2020年代の日本人に求められているのは、修復不可能な敵対や対立を恐れないこと

2020年代の日本人に求められているのは、修復不可能な敵対や対立を恐れないこと

マスコミは言うに及ばず、政治界も、財界も、教育界も、すべて乗っ取られて、もう日本人は自分の国旗すらも掲げることができなくなってしまっている。クリスマスに下らないデコレーションをする人はいても、祝日に日の丸を掲げる人はいない。日本人は反日工作に洗脳されて、自国の旗を堂々と掲げることすら憚れるような空気になってしまっている。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「日本人は言いがかりを付ければ金を出す」

2020年代の日本に望むこと。それは日本人が対立に身を投じることだ。戦後の日本人は意識的にも無意識にも「友愛、理解、平和、協調」を外交の柱として、誰とも争わず、ひたすら相手を立てる外交だけをやってきた。

裏工作も不得手で、中国・韓国・北朝鮮のような反日国家に騙されても大騒ぎすることもないし、ただ忍の一文字で耐えてきた。中国に尻尾を振っている今の安倍政権もそうだ。

反日国家が何をしても我慢し、何を言われても言い返さず、相手に恫喝されたら一方的に謝り、相手に恐喝されたら金を出す。問題には事なかれ主義で対処し、対立を避け、衝突を先延ばしし、まったく相手の言いなりだった。

それで、どうなったのか。

結局、「日本人は叩けば叩くほど折れる」「日本人は言いがかりを付ければ金を出す」と中国・韓国・北朝鮮に見下されるだけで終わった。

さらに、これらの反日国家の工作員が日本に大量に潜り込んで、日本国内でも堂々と反日工作をしているのも日本人は見て見ぬフリをして、結局は日本の中枢をことごとく乗っ取られてしまった。

マスコミは言うに及ばず、政治界も、財界も、教育界も、すべて乗っ取られて、もう日本人は自分の国旗すらも掲げることができなくなってしまっている。クリスマスに下らないデコレーションをする人はいても、祝日に日の丸を掲げる人はいない。

日本人は反日工作に洗脳されて、自国の旗を堂々と掲げることすら憚れるような空気になってしまっているのである。

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「きれいごと」では渡っていけない世の中になった

もう意味のない忍耐は終わりにしなければならない。日本人はやり方を変えなければならない。もう先延ばしも事なかれ主義も捨てて、あえて対立と衝突の嵐の中に身を投じなければならない。

そもそも、世の中は友愛や平和や協調みたいなもので成り立っているわけではない。どんなに目を背けても世界には暴力、陰謀、戦争、対立が蔓延している。

世の中は、対立によって成り立っているのだ。

学校でいくら「みんな仲良く平等で」と教えられても、社会に出た次の日には、競争社会に巻き込まれる。仲良くも平等も吹き飛んでいき、必死に生きなければならなくなる。競争の本質は、対立である。

世界に目を転じると、宗教問題で、歴史問題で、領土問題で、人種問題で、絶対に妥協できない対立が激しくぶつかり合っていて、血で血を洗うような事態が起きている。

これらのすべての問題は民族のアイデンティティに直結しているので、話し合いも成立しないし、譲り合いも成立しない。譲れば民族としての存続が不可能になるので、絶対に譲れないのである。

だから、民族の生存をかけて、暴力にも、陰謀にも、戦争にも訴えて相手に勝とうとする。現実にあちこちで民族対立が発生し、テロが起き、ミサイルが飛び交っているのだ。

グローバル社会に入ると、すべてが競争と対立になるので、日本もまた宗教問題・歴史問題・領土問題・人種問題のすべてで対立の渦の中に放り込まれていく。

要するに、これからは「きれいごと」を言っているだけでは渡っていけない世の中になったということだ。自分だけが「きれいごと」に終始していても、世の中がそれを許さなくなってきているのである。

