税金で養う意味もない。
最初は本当に理想と理念を持っていた政治家も、権力と利権が転がり込むと、あっと言う間に変節して理想・理念を忘れて金に走ることがある。
私利私欲は、政治家を使い物にならなくする最初にして、最大の原因でもある。
政治家は圧力と批判とスキャンダルで、おかしくなる
政治はひとりで行うものではない。大勢の意見、利害、ロビー活動によって大混乱の中で方向性が決定していく。
ひとりの政治家が「このようにしよう」と考えて、そう決まるほど世の中は甘くない。何かを提案した瞬間に、それは反対のための反対、議論のための議論に巻き込まれる。
だから、政治家には猛烈な圧力がかかり、集中攻撃を受け、ときには決断に対して批判の矢面に立たされることになる。
恐喝や暗殺予告を出されることもあるし、スキャンダルを暴露される危険性も高まる。
叩けば埃の出ない人間はいないのだから、探られれば間違いなく政治生命に関わるスキャンダルが出てくる。
そんな状態になったとき、よほどの信念を持っていない限り、理想と理念を貫くことは難しい。どうしても、我が身可愛さと生き残りを考えて、妥協してしまう。
妥協しなければ政治的にも抹殺されてしまうので、妥協するしか生きる道が残されていない。
弱みを握られて、追い込まれると、政治家は最初に言っていたことと180度違うことも言わざるを得なくなる。かくして、力のない政治家はどんどんおかしくなっていく。
政治家は金と女で「買収」されて、おかしくなる
政治家は金で無理やり転がされることもある。あるいは、ハニー・トラップに引っ掛かって恐喝されることもある。
金と女は、昔から人間を籠絡するための古典的なツールだが、それが古典的であるというのは、要するに手口としては非常に効果があるということだ。
効果があるので、政治家のまわりには常に金と女が付いて回る。それは、いつもニンジンのようにぶら下げられて、政治家が引っ掛かるのを待っている。
一度でも引っ掛かると、政治家は自分の理想と理念とは違うものであっても、金の供給者、女の供給者のために動くしかなくなる。
自分の快楽と、理想・理念とどちらが大切なのかと言われれば、多くの人は快楽と答える。
だから、政治家は金と女で「買収」されて、いつしか操られることになる。
そして、操られることになった政治家は、もう理想や理念を語ることもない。そのうち、最初に言っていたことと180度違うことも言い出すようになる。
信じれば、自分が身動きできなくなってしまう
だから、政治家は最初は理想と理念の実現に燃えていても、やがては闇が広がって真っ黒に染まっていき、とうとう何者なのか分からなくなってしまう。
議員の期間が長ければ長いほど、日本の議員として何の役にも立たないばかりか、日本人にとっては危険な政治家に堕してしまうことも多い。
絶対に、何が何でも理想と理念を貫き通す政治家もいる。ゼロとは言わない。しかし、そういった政治家は非常に希有であり、稀少だ。
それなら、私たちはどうすればいいのか。
絶対に守らなければならないのは、特定の政治家を、崇拝したり、尊敬したり、盲信したり、従属したりしないということに尽きる。
特定の理念を標榜する政治家を応援したり、利用したりすることは構わないが、いずれはその政治家も変質してしまう確率は高いので、絶対に崇拝しては駄目だ。
特定の政治家を崇拝すると、その政治家が変節したとき、私たちは一緒に堕ちるしかなくなってしまう。
だから、私たちは政治家が変節したと判断できるときは、いつでもその政治家を断ち切れるようにしておかなければ、自分が身動きできなくなる。
政治家が変節した瞬間、捨てられるようにしなければならない。雰囲気に飲まれて、特定の政治家を崇拝することがあってはならない。
現実的に生きるとは、そういうことだ。ひとまず、今回の選挙でやることは、変節したクズのような政治屋をことごとく粛清することに尽きる。
変節した議員は、また状況が変われば変節する。