合理的に考えて「善良な人間」であった方が結果的には良い結末になる理由

合理的に考えて「善良な人間」であった方が結果的には良い結末になる理由

利己主義者は「自分を第一に考え、自分の利益のためには他人を踏みにじることさえも厭わない」という性格を持つ人間を指す。儲けも利益も独り占めにして、他人に利得を渡さない。徹底的に自分第一主義だ。

利己主義者は、常に自分だけの損得勘定と都合で行動する。他者に対する思いやりはない。それよりも自分の利益が優先するからだ。退社に対する配慮もない。利益のためなら配慮どころか、他者を押しのけてでも自分の利益を優先する。

協調もない。協調などして他人に利益を持っていかれるのであれば「協調は損だ」と思って排除する。ただし、他人と協調した方が自分の利益になると思えば、他人と協調したフリをする。それは協調ではなく「利用」である。

他人に対して、感謝することもない。他人に感謝するということは何らかの対価を相手に与えてしまうと考えるので、利己主義者は他人に感謝しないのだ。しかし、他人には感謝を強要する。それは自分のプライドをくすぐって得意満面になれるからだ。

自分の利益のために、他者を徹底的にないがしろにする。自分が楽できるのであれば、自分の負担を他人に覆いかぶせることもするし、自分が社会や他人のためにカネを出すのはとことん拒絶する。義務は果たさないが、権利は要求する。

利己主義者は他人の苦痛には鈍感で、自分の快楽には敏感だ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

他人と協力することができない

自分のことしか考えない利己主義の考え方を持っていれば、必ず得して必ず成功するのだろうか?

こうした利己主義者とは対極に、他人をいたわる気持ちを持ち、他人に同情し助けてあげようと思う「善良な人間」がいる。こうした善良な人は、自分のことしか考えない利己主義に特化した人間に踏みにじられて損するだけなのだろうか?

場合によっては、そうとばかりは言えないのが世の中の面白いところだ。

善良であったことによって助かることもある。日頃から他者に思いやりや配慮を与えてきた人は、何かあった時にまわりに助けられることが多い。助けが必要な時、きちんと助けに応えてくれる人が出てくる。

極限まで自分を最優先して他人を踏みにじっても生き残ろうと決意している人間は逆だ。何かあった時、見捨てられる可能性がある。他人の助けが必要な時に、その助けが得られない。

自分優先の利己主義は、それによって常に自分の生存を有利にするとは限らない。利己主義が、むしろ何も得られない結果を生み出すこともある。

別に不思議なことではない。「利己主義者は他人と協力することができない」という問題を抱えている以上、それが不利に働く局面も必ず出てくるということだ。

利己主義者は「一緒に井戸を掘って、水が出たら自分がそれを独占して他人に分け与えない」という性質がある。そのため、集団の中で何度かそうした利己主義的行為が繰り返されると、誰もこの利己主義者を相手にしなくなる。

自分の権利ばかりを主張して他人のことは一切配慮しない行為は、他人に信頼されないばかりか、他人から排除されてしまうのである。

利己主義者は自分を優先するがゆえに他人から排除されるようになり、最後には何も手に入らなくなってしまうのだ。利己主義は結局、他人から爪弾きされて損をする。極端な利己主義者であればあるほど自滅は早い。

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自分のことしか考えない人

巧妙な利己主義者は、自分が利己主義者であることを隠して裏で自分の利益になるように画策する。しかし、こうした利己主義者の裏切りは、最後に「すべてが利己主義者の利益になる」ことによって発覚する。

まわりを騙し、踏みにじり、結局は自分の利益のためにやっていたことがバレるので、その時点で相手にされなくなる。

寄付金詐欺は利己主義者が好む手口だ。

他人の不幸のために尽力しているという「良い人」を演じて金を集めながら、金が集まったらその金を自分の欲望を満たすために使いまくったり、姿をくらましたりする。

「貧しい人たちに寄付を」と言いながら、自分は金ぴかの豪華絢爛な屋敷で暮らし、それを見せびらかしているような奇妙な人間もいる。

もちろん、人々の善意で金を集めて自分の私腹を肥やしているようなことをしていたら、最終的にはそうした「裏の顔」は遅かれ早かれ何らかの方法でバレる。

自ら漏らさなくても、裏切られたと思った身近な人間が義憤に駆られて暴露することもある。あるいは「自分にも分け前をよこせ」という話になって内紛が勃発して裏事情が丸見えになることもある。

利己主義者は取り繕うのもうまいのだが、そうやって何度も取り繕っても、結局は最後には「自分のことしか考えていない」というのが発覚して見捨てられていくことになる。誰にも相手にされなくなるのだ。

その時点で、自分優先の利己主義は破綻する。社会や集団から見捨てられたら、その後は「何も得られない」という結果になっていくのである。

利己主義者からはまともな人間が去っていき、同類が集まってくるのだが、こうした利己主義者の集団が全員が他人を裏切る素養を持っているので、裏切りと謀略が渦巻く集団と化して、遅かれ早かれ自滅していくことになる。

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相手が利己主義者だった場合

全員が利己主義になると、どうなるのか。利己主義が蔓延すると間違いなく社会秩序は荒廃して、そこは誰も住めない大地と化す。

それは、『孫子の兵法』みたいな騙し合いの思想を崇めている中国が荒廃した拝金主義と利己主義の大地になって、結局は人間の住む場所ではなくなってしまったのを見ても分かる。

「善良な人間」と「悪い人間」があるのなら、「善良な人間」であろうとした方が社会に良い結果をもたらすのは言うまでもない。道徳的に良いのではなく、合理的に考えて「善良な人間」であった方が結果的には効率的なのである。

自分がビジネスをするのに、利己主義者と組んで良い結果が生み出せるだろうか。あるいは、自分の人生のパートナーや友人となるべき人を選ぶのに、利己主義者を選んで良い家庭を築けると思うだろうか。

自分の仕事の関係者が「頭の切れる利己主義者」だった場合、その頭脳と行動力が全力で自分を裏切ってくる。恐ろしくないだろうか?

あるいは、自分のプライベートの人間関係に利己主義者がいた場合、自分の何もかもが相手に吸い取られ、何もなくなったら見捨てられてしまう。自分は「利用されるだけの存在」と化すからだ。

利己主義者との人間関係が元で破滅していた人たちを、誰もが自分の人生の中で、ひとりやふたりは思い浮かべることができるはずだ。そのため、付き合う相手を選ぶというのは、人間が社会で生きていく上で非常に重要な素養であると言える。

自分のことしか考えない、自分の都合しか主張しない、自分の利益で他人を裏切るような利己主義者がいたとしたら、私たちは何をしなければならないのか。

そうした利己主義者と関わっていると被害が拡大することになる一方なので、最も良い選択肢は「関係を切ること」なのである。その決断は早ければ早いほどいいのは言うまでもない。(written by 鈴木傾城)

 

利己主義者は取り繕うのもうまいのだが、そうやって何度も取り繕っても、結局は最後には「自分のことしか考えていない」というのが発覚して見捨てられていくことになる。

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