不器用で選択肢が少なくても、それがメリットになる理由とは?

不器用で選択肢が少なくても、それがメリットになる理由とは?

あなたは何でもできる器用なタイプだろうか。それとも、ひとつのことしかできない不器用なタイプだろうか。

誰でもそうだが、何でもできる人の方が得だと思う。事実、今の世の中では何でもできる人の方が要領良く世渡りできる分、得することが多い。

しかし、物事はうまくしたもので、器用な人間が一方的に有利であるとは限らないのが面白い。

器用であってもそれがデメリットになることもあるし、不器用であってもそれがメリットになることもある。

器用であることのデメリットというのは何か。器用な人はあまりにもいろんなことができ過ぎるので、それが仇になり、そのどれもが中途半端になってしまうことだ。俗に言う「器用貧乏」になってしまうのである。

あまりにも何もかもできると、つい、いろんなことをしてしまう。あるいは、他人に便利屋のように使われたりする。その結局、どれもが大成できなくなる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

不器用であることにも、メリットがある

不器用であることのメリットは、不器用な人はいろんなことをうまくできないので、自分がうまくできることだけを地道に、丁寧に、深く追求していくことだ。そうすると、それが極まってその世界で大成していく。

不器用であるが故に、前人未踏の業績を上げることができるようになる。

ただし、必ずしも器用な人間が中途半端になるとは限らないし、不器用な人間であれば全員が大成するわけでもない。一般的に見れば、器用な人は不器用な人よりも成功しているし、ひとつのことすら大成できないほど不器用な人もいる。

ただ、器用であってもデメリットがあり、不器用であってもメリットがあるという一面があることは、なかなか示唆に富んでいる。優れている方が、絶対的有利ではないというところが面白いところだ。

何でも器用にできるということは、いろんな面で選択肢がたくさんあるということだ。そして、選択肢があるということは、可能性もまた、たくさんあるということだ。

しかし、選択肢もたくさんありすぎると、人は迷って何も決められないという欠点も生まれる。さらに、自分の選択が本当に正しかったのかと悩むので欲求不満も増える。

職業選択でも、器用な人は多くの選択肢がある。たとえば、医者を目指すことも、弁護士を目指すことも、事業家を目指すことも、何でも好きなものを選ぶことが可能な人もいる。

また、どこかに会社に入るとしても、器用で優秀なので好感度も高く、会社は選び放題だ。

しかし、その中でひとつを選ぶと、他にも選択肢がたくさんあったわけで、本当に自分の選択が良かったのかどうかを悩む。「贅沢な悩み」だが、それが器用な人間を欲求不満に陥らせる。

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選択肢がないことすらも、メリットになる理由

選択肢がさほどない人間は、「自分にできるのは、それしかなかった」ような状態だから、「あっちの方が良かった、こっちの方が良かった」という選択肢は最初から存在しない。

いくつかの選択肢があったとしても、それは限られたものなのである。だから、いったん選択して「これ」と決めれば、もう腹をくくってそれをするしかない。選択肢がないので、それに集中するしかなくなる。

選択肢がないという状態が、皮肉にも、集中力や、粘りや、度胸を生み出していく。そして、それが「この人なら大丈夫」という安心感や信頼感を生み出していく。

不器用な人は、選択肢が少ないがゆえに、それに賭けるしかないので、それが好循環を生み出すのである。

これは、異性関係にも言えるかもしれない。

器用な人は、自分を魅力的に魅せるのもうまい。そして、実際に魅力的な外見を作る。そして、付き合う相手を自分の好きに選ぶことができる。

付き合える相手の選択肢が山ほど合って、次々と相手を変えることもできれば、同時平行でいろんな相手と付き合うこともやろうと思えば可能だ。要領が良ければ、二股どころか、四股、五股も可能だろう。

それに引き替え、不器用な人はとてもそんな選択肢はない。

たったひとりの相手ですら、心をつなぎ止めるのに必死だ。しかし、不器用な人は自分でもそれを自覚しているので、その「たった一人」をとても大切にする。他がいないので、浮気など望んでもできない。

選択肢がないので、自ずとひとりに集中し、そしてそれが安定した家庭を作る土台になる。不器用であるというのは、そういったメリットもある。

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何が自分の武器になるのかは、案外分からない

多くの人は極端に器用でもないし、極端に不器用でもない。ほどほどのところで生きている。

だから、「どちらかと言えば器用」「どちらかと言えば不器用」の範疇にあるので、どちらでも同じような結果になるのかもしれない。しかし、ごく普通の人であれば、やはり器用であることや、選択肢がたくさんあることを望むだろう。

ただ、選択肢がたくさんあることが、幸せや満足に直結するわけではないというのは、あまり知られていない。

選択肢はありすぎると、迷って人生の欲求不満が増える。むしろ、選択肢は絞られていた方がいいのかもしれない。

選択肢が多ければ、何が自分にとって幸せだったのか分からなくなる。しかし、選択肢が少なければ、それしかないのだから幸せの形も分かりやすい。

器用であれば、価値感ですらも選択できる。様々な価値観に器用に順応できるのだ。しかし、価値観が多様化すると、迷いが生じやすい。幸せとは何かを追求しなければならない。

しかし、器用であればひとつを追求する前に、次の価値観に目移りしてしまう。それが繰り返されると、充実感を得ることが難しくなっていく。

そう考えると、「自分はこのような生き方しかできない」とシンプルに割り切れている人の方が、迷わない分だけ充実感を得やすく幸せも分かりやすい。

人間は長い人生を生きていく上で、何が自分の武器になるのかは、案外分からないものだ。不器用であることや、選択肢がないことすらも、大きな武器になる可能性もあるのだから、人生は捨てたものではないのかもしれない。

あなたは、どうだろうか?(written by 鈴木傾城)

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人間は長い人生を生きていく上で、何が自分の武器になるのかは、案外分からないものだ。不器用であることや、選択肢がないことすらも、大きな武器になる可能性もあるのだから、人生は捨てたものではないのかもしれない。

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