グローバル化によって世界はつながったのだが、つながったというのは対立が生まれるということである。それが現実だ。

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今まで日本人は、協調性を意識しすぎた

中国・韓国・北朝鮮は反日であり、日本に向けて憎悪を剥き出しにしているのだから、日本が激しい対立に巻き込まれているのは当然のことだ。

すでに、歴史問題・領土問題で中国・韓国との闘争に巻き込まれているが、今までのように弱腰外交をしていると、日本民族そのものの信頼も信用も失墜してしまう。

日本も、日本人としての主張を「押し通す」必要が生まれてきている。今までの理解・平和・協調から脱して、いよいよ闘争本能に目覚めなければならないのである。

歴史問題は、何も言わないと相手の都合の良い主張が世界の歴史になる。

韓国は自分たちの都合の良いように歴史を改変して日本を責めるが、これは日本が対立の道を選ばなかったから嘘をエスカレートさせているのである。

領土問題は妥協していると次々と土地を奪われていくことになる。今は尖閣諸島や竹島の問題だけだが、やがては対馬も沖縄も九州もことごとく奪われていく。

妥協したら奪われる。当たり前のことだ。

だから、民族の存続をかけて、きれいごとから去らなければならなくなっている。

今まで日本人は、協調性を意識しすぎた。

批判することを恐れ、主張することを恐れ、復讐することを恐れ、バッシングされることを恐れ、関係が壊れることを恐れてきた。

だから、逆に日本人が立ち上がるためには、この恐れをすべて捨てて、脱皮しなければならないということになる。どうするのか。

反日の人間を激しく批判することを恐れない。反日の人間に対してこちらの主張を押し通すことを恐れない。反日の人間に復讐するのを恐れない。反日の人間からの批判やバッシングを恐れない。反日の人間との修復不可能な敵対・対立を恐れない。

こうした動きに転換しなければならないのである。

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日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく

日本人は何事も徹底する癖がある。戦後から今までの日本は、あまりにも優しくなること、諸外国に配慮すること、対立を避けることに徹底しすぎた。

普通の民族は何事にもほどほどで止まるのだが、日本人は「平和優先」と決めたら徹底的なまでに平和優先になっていき、あまりにそれが行き過ぎる。

そして、良かれと思って徹底した「平和至上主義」が、今や日本の主権そのものが脅かされるところにまで到達している。

民進党や共産党の売国政治家や「ゴミ」と称される朝日新聞のようなマスコミに至っては、日本人よりも諸外国の人権の方が大事だと言うところにまで飛んでいった。

そんな「平和至上主義」が蔓延していつまでも対立も恐れて何もしないから、信頼が失墜し、諸外国から嘲笑され、愚弄されるような立場になってしまったのだ。

そうであるならば、いよいよ日本人全員が意識を変えなければならない日が来ているということだ。

日本人は誰かに批判されたり、罵られたりする状況に慣れていない。そういった対立を非常に恐れている。しかし、今の日本人に求められているのは、「対立できること」なのである。

日本人として、国内外の「反日の人間」と対立することを恐れてはならない。

対立できるというのは、反日の人間に自分自身も激しく批判されるのも辞さず、それでも自分の主張を押し通すことを恐れないということだ。

反日国家は、執拗で陰湿で汚らわしい批判やバッシングを、個人に向けて次々と仕掛けていく。そのような状況になっても一歩も引かないということだ。

歴史をみれば、侵略や破壊活動を仕掛けられて消えた国など山ほどある。対立に負けて、消された民族も山ほどある。それが世の中の必然だ。日本も例外ではない。

今後も日本をめぐる対立は、これまで以上に激化していく。闘争モードに入らなければ国がなくなるのだから、日本人も変わらなければならないのは議論の余地もない。

今の私たちに求められているのは、対立に身を投じることだ。反日の人間に好かれる必要はまったくない。日本が大事だと思うのであれば、反日の人間と激しく敵対して当然だ。

敵対していないというのであれば、逆に日本を大事に思う気持ちが足りていないということでもある。

『朝鮮通信使の真実 江戸から現代まで続く侮日・反日の原点(石平)』

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