「勝者しか幸せになることができない社会」に生きている?

「勝者しか幸せになることができない社会」に生きている?

1980年代はインターネットは普及していなかった。社会は非効率だった。便利ではなかった。1980年代から考えると、インターネットが普及した現代は比較できないほど効率化した。

では、効率化して人々は幸せになったのか。人々はゆとりを感じ、働かなくても生きていける社会になったのか。

いや、社会が効率化すればするほど人々は使い捨てになり、低賃金になり、あげくの果てに60歳になってもリタイアもできない社会になっている。

効率化すると人を大量に雇わなくても済む。企業は人員を減らせる。その結果、仕事がなくなる。

そうすると、労働力に頼っている人は、低賃金でも生きていくために仕方なくその仕事をしなければならない。

一方で事業家や投資家のように、効率化で利益を上げられる人には莫大な富が転がり込む。

人工知能が発展し、ネットワーク社会の傾向がより深まり、社会がグローバル化し、効率化すればするほど、その効率化に適応して莫大な富を得られる人と、効率化に取り残されて低賃金を余儀なくされてしまう人に分かれる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

今、勝者しか幸せになれないシステムになったのだ

たとえば、先進国のリストラ・失業問題も、言ってみれば熾烈な「弱肉強食の論理」が生み出した現象だ。

企業は競合相手に勝つために、商品を安く作りたい。そして、安く作るためにコストを削減したい。コストを削減するために低賃金の人間を雇いたい。

だから、先進国の人間は大部分がリストラされるか、給料の引き下げになる。これは先進国の人間には不幸なことだ。では新興国が幸せなのか。

いや、彼らの給料が上がったらどうなるのか考えればいい。同じく捨てられる。つまり、遅かれ早かれ先進国の人間と同じ目に遭う。

企業は果てしなく低コスト・低賃金の国を探し求めて移動していき、その過程で労働者はいつでも捨てられる。

企業も好きでそうしているのではない。そうしないと競争に負けて生きていけないので、まるで駆り立てられるように動き回っているのである。

市場経済の過激な競争に打ち勝つために、企業は世界のどこかで低コスト・低賃金の人間を雇うしかない。これは、言ってみれば、熾烈な「弱肉強食の論理」のために、人が犠牲になるということでもある。

「弱肉強食の論理」とは、勝者しか幸せになれないシステムになっている。オリンピックでは、必然的に金メダリストだけしか評価されないのと同様だ。

「1%の金持ちと99%の貧困層」という社会は、まさにそれを表した言葉である。

アメリカはこうした社会を徹底的に推し進めたが、これは極限的な「弱肉強食の論理」に邁進したということだ。

その結果、「勝者総取り」の社会になって、中流階級が崩壊し、格差が広がり、国民の15%が極貧に堕ちるという悲惨な傾向になってしまった。

資本主義の世界から蹴落とされた人々は、もはやヒラリー・クリントンに代表される富裕層の代理人のような政治家を信用しなくなり、それがドナルド・トランプという大統領を生み出す大きな要因となった。

 

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「勝者しか幸せになることができない社会」?

ドナルド・トランプ大統領は富裕層の論理を退け、資本主義の世界から取り残された人々のために「アメリカ第一」を強烈に推し進めている。

しかし、それでも「弱肉強食の論理」はグローバル社会に根付いており、トランプ大統領ひとりの力で覆せるようなものではなくなっている。

人々は「激しい弱肉強食の論理」の中で、そこから逃れることができなくなってしまった。

弱肉強食が社会に大きなひずみを生み出しているのは分かっているのだが、是正できない。「勝者しか幸せになることができない社会」を私たちは生きている。

こうした弱肉強食の論理が限度を超えて進むと、やがて「勝つことだけがすべて」になってしまう。そして、勝つためには手段を選ばなくなる。

競争というのはフェアな環境で行われるのが理想だが、弱肉強食の資本主義になると、この「フェア」な部分が消えていく。

ズルをしても、相手をワナにかねても、騙しても、とにかく勝つことだけが重要になる。そして、勝てば「勝者総取り」となり、敗者は完全に叩きつぶされる。

極端はすべてを瓦解させる。極端な弱肉強食の論理の行き着く先は社会の自壊しかない。

勝者もこの弱肉強食の論理の中で、無理に無理を重ねて来ている。だから最後には自壊する。勝者が崩壊するとき、その弱肉強食の論理を支えてきた分野が一緒に崩壊する。

競争には世の中を発展させる良い競争と、世の中を破壊する悪い競争がある。「良い競争」の考え方はこうだ。

(1)競争によってお互いが切磋琢磨される。
(2)すぐれたものが生き残る。
(3)すぐれたもので社会は発展してゆく。

20世紀はまさにこの競争で社会がうまく機能してきた。工業は、このフェアな競争の論理によって品質を高め、生産性を高め、社会を発展させてきた。

 

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圧倒的な力を持つ者が競争を仕掛ける理由とは?

競争の論理を受け入れるのは現代人としてはまったく当然のことで、疑う人はどこにもいない。しかし、これがさらに加速していき、暴走していけばどうなるのか。

勝つために、いろいろなものを犠牲にしていくことになるのである。ライバルを敵対買収したり、低コストの人材を求めて正社員を切り捨てたり、低賃金国へ移転したりする。

人々を徹底管理して、奴隷的に働かせたり、子供労働を黙認したり、コストがかかるので産業廃棄物を垂れ流したり、公害を放置したりする。勝つために、嘘も言う。相手を騙す。相手を叩きつぶす。

弱肉強食の資本主義は、フェアな競争を喪失させる。そして、競争は「悪い競争」に変質した。悪い競争とはどんなものか。

(1)競争によってお互いを潰しあう。
(2)強いものがすぐれたものを叩きつぶす。
(3)強いものだけが独占して社会が停滞する。

暴走した弱肉強食の論理が、策略・ワナ・裁判・特許・中傷・買収によって、互いに相手を叩き、潰し合い、必ずしも優れた企業・技術・人が生き残るとは限らなくなった。

策略と弱肉強食思想を徹底した「非人道的・非人間的」な存在が、優れたものを破壊して回り、独占し、社会が停滞する元凶になっていった。

本来、競争とはお互いに相手とフェアプレイで戦って成長するためのものだった。弱肉強食の論理がはびこる現在の社会は、もうそうではない。手段を選ばず相手をつぶすだけに奔走するようになったのだ。

そして、弱肉強食の論理そのものが、多くの脱落者や経済破綻を生じさせている。

持つ者と持たざる者の差が極端なまでに広がったとき、もはや競争は成り立たない。そんな中で、さらに競争を仕掛けるのは、常に最初から勝てると思っている側であることは覚えておいたほうがいい。

なぜ勝てる相手が競争を仕掛けるのか。さらに収奪できる場を広げるためである。圧倒的な力を持つ者が競争を仕掛けるというのはワナでしかない。

競争の本質が変質した。だから「勝者しか幸せになることができない社会」になっている。この社会の残酷な仕組みに気が付いているだろうか?(written by 鈴木傾城)

 

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