生活保護や引きこもりの人を見て「うまくやっている」と思う人がいる

生活保護や引きこもりの人を見て「うまくやっている」と思う人がいる

日本では生活保護を受ける人々も増えており、さらに長期に渡る「引きこもり」で親の庇護に頼る人々も増えている。

生活保護が増加すると、国の財源や地方財政をどんどん圧迫していくので、支援する側も問題が発生する。生活保護というのは一時的なものであり、本来はそれをアテにして生活を成り立たせるものではない。

延々と生活保護を受け続ける人が増加していくと、財源が逼迫して問題が発生するのは当然のことだ。これと同じことが、引きこもりを抱える親にも発生している。

引きこもりの中には30代や40代の年齢層も増えている。この高齢化した「引きこもり」の子供を支える親もまた高齢化して子供の面倒を見ることができなくなり、共倒れの危険も含めて深刻な問題になりつつある。

これが「8050問題」と呼ばれるものだ。(ブラックアジア:親が高齢化して、ひきこもった子供の面倒を見ることができなくなっている

そうした生活ができる人たちを「何もしないでお金がもらえるのが羨ましい」「何もしないで親に食わせてもらえて羨ましい」と思うような人々もいる。しかし、本当にそれは羨ましいことなのだろうか……。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

親から生活保護を受けている状態

1990年のバブル崩壊以後、日本社会は超就職氷河期に入って、さらに非正規雇用が当たり前になっていった。この頃に社会に出た若者たちには厳しい現実だった。(ダークネス:1971年〜1974年生まれは、自分たちは過酷な時代に生きる世代だと認識せよ

この時代、社会に揉まれて必死で戦う若者が大半だったが、中には厳しい社会に挫折し、心が折れ、引きこもってしまう若者もいた。彼らが親の庇護から抜け出せなくなってしまっている。

親から離れるどころか、成人しても親に依存した状況が続くというのは、言ってみれば「親から生活保護を受けている」のも同然だ。

彼らは収入を得られず自立もできない。そのため他者に面倒をみてもらっている。行政から面倒を見てもらえば「生活保護」になり、親から面倒を見てもらえば「引きこもり」になる。

「自分の力で生きていない」という点ではどちらも同じだ。

世の中は決していつも順風満帆なわけではないので、失業や病気や事業の失敗や家庭の問題や不景気などで自分の人生がどん底に転がり堕ちることもある。そんなときは一時的に生活保護や親の庇護に頼るのは間違っていない。人生を再建させるためのセーフティーネットは利用しなければならない。

しかし、それはあくまでも「一時的なもの」であり、保護や庇護を永久に受け続けるというのは間違っている。そうなっているのであれば、それは憂慮すべき状況でもある。

ところが、生活保護や親の庇護で生きるというのは「うまくやっている」という評価になることもある。そう考える人が一部にいるのだ。

生活保護を受けている人を見て「人生うまくやっている」と思う人がいるというのは驚くが、他人に依存して生きている人々の世界では、依存状態を成り立たせているというのは「うまくやっている」ということなのである。

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庇護に頼り続けて失うものがある

親に依存して引きこもりのようになって生きている人たちも、その期間が長くなればなるほど「うまくやっている」という捉え方をされるようになる。

しかし、他人に依存して生きるというのは長い目で見ると、良い生き方ではない。自分が本来持っている人生の「可能性」や「能力」や「生存本能」を自ら失ってしまうことになるからだ。

生活保護や親の庇護に頼り続ける生き方が、結果的には「うまくやっている」ことにならないのは、それによって多くのものを失うからだ。

では、いったい何を失うのか。

まずは、「自分の人生を自分で切り開く」という大切な能力を失う。世の中で生きていくというのは、誰にとっても容易なことではない。

他人に足元を見られることもあれば、屈辱にまみれて傷つくこともあれる。大失敗して大金を失うこともある。うまく結果が出せないこともあれば、批判を浴びることもある。誰もが生きる中で傷だらけになり、泥まみれになる。

それでも必死で突き進んでいく中で耐性がつき、何とか自分の足で立ち続けることができるようになる。

ところが、生活保護や親の庇護の中にあり続けると、「自分の人生を自分で切り開く」という大事なスタンスが失われて、その結果自分では何もできなくなってしまうのである。

失うのは他にもある。それは「向上心」だ。

他人に依存したり寄生したりして生きている時、自分が向上心を持ってしまったら、「もう独り立ちできるだろう」と思われて、援助や支援を打ち切られる可能性がある。だから、下手に向上心などを持てないという防御本能が働く。

いつまで経っても「向上できていない」と思われることが依存や寄生を長引かせるコツになるので、向上心を持たないということが生き残りになるのだ。

確かに、それで依存や寄生を長引かせることに成功する。しかし、それによって自分の人生を自分で切り開いていくという自立から遠のき、結果的に自分の首を絞めることになる。

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依存する相手が消えると人生が終わる

バイタリティーも喪失する。他人に依存している人がバイタリティー溢れる姿を見せていたら、「そんなに元気なら大丈夫だろう。自分で働け、自分で生きろ」と言われるのだから、バイタリティーある姿は他人に見せられない。

バイタリティーのないことが他人に依存や寄生をしている人の正しいスタンスとなる。

生活保護や親の庇護を受け続けることが人生の目的になってしまうと、自分の人生を他人に委ねることになる。そして、自分自身の人生の自由を失う。

自分の生活を自分で成り立たせることができないのだから、自分の夢を追うことも、自分が本当にやりたいこともできない。行きたいところに自由に行くことも、欲しいものを自由に買うこともできない。

人を好きになることもできないし、仮に人を好きになってもその人と一緒になるという基本的なこともできなくなる。恋愛の自由さえも消えてしまうのだ。

生活保護や親の庇護を受け続けるというのは、「自分では何もできない」というのが当たり前になり、問題解決能力をも喪失してしまうことにつながる。

それは、行政の都合や親の都合によって自分の人生が決められるということであり、自分の人生なのに自分で何かを決めることすらもできなくなるのだ。

自分の人生なのに、自分に決定権がない。それは悲しいことでもあり、危険なことでもある。常に何かに押さえ付けられているような感覚に陥り、「何かが足りない」という不満がずっと解消することができないだろう。

そんな中で生きなければならないのだから、充実感も幸福感も感じないはずだ。

こうした状況が続くというのは、結局のところ自分の人生を自分で破壊することにつながるわけであり、「何もしないでお金がもらえるのが羨ましい」とか「何もしないで親に食わせてもらえて羨ましい」という話にはならない。

依存や寄生は、面倒をみなければならない側も次第に大きな負担を感じるようになり、やがて支援する側をも追い詰めることになる。

生活保護や親の庇護に頼るのは、本来は「ない」のが望ましい。あったとしても一時的なものに限るのが正しい姿だ。それが長引けば長引くほど、悪影響が広範囲に広がっていく。

生活保護や引きこもりの人を見て「うまくやっている」と思う人がいるが、それは大きな間違いだ。そんな風に考えていると、自分の人生を駄目にする。(written by 鈴木傾城)

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生活保護や親の庇護に頼るのは、本来は「ない」のが望ましい。あったとしても一時的なものに限るのが正しい姿だ。それが長引けば長引くほど、悪影響が広範囲に広がっていく。生活保護や引きこもりの人を見て「うまくやっている」と思う人がいるが、それは大きな間違いだ。そんな風に考えていると、人生を駄目にする。

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