平均所得が最も高い区である港区は平均所得1023万円だが、足立区は335万円である。これくらいの差ならまだ何とか分断は起きないだろうが、これが10倍も20倍も違ってくるようになると、暮らしも違ってくるし、感覚も違ってくる。日本社会は階層で分断してしまうのだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
貧困層はネットカフェ、富裕層は億ション
もう日本社会は、不景気になったらいつでも使い捨てできる非正規雇用者が就労者の4割を占めるようになっているのだが、これによって格差社会が決定的になりつつある。
平均年収186万円の貧困層が約1200万人にもなって一部は住居すらも確保できずにネットカフェやシェアハウスで寝泊まりする中、上を見たら1億円どころか2億円や3億円もの高額マンションが普通に売れている社会でもある。
ちなみに、2020年の億ションは1818戸が供給されて、最高額は6億9000万円だったという。こういうのを平気と買える層がいる。
今はまだ日本社会は富裕層と貧困層が普通に混じって生活しているのだが、この格差が広がっていった先には、それぞれの生活圏が分離して、まったく違う世界・社会で互いに交わらないで生きることになるのは確実だ。
なぜ、そんなことが分かるのかというと、欧米や南米のような格差が凄まじく開いた社会はそうなっているからである。金持ちは貧困層が入ってこないように、自分たちが生きるエリアではゲートを作って同じ金持ちだけで生活する。
それがゲートシティなのだが、日本もいずれは経済格差によって社会が分断されて「上級国民」と「その他貧困層」が違う世界で生きることになる。
貧しい世界では他人との距離がかなり近づき、相手の体温すらも感じられる。しかし、豊かになればなるほど他人と距離を置くようになる。近寄らせないし、不用意に相手の身体を触ることも触らせることもない。豊かになると、無意識に距離を置くことを考えるようになるのだ。
そして、それが社会的なものになっていくと、社会的な階層・経済的な階層によって近寄らせる階層と遠ざける階層を明確に分けていくことになる。上級国民は上級国民だけで付き合うようになり、貧困層は貧困層だけで付き合うようになる。
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「ホームレスの命はどうでもいい」というメンタリティ
豊かさで距離感が変わる。カネの有無が、人間と人間の距離感を微妙に変えていく。カネがあるなしで人間の感覚は違ってくる。感覚と言えば、真っ先に目に付くのは「清潔感」の違いだ。
2021年に、メンタリストDaiGo(松丸亮吾)という男が「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「ホームレスの命はどうでもいい」「邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ」「いない方が良くない?」と言って、かなり不評を買ったことがあった。
以後、この男は「人間のクズ」「レイシストDaiGo」とか批判されるようになっていくのだが、いくらかの大金を持った松丸亮吾のメンタリティにも「清潔感」の違いによる拒絶反応が如実に見て取れる。
上級国民のように高くて清潔な服を着ていると、どうしても服を汚したくないとか、清潔感を保っていたいとか、そのようなことを考えるので、そのようなメンタリティが普通になる。
だからこそ「自分より不潔な人間は自分に寄るな」「邪魔だ」「プラスにならない」「いない方が良くない?」という発想になるのだ。
清潔で高級な背広を着た上級国民が、泥にまみれた工事現場の作業員と一緒に肩寄せ合うことはない。日本では朝夕の満員電車があるが、実はこの満員電車は、だいたい同じくらいの階層の人たちの集まりになっている。
一般的な話をすれば、極端な金持ちや極端な貧困者は満員電車に乗っていない。それは、誰もが無意識で知っている。そして逆に、たまにホームレスのような人間が禁を破って乗ってくると、みんな距離を置くのでぽっかりと空間ができる。
これは、階層が違うと距離感を置くようになるという良い見本だ。普通の人はホームレスと距離を置くが、それと同じく「超富裕層」も、満員電車で一般庶民にまみれたくないと思って、最初から電車なんかに乗ることはない。
まして、満員電車なんか死んでも乗らない。彼らは彼らで距離を置いているのだ。ただ、そこにいないので普通の人は気付かないだけだが……。
