「街の本屋」は全廃させるくらいでないと日本は時代についていけない

「街の本屋」は全廃させるくらいでないと日本は時代についていけない

書店数は一貫して右肩下がりに減っている。1999年には2万2296件だった書店数は、2017年には1万2526件である。この先も書店数が増えることはない。

書店は生き残りを図るために、集約化や大型化が進んでいるのだが、これに関してもすでに頭打ちになっているので、さらに大型化が進むというわけではない。

若い頃は本屋に入り浸っていて、本と共に成長したと言っても過言ではない私にとって、「街の本屋」が消えてしまうのはまるで自分の思い出が消え去ってしまうような悲しみや虚しさを感じるのは事実だ。

しかし、私の読書量が減ったのかと言えば、まったくそんなことはなく、依然として私は大量の文章を読んでいる。

読んでいるには読んでいるのだが、インターネット全盛の時代に入っている今、私はウェブサイトを読んだり、ウェブ・ニュースを読んだり、電子書籍を読んだりしており、「紙の書籍」に触れることはほとんどなくなった。

私は自分が持っている書籍を片っ端からPDFに変換する作業をずっと継続して進めており、私にとって「本を読む」というのは、パソコンやタブレットやスマートフォンで読むということに変化した。私が紙の書籍に戻ることは絶対にない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

インターネットに飲み込まれてしまうことになる

私は意識して紙の書籍を捨てているので、紙よりもデジタルで読む比率が極度に高いのだが、あと2年、3年、4年と、先をいけばいくほど、全世界のすべての人が私と同じ状態になってしまうのは間違いない。

なぜなら、それが時代の趨勢だからだ。

大昔は映画を観るというのは映画館で観るというのが一般的だったのだが、そのうちにテレビで映画を観るのが当たり前になり、やがてビデオテープで映画を観るようになり、さらに時代が変わるとDVDで映画を観るようになり、今はインターネットのストリーミングで映画を観るのが当たり前になった。

映画館、テレビ、ビデオテープ、DVD、ストリーミングと、媒体は次々と変わっており、その都度、媒体に関わっていた企業は淘汰されているのだが、これと同じことが書店や出版社にも起きていると考えて良い。

インターネットの時代になり、人々がスマートフォンで多くの情報を読むようになり、今までどれだけの書店が潰れ、どれだけの出版社が経営不振になり、どれだけの印刷会社が消えていったのか。

出版社は生き残りに苦心惨憺としているのだが、これからも淘汰されてしまう出版社はずっと続いていく。

もちろん、業界はどんなに下火になっても必ず斜陽の中で生き残るタフでしたたかな出版社もある。しかし、よほどの大手か、凄まじく特色のある出版社しか生き残れないのが現実だ。

ほとんどすべての書店・出版社はインターネットに飲み込まれてしまうことになる。ひとつの業界が「丸ごと」消え去ろうとしている。これは、寂しいことだが、抗えない現実である。

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新しい時代に立ち向かう「感度」が鈍っている?

問題はここからだ。書店が消え、出版社が消えるのは抗えない現実だが、これに抗って政府が口を出して無理やり延命させることはできなくもない。

あるいは、書店や出版社が「電子書籍は邪道だ」と言わんばかりに規制をかけさせることもできなくもない。死にゆく業界をゾンビのように延命させることは、政府の力でやろうと思えばできてしまう。

しかし、それをやってしまうと、ただでさえイノベーションに遅れ気味の日本はどんどんガラパゴス化してしまい、日本全体が時代遅れになるという別の問題が発生する。

新しい時代に際して世界から遅れを取り、気がついたときには挽回することすらもできず、外国からの「黒船」によって業界すべてを支配されるということになってしまうのだ。

私に言わせれば、「街の本屋」は全廃させるくらいでないと日本人は新しい時代が来ているということに気づかないのではないかと思っている。それくらい日本人には、新しい時代に立ち向かう「感度」が鈍っている。

インターネット最大の「本屋」と言えばアマゾンであり、いまやアマゾンが日本の電子書籍の流通インフラを掌握してしまったも等しい状態になっている。

日本が立ち遅れると外国企業が乗り込んで支配するという構図になるのは、アマゾンを見れば分かるはずだ。

日本の書籍は、これからはアマゾンが、アマゾンのルールで値決めも決済処理もフォーマットも決めていくことになる。出版が文化だというのであれば、アマゾンが文化を「支配する」のである。

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悪夢を見ているような、背筋が寒くなるような感覚

日本がインターネットを中心とした新しい文明の構築に出遅れているのは、あらゆる分野で観察できる。

カメラ業界は、スマートフォン時代が来ているのにスマートフォンを無視して一眼レフやコンデジにこだわって業界縮小の波に直撃されている。

スマートフォンはどんどん画質を向上させ、タッチスクリーンで使い勝手も向上させているのに、一眼レフは呆れるほど複雑で分かりにくいインターフェイスをそのまま継承して何とも思っていない。

銀行も、サービスに対して柔軟性がまったくない。何かするたびに住所氏名を何枚も何枚も手書きさせ、ハンコを用意させるような旧態依然とした手続きから抜け出せず、入口で頭を下げる人形のような行員に金を払ったりしている。

新聞も、販売店に押し紙を押し付けて、外国人留学生を低賃金で雇って早朝から紙の新聞のようなものを配達させるようなビジネスモデルで存命している。

日本の小売店やレストランなどは、いまだにキャッシュレスが進まないので、非効率極まりない現金でのやり取りを客に押し付けて何とも思わない。

あまりの時代遅れぶりに、悪夢を見ているような、背筋が寒くなるような感覚を覚える。

こんな社会になっているのは、そもそも日本人自体が「時代遅れになっているのに気づいていない」「今の非効率を変えたくない」と思っているからに他ならない。

日本を次の時代につなげるために気づいた人は、一刻も早くまわりの人に「日本の未来のために新しい時代に生きよ」と説得をしなければならない。

このままでは、日本は新しい時代に取り残されることによって自滅しかねない。(written by 鈴木傾城)

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しぶとく、かろうじて生き残っている街の書店。日本人はこうした書店を文化のひとつだと考えて愛してきたのだ。だから、逆に新しい時代に乗り遅れることに失敗しており、それが社会全体を時代遅れにするという問題を生み出している。

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