その人がモノをどう扱うかを見れば自分がどう扱われるのかが分かる?

その人がモノをどう扱うかを見れば自分がどう扱われるのかが分かる?
所有している「物」をどう扱うのかは人によってまったく違う。粗雑に扱う人もいれば、大切に扱う人もいる。それが壊れても何とも思わない人もいれば、修理をしながら長く大切に使う人もいる。「物」に対する扱いは性格が表れる。そのため、「物」をどう扱っているのかを見ると、その人が他人に対してもどのように接触するのかも分かると言われている。「物」を適当に、乱暴に、粗雑に扱って何とも思わない人は、人に対してもそのように振る舞うのが一般的だ。

とても古くなった物でも大切に使う人は、やはり友人を大切にする人であるのが一般的だ。

もちろん、思い入れのある物とそうでない物に対しては扱いの度合いが違って来るのだが、全般的に見て物を粗雑に扱う人は、大切なものであっても粗雑に扱い、大切な人も粗雑に扱う。

物持ちが良い人は人間関係も長持ちし、物持ちが悪い人は人間関係もすぐに壊れる。

そのため一緒になりたいと思う相手がいるのなら、その人の物の扱いを見て、自分と同じか、もしくは自分が許容できる物の使い方をしている人が相性が良いとも言われる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

 

物に対する態度は、そのまま人に反映される

物に対する執着がない人は、人に対しても執着がない。それは考えて見れば当然のことでもある。

その人は別に身のまわりのものに意味があるとは思っていないから、それが人にも物にも平等に反映されるのだ。

イライラすると物に八つ当たりし、蹴ったり投げたり殴ったりする人もいる。自分がうまく制御できない物に対して罵倒を浴びせるような人もいる。

そうした人は、大抵は身近な「弱い人」にも同じことをしている確率が高い。DV(家庭内暴力)を振るう人は、そのほとんどが物を投げたり壊したりするものだ。

だから、身近な人が苛立ったときに物を投げたり壊したりする光景を見たら、いつか自分がその物と同じ目に遭うと考えていれば間違いない。物に対する態度は人に反映される。

人によっては、また使える物を何の未練もなく「使い捨て」「ポイ捨て」にする人もいる。捨てる必要がない物でも、何か気に入らなかったりすると、すぐに使い捨てする。

もちろん、その態度は他人への態度にも反映される。すぐに人間関係を「使い捨て」にするのだ。

あるいは、その物が手に入るまでは凄まじい執着心を見せるのに、いったん手に入ると急激に関心を失い、関心を示さなくなる人もいる。もちろん、それは人間関係にも適応される。

欲しいと思った物が手に入るまでは必死だが、手に入って一通り弄り回すとすぐに飽きて見向きもしなくなり、新しい物を追いかけるのである。

そうかと思えば、自分の物は大切にするのに、公共の物は粗雑に、乱暴に、場合によってはわざと破壊したりする人もいる。こうした二面性は、人にも反映される。

物に対する態度が自分のものと他人のもので変わる人は、人に対する態度もまた使い分けるのだ。

 

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だいたい「物」と同じ運命が自分にも巡ってくる

そうかと思えば、何らかの物に対して偏愛し、他は見向きもしないでその物だけを異様なまでに愛でる人もいる。極度に物に執着して離さない人は、気に入った人をやはり同じように扱うのは想像できる。

その他にも、安物はあからさまに嫌悪して見下し、高級品のみを評価し、自慢し、見せびらかす人もいる。そういった人は、やはり人に対しても同じ態度を示す。

逆に安い物が最高だと思っている人は、高級品を嫌う。そうした人は逆に高級品を身につけて自慢しているような人をも激しく嫌う。

物にこだわりを持たない人は、人にもこだわりを持たない。物にこだわりを持つ人は、人にもこだわりを持つ。

どちらが良い悪いではなく、それは性格である。だから、その性格はもちろん物と同様に人にも反映されることになる。

非常に丁寧で慇懃な人なのに、物に対してはひどく粗雑な扱いをする人もいる。この場合は、どちらがその人の本質なのだろうか。

もしかしたら、無意識に扱っている「物」の扱いの方が、その人の本質かもしれない。

人は良い人を演じることができる。しかし、体面では気を付けていても、物に対する扱いまで神経が行き届かなければ、そこで馬脚を現すことになる。

そういった意味で、他人を観察するときは、その人がどのように物を扱っているのかを見れば、だいたいそれと同じ運命が自分にも巡ってくると気づくはずだ。

その人の物の扱いが自分に似ているし、自分に合っていると思えば、恐らくそれは気の合う人だ。そうでなければ、一時的に良くても後で性格の相違が深刻になる可能性がある。

 

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世の中が「物」をどのように扱うかは自分の運命だ

面白いことに、「物」に対する扱いは時代によって変わり、時代によって自分の運命も物と同じ扱いにされることに気付くはずだ。

その時代の人々が物をどう扱うかで、社会は人間をどう扱うかを決めているようなフシがある。

資本主義の初期の時代、「物」はそれほどうまく大量生産ができなかった。流通も限られていた。そのため、物の生産も限られていた。

だから、「物」はそれが何であれ貴重であり、今よりもずっと大切にされていた。そういった時代は人も今と比較すると大切にされていたと言える。終身雇用は当たり前で、定年までずっと働いてもらうのが普通だった。

会社は大きな「家族」だった。日本だけでなく、イタリアやフランスやドイツでもそうだったのだ。

やがて資本主義が効率化を高めていくと、「物」が大量生産できるようになり、「使い捨て」されるようになっていった。そうすると面白いことに、企業もまた人を「使い捨て」するようになっていったのである。

世の中がグローバル化していくと、大量生産のシステムは、やがて安売り・粗悪品の大量生産にまで突き進んでいった。物は安く買って使い捨てにする時代になったのだ。(ダークネス:100円ショップでの安物買いが、人生を破綻させる5つの理由

そうすると、企業もまた人間を安く雇って使い捨てにする時代へと向かっていった。ブラック企業は、まさに毎年のように大量の社員を入れて、どんどんこき使って使い捨てしている。

人々はかつて「良い物が安く買えればいい」と考えていたのだが、それが「安ければ安いほどいい」という考え方になると、企業も「従業員の給料は安ければ安いほどいい」と考えるようになっていった。

人々が「安いものを使い捨て」するようになると、今度は自分がそのような目に遭うようになっていったのだ。これは、世の中が「物」をどのように扱うかで、「自分」が世の中からどのように扱われるかが決まるということでもある。

世の中が「物」をどのように扱うかが自分の運命になる理由は、社会の総意は結局は人の総意だからである。社会が物を粗雑に扱うのであれば、社会は人をも粗雑に扱うのが総意になる。

別にそれは不思議なことでも何でもない。社会にとって人は「物」なのだから……。(written by 鈴木傾城)

 

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