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特権階級的な意識もまた無意識に貧困層を遠ざける
上級国民になればなるほど、自分は「飛び抜けた」という意識が生まれるようになる。そうすると、その特権階級的な意識もまた無意識に貧困層を遠ざけることになる。
歴史を見ても、カネと共に権力をも合わせ持った王族や貴族の態度はそうだ。彼らは「下々の者」に自分たちを気安く触らせない。それは「自分たちは階層が上だ」という意識があるからだ。触らせないことによって、自分たちが特別だと振る舞える。
また、触らせないことによって非人間的な印象を強め、神格化にもつながっていく。だから、豊かになればなるほど自我が強くなって距離感を求める。
意図的な神格化だけでなく、カネを持つようになると貧困層に「恐怖」のような感情も生まれてくるのも距離感を生み出す元になる。
それもそうだ。上級国民になればなるほど、「高額なモノ」「高級なモノ」をたくさん持っている。そうしたものを所有しない貧困層との距離が近づけば近くづくほど、「盗られはしないだろうか?」と感じても仕方がない。
資産が増えれば増えるほど、なおさら猜疑心が募って他人とは一定の距離を持つのが当たり前になっていく。見知らぬ人、得体の知れない人には近づきたくないはずだ。見知らぬ貧困層と付き合って誰かを自分の家に上げるなど、上級国民にはとんでもない話になっていくのだろう。
貧しい国に行くと、よく他人の家に招き入れられる。飲み物が出てきて、挙げ句の果てに「泊まっていけ」という話になる。私はカンボジアやインドなどの国のスラムで、そうやって何回も他人の家に招き入れられた経験がある。
カネのあるなしによって距離感が違っていくのは、格差社会を観察していると分かってくる。人の心理は、気が付けば金の有無で容易に分離してしまうのである。
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それは、いずれ社会に反映されて分断を生み出していく
一億総中流が崩壊し、格差が広がっていく現代の日本社会では、この「距離感」によっていよいよ新しい社会が形作られるようになる。
日本はすでにOECD加盟国平均よりも貧困率が高い国だ。厚生労働省の「国民生活基礎調査」によると、2019年の相対的貧困率の最新値は15.4%だった。単純にこの数字を2019年の日本の人口1.263億に当てはめると、約1945万人が貧困だということになる。
しかし、上級国民はこの膨大な貧困層が見えないし、実体もよく分からない。
大卒で大企業に勤めるホワイトカラーの人々や、首都圏郊外の一戸建て住宅地に住んでいると、「貧困層と会うことがない」からだと指摘しているのは、早稲田大学人間科学部教授の橋本健二氏だ。
日本も「学歴・出生年・性別」という属性で区分けされており、それぞれ住む場所も違っていて「分断」が起きるようになりつつある兆候でもある。
東京23区で言えば、港区は平均所得が最も多く、足立区は平均所得が最も低いというのはよく知られている。平均所得が最も高い区である港区は平均所得1023万円だが、足立区は335万円である。
これくらいの差ならまだ何とか分断は起きないだろうが、これが10倍も20倍も違ってくるようになると、暮らしも違ってくるし、感覚も違ってくるし、人生もまたまったく違ってしまっているはずだ。
金持ちエリアに住む富裕層は、足立区などの貧困エリアに住む貧困層とは「生きている世界」が切り離されていて、互いに相手の存在を感じなくなる。
個人が持つ「同質を近づけて異質を排除する」という距離感が、集団になると富裕エリアと貧困エリアを生み出して、それぞれが家賃などによって区分けされていくようになり、やがて互いに相手のことが分からなくなっていく。
特に子供の頃からゲートシティで暮らす上級国民だった場合、何も持たない人たちの人生が想像できないし、嫌悪すらも抱くようになっても不思議ではない。
そして、「生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救ってほしい」「ホームレスの命はどうでもいい」というメンタリストDaiGoのようなレイシスト丸出しの考え方にむしろ共鳴するような精神構造にもなる。
「向こう側」に知り合いもいないし積極的に関わる理由もないので、相手の人生を慮ることもなくなる。
カネのあるなしによって距離感が違っていく。そして、それはいずれ社会に反映されて分断を生み出していく。日本がそうなっていこうとしていることに気付いている人はそれほどいないだろうが……。