アップルが「黙って俺の言うことを聞け」式の強引な経営を行っていたのは2011年頃までだ。
名実共にアップルの指導者となったティム・クック時代が進むにつれて、アップルはむしろ協調や環境や文化に配慮する「カリフォルニアの良心」を体現する企業となっている。
アップルは明確に変化した。
ティム・クックはIBM出身のCOO(最高執行責任者)からコンパックを経て、1998年にアップルに入社した。以後、アップルのCOOとしてスティーブ・ジョブズを支える重要な幹部としてアップルの屋台骨を支えてきた。
CEOのジョブズがビジョンを示し、それを実現するためにCOOのティム・クックが実務を担ってきた。
アップルの時には傲慢とも言えるリーダーシップ経営はスティーブ・ジョブズの性格から来ているものであった。
2011年にジョブズが死去した後、こうしたアップルの毀誉褒貶の元だった「強引さ」が徐々に消え去っていこうとしており、アップルは大人らしく振る舞える企業となりつつある。
アップルの企業文化が明確に変わった理由とは?
アップルが「傲慢不遜な企業」から「カリフォルニアの良心」に変化したのは、ティム・クックがまさにそのような性格を兼ね備えているから、ということが言える。
このアップルの明確な企業姿勢は2014年10月から、ゆっくりと、しかし確実に動き出していた。
何があったのか。
アップルの最高責任者であるティム・クックは2014年10月30日、「私は同性愛者であることを誇りにしているし、神から与えられた最高の贈り物だと思っている」とブルームバーグ・ビジネスウイークに寄稿した。
その際、ティム・クックはこのように書き連ねている。
「同性愛者であるがゆえに、マイノリティであることの意味をより深く理解し、別のマイノリティに属する人々が、日々どのような困難にぶつかっているかを知ることができた。そのおかげで、人の気持ちを思いやれるようになり、人生がより豊かなものになっている」
アメリカのみならず、世界は今でも同性愛者に対する偏見と差別に満ちている。
だから、ティム・クックがこうした「告白」をすることは、アップルという企業に対する攻撃や、さらにティム・クック自身に対する批判や辞任圧力となる危険もあった。
しかし、ティム・クックはそうした危険性を認識しながら、明確に自分が何者であるかを世間に知らしめ、そしてその上で今後もアップルの経営の舵を取ることを宣言した。
このティム・クックの姿勢は受け入れられ、アップルのCEOが同性愛者だからと言ってアップルを見捨てるユーザーもいなかった。
これによって、アップルはスティーブ・ジョブズの「傲慢な文化」から、ティム・クックの「良心の文化」に変化していき、それが今に至っている。
「来年が読める」と思う方がどうかしている
アップルは1976年に創業された企業で、すでに創業40周年になっている。
この企業はアメリカの文化を体現する企業として特異な地位にあり、ごく普通のアメリカ企業とは違った特別な感情でアメリカ人に受け入れられている。
コンピュータ業界の動きは早く、流れは急で、栄枯盛衰は数年ごとに起きる。
かつては1950年以降、コンピュータ業界の中で巨人として君臨してきたIBMでさえ、1980年代になるとマイクロソフトやアップルに侵食されて冴えない企業として見捨てられるようになっていった。
こうした業界の浮き沈みはアップルも無縁ではなく、凄まじく革新的な製品を出して時代の寵児になったかと思うと、どうしようもない製品を出して時代に見捨てられたりする動きを繰り返してきた。
誰もが「光」しか覚えていないので、「アップルはいつも革新的だった」と思われがちだ。
しかし、アップルの歴史を仔細に見つめると、常に革新と失敗が交互にあって、その評価が落ち着かない企業であることに気付くはずだ。
「革新」は事業計画で生み出せるものではないということを批評家は忘れている。そのため、アップルはその企業の歴史の中で、いつを切り取っても「もうアップルの革新は消えた」とけなされ続けた。
現在も「アップルの革新は消えた。アップルは終わった」と言っている批評家がいるのは興味深い。
本当にアップルの革新が終わっているのであれば、アップルの財務は崩壊寸前になっているはずだが、別にそのようにはなっていない。
アップルは製品も技術も温存しているし、凄まじい研究開発費を投じながら、次に向かっている。その次が革新的なものなのか凡庸なものなのかは誰にも分からないのだが、それをこの段階に批評するのは愚かだ。
来年、自分の身に何が起きることすらも自分で分からないのに、アップルについてだけは「来年が読める」と思う方がどうかしている。
あたかもアップルの将来が読めるような素振りで「アップルは凋落する予感がする」などと言うのであれば、黙ってアップルの株式をショートしていればいい。
アップルの将来を死ぬほど悲観する時期は今ではない
コンピュータ業界は非常に難しい業界である。
それは、この業界がしばしばパラダイムシフトが発生して、今までの既存の企業が持ち合わせていた優位性が一夜にして消え去り、新しいものに取って変わるからである。
かつて、コンピュータ業界を牛耳っていたのはまぎれもなくマイクロソフトだったが、この企業は今でもパソコンのOSに関しては独占しており、その立場は変わっていない。
ところが、すでに時代はパソコンからスマートフォンに変わって、パソコンOSの独占があまり意味を為さない状況になってしまった。
パソコンはスマートフォンが本格化してからどんどん売上を落としている。今も重要な分野であるのだが、勢いそのものは消えてしまっている。
インターネットとスマートフォンの時代になって、IT業界を支配する企業は、アップル、グーグル、アマゾンの3強となっている。
しかし、これも「今はそうなっている」というだけで、今後も3強の地位は約束されているというわけではない。
コンピュータ業界のパラダイムシフトは常に起き続けており、ひとつでも打つ手を間違えると、この3強でも必ずどこかで足を滑らせる可能性がある。
しかし、重要なのは私たちは預言者ではないので、いったいどの企業がサバイバルに失敗して脱落し、どの企業が現在の地位をこれからも維持し続けることができるのか誰も分からないということだ。
次のイノベーションは、人工知能、ロボット、ウェアラブル等、多岐に渡っているのだが、どの分野が巨大市場と化し、どの企業が巨額の売上を得るのかも完全に未知数だ。
アップルの技術力やブランドや資金力は今のところ、何の不安はない。
しかし、だからと言ってそのアップルすらも次世代のイノベーションに生き残れるかどうか分からないというのがコンピュータ業界の難しいところだ。
ただ言えるのは、別にアップルの将来を死ぬほど悲観する時期は今ではないし、そう言った意味でアップルの