知能指数は遺伝で60%が決まるとしても、努力するというのは無駄ではない

知能指数は遺伝で60%が決まるとしても、努力するというのは無駄ではない

石器時代は頑強な体力と身体能力のある人間が「生き残れる人間」の条件だったが、文明が発達するに従って環境は大きく変化するようになり、頑強な体力よりも知的な頭脳が重視されるようになった。

履歴書には100メートルを何秒で走れるのか、腕立て伏せや腹筋が何回できるのかを書く項目はどこにもないが、どこの学校を出て何の資格を持っているのかは問われる。要するに、体力よりも頭脳がモノを言う世界で私たちは生きている。

誰よりも早く走って100キロの荷物をも持ち上げられる人間よりも、誰よりも合理的に考えて高度情報化社会に適応できる人間が求められているということだ。

そのため、頭の良し悪しは人生を左右するほどの差となって現れる。「頭が良い」というのは現代社会においては大きなメリットになる。

「頭が良ければ得する」というのは誰でも分かっている。しかし、人は長く生きていれば、誰でも「頭の回転が異様に早い人」と「覚えることも考えることも苦手な人」がいることに気付く。

そして、自分がどのあたりに位置しているのかも、だいたい自覚ができている。ほとんどの人は良くも悪くもなく平凡な知能のところに位置している。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

知的能力は最初から差があった

頭の良さというのは遺伝的なものであって、もともと頭が悪い家系に生まれたら、もはやどうしようもないと私たちは思う。

では、「頭の良さは遺伝だ」というのは正しいのだろうか。この頭の良し悪しが遺伝なのか環境なのかを調べるのが「行動遺伝学」である。

行動遺伝学は人間の性格や才能や知的能力は、果たして先天的なものなのか後天的なものなのかを膨大なデータを集積・分析して導き出すための研究なのだが、この行動遺伝学から導き出された結論がある。それは「遺伝の影響は確かにある」というものである。

慶應義塾大学教授の安藤寿康教授はこのように言う。「知能と学業成績は、最も遺伝の影響が大きい特徴のひとつ」で、60%近くが遺伝で決まるとデータから所見を見出している。

努力するしない以前に、知的能力は最初から「差」があったのである。

そうであれば、残りの40%の「環境」を徹底的に良くすることで頭の良さを磨くことができるという理屈も成り立つ。

しかし、興味深いことに、知的レベルの高い親は子供に知的レベルを伸ばす環境を惜しみなく与えるのに比べ、知的レベルの低い親は子供の環境にはかなり無頓着な傾向が見られる。

遺伝的に良い遺伝子を持つ子供は環境も良いことが多く、遺伝的に良い遺伝子を持たない子供は環境も悪いことが多いということは、知的能力の格差が環境面でもかなり開いてしまうということを意味している。

それが分かっても、自分の遺伝子を取り替えることはできない上に親を取り替えることもできないわけで、与えられた遺伝子と環境の中で生きるしかない。

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頭が良くても「宝の持ち腐れ」

この現状にいくつかの慰めがあるとしたら、知能指数の統計は「正規分布」のグラフになっているということだ。

とびきり頭が良い人と、そうでない人もいるのだが、ほとんどの人は「平均」の範囲に収まっている。その平均がボリュームゾーンになっている。だから、知能指数の高低を人数でグラフにすると、平均が盛り上がって他が少ない典型的な「ベル・カーブ型」を描く。

つまり、ほとんどの人は「平均」に入るのだ。これは最強の知的能力を求めている人にとっては失望かもしれないが、そんなに悪い話ではない。知的能力が普通なのであれば、普通に生きていけるということを意味しているからだ。

そしてもうひとつの慰めは、知能指数がいくら高くてもそれが社会的な成功につながるわけでは決してないということもある。(ブラックアジア:知能指数がいくら高くても、社会的に成功するわけではない

社会にうまく適応できる性格を持ち合わせていなければ、社会から排除されて極貧の生活を送ることもある。

また、凄まじい知能指数を持ち合わせながらも、それを活かす仕事に就かず、ポルノ女優をしていた女性もいる。(ブラックアジア:エイジア・キャレラ。日系アメリカ人ポルノ女優の秘密

遺伝的に頭が良いとしても、全員が全員、飛び抜けた成功をおさめるわけではないのである。性格や運や関心が世間からズレていると、いくら頭が良くても「宝の持ち腐れ」になってしまうのだ。

そもそも、凄まじく成功した人物のすべてが猛烈に高い知能指数を持ち合わせているというわけでもない。統計的にだいたいは「普通」の知的能力の範囲に収まっている。そうであれば、知的能力に関しては「普通」であっても、何ら支障がないということでもある。

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「読み・書き・そろばん」

ほとんどの人間は「普通」の知的能力である。また知能指数敵に超絶的な天才にならなくても問題なく普通以上の成功をすることもできる。

成功者のほとんどは普通の知能の人が占めているのだから、天才になる必要はまったくない。なろうと思って天才になれるわけではないのだが、合理的に考えると「なる必要もない」ということだ。

ただ、頭の回転は鈍いよりも冴えていた方が都合が良いのは間違いないので、頭の良し悪しを上げる努力をするのは悪くない。

多くの人は頭の良し悪しは「生まれつきで固定化されている」と考えているのだが、これに真っ向から反対しているのは独学で東京大学に現役合格、ハーバード大学に留学した本山勝寛氏だ。

「頭は筋肉と同じで、使えば使うほど鍛えられ、柔軟になり、強くなる。だから、頭を良くするには頭をたくさん使えばよい」「頭の良さは確かに重要な要素であるけれど、それは固定されたものではなく変化するものである」

では、どのように頭の良さを高めていくのか。

本山勝寛氏はその答えを「あまりにも地味な結論」「決して奇をてらったもの、特別な魔法のような方法ではない」と説く。その答えとは何か。それは、日本人なら誰でも知っている「これ」を磨くことだった。

『読み・書き・そろばん』

新しいことを理解するためにも、知識を増やすためにも読解力が必要だ。文章がきちんと読めないのであれば、何を問われているのかさえも理解できないのだから、次の展開はない。読解力は基礎中の基礎である。

その基礎が身についた上で、「書く」という能力も重要になってくる。重要なアウトプットは書き記されたものが基礎になるからだ。そして、計算能力が合理性を身につける上で必要になってくる。

ということは、『読み・書き・そろばん』を丹念に、徹底的に、かつ長期に渡って続けていくというのが「頭の良さ」につながっていくということになる。知的能力には差があるが、その差は長年の『読み・書き・そろばん』の継続で縮め、基礎をないがしろにする人を追い抜くことができる。

こうした事実を俯瞰して考えると、基礎の反復はいかに人間にとって大切なのかが分かる。基礎をないがしろにしたら先に進めない。逆に基礎を大切にして、継続的に基礎を磨くことができる人は、かなりの能力が身につく。

『読み・書き・そろばん』という基礎を続ければいいのである。

「頭の良さは遺伝」であったとしても、それですべてが決まるわけではなく、結局は継続的に基礎を磨くという行為が必要になってくるというのが分かる。基礎を磨き続けるというのは無駄ではない。(written by 鈴木傾城)

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「頭の良さは遺伝」であったとしても、それですべてが決まるわけではなく、結局は継続的に基礎を磨くという行為が必要になってくるというのが分かる。基礎を磨き続けるというのは無駄ではない。

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