自分が超人ではないことを知り、現実を直視して生きるべき

自分が超人ではないことを知り、現実を直視して生きるべき

生まれつき、平均よりも高度な知的能力を持っている子供たちがいて、これらの子供たちは欧米では「ギフテッド」と呼ばれている。

この高度な知能は「天からの贈り物(ギフト)」という意識から来ている。

ギフテッド(天才児)がいるということは、逆に言えば平均的な子供たちもいれば平均よりも劣る子供たちもいるということでもある。

人間の能力は人によってまったく違っている。優れた部分も劣る部分も他人と自分はまったく違う。だから、自分の才能と限界がどこにあるのかを悟っておく必要がある。

しかし、実際は自分の能力を正しく見極めるのはとても困難である。

誰でも「自分には無限の可能性がある」と信じたい気持ちがある。「自分はやればできる」と思い込みたい。だから、「楽観的な方向」にバイアスがかかりやすい。

自分が自分を信じないと、やるせなくて生きていくこともできない。だから、どうしても大きな主観が入る。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

自分に対して楽観的過ぎると現実から遊離していく

楽観的に自分の能力を信じるのは、その逆よりはずっと良いのだが物事には限度がある。過度の主観や楽観主義でいると現実と理想が乖離して、やがて問題が生じてしまう。

かと言って、自分のすべてに悲観していても、能力や才能を腐らせて自己実現も難しい。過度の悲観は自分を萎縮させ、やはり生きていく上で問題が生じてしまう。

過度な楽観も過度な悲観も、どちらも「毒」になる。それは、どちらも現実を見ていない証拠だからである。

「人間は誰でも無限の可能性がある」とか「誰でも強い願望を持てば成功することができる」とか、その手の内容が書かれた書物が毎年のように出版されて売れていく。

現在では、こういった幻想が危険なまでに強く吹き込まれていて、多くの人がそれを真に受ける。人々は「そのように信じたい」から、自分は無限の能力があると夢想して、現実からどんどん乖離していくのである。

「人間は誰でも無限の可能性がある」というのは、それ自体が問題であるというよりも、それを盲信することによって現実を見失うことが問題なのだ。

現実を直視するという前提があって可能性を追求すべきなのだが、最初に「無限の可能性がある」と信じてしまえば現実を見失う。

さらに、あまりにも自分に対して楽観的過ぎると現実から遊離して、その幻想を崩さないために失敗を恐れ、何も挑戦しなくなる人も出てくる。

努力や失敗は決して悪いことではない。むしろ、失敗するということは行動しているということであり、それは何もしないよりも意味がある。(ダークネス:「失敗しないために、先に1000回失敗しておく」という意味

一番まずいのは、行動しないで過信だけすることだ。夢だけが肥大すると、それによって現実が見えなくなり、やがては社会で生きていくことすらもできなくなる。

【金融・経済・投資】鈴木傾城が発行する「ダークネス・メルマガ編」はこちら(初月無料)

「自分は超人ではない」という苦い現実を悟る日

他人はともかく、「自分に限って」は限界はないと狂信する人もいる。

しかし大多数の人は、日々の生活の中で現実を悟る。いくら自分に可能性があると思っても、現実はそんなに甘いものではないと身をもって知る。

自分よりも能力を持った人は珍しくないことを知り、それが先天的で彼らには能力がギフトされていて、自分にはされていなかったということを知る。

「自分には無限の可能性がある」というのは、いずれは幻想であると分かってしまうのである。若ければ若いほど楽観的で、歳を取れば取るほど悲観的になるのは、現実を見てきた差であるとも言える。

どうにもならない現実と格闘し、悩んだあげくに、人は等身大の自分と折り合いを付けて、それを受け入れる。

要するに大人になっていく……。

20代を過ぎる頃になると、だいたいの人が理想の自分と等身大の自分のギャップに戸惑い、思い悩みながら、自分の本当の姿を悟ることになる。

もちろん、どうしても現実が受け入れられない若者も出てくる。そう言った若者であっても、夢の実現の途中で必ず容赦ない競争や、選抜が待っている。

そこで、ほんの一部の人たちを除いて、大多数が蹴落とされてしまうのである。その時になって、やっと「自分は超人ではない」という苦い現実を悟り、目が覚める。

誰もがそうやってたくさんの挫折を繰り返して、自分の中にあった誇大妄想を消していく。人間は誰でも「自分には無限の可能性がある」と信じたまま生き続けることはできない。

ところが、自分が実現できると信じている夢を、「決して覚めない夢」にする方法を見付ける若者も中にはいる。引きこもって何もせず「やればできるのだ」と思っているだけで、それは決して覚めない夢になる。

この方法を使えば、どんなに実現不可能な夢であっても、それを見続けることができる。自分は大物だと思い込んだまま生き続けることができる。

ダークネスの電子書籍版!『邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる=鈴木傾城』

「現実を直視する能力」が自らを助けることになる

引きこもれば、いつまでも「人間は誰でも無限の可能性がある。自分も一流になれる。やればできる」と心地良い夢を持ち続けることができる。

しかし、人間は誰でも年老いることは避けられないから、仮にもし本当に才能があったとしても老いることで才能は発揮されないまま枯れてしまうことになる。

人間の体力は20代前半でピークを迎え、知能は40代で退化していくことになる。

天から才能をギフトされた10代の神童でも、才能を磨かないと年齢がそれを腐らせる。つまり、「無限の可能性」の多くは避けられない肉体の劣化で潰されていくということだ。

そして、社会も若気の至りを許すのは20代までだ。30代からは立派な大人として自立していることが求められており、それができていないと落伍者と見なされる。

だから、自分に何ができて何ができないのかを見極めるのは早ければ早いほどいい。30代には自分のできることとできないことを把握しておかなければならない。

自分を知るには現実主義になるしかない。

自分のことは自分が一番よく知っているわけだから、自分自身が自分のことを客観的に見れなければ、その後の人生を大きく誤ることになりかねない。

きちんと自分を冷静に見つめ、自分の限界を知り、そこにほんの少しの「楽観」と、大きな「努力」を入れる。自分の弱みと強みを状況を見つめて、客観的にどうすれば一番いいのかを現実的に選択する能力を持つ。

現実を見ながら、自分にできることを社会の中で模索し、ひとつひとつをきちんとこなしながら這い上がっていく。それは泥臭い生き方だが、夢ばかり見て何もしないよりは何百倍も役に立つ生き方である。

夢を見すぎてバランスを崩してはいけない。自分が超人ではないことを知り、現実を直視して生きるべきだ。現実を直視する能力が自らを助けることになる。(written by 鈴木傾城)

このサイトは鈴木傾城が運営しています。本文を他サイトへ無断転載する行為は固くお断りします。この記事の有料転載、もしくは記事のテーマに対する原稿依頼、その他の相談等はこちらにメールを下さい。

現実を見ながら、自分にできることを社会の中で模索し、ひとつひとつをきちんとこなしながら這い上がっていく。それは泥臭い生き方だが、夢ばかり見て何もしないよりは何百倍も役に立つ生き方である。

ツイッターで鈴木傾城をフォローして頂くと、執筆・更新状況などが総合的に分かります。

一般カテゴリの最新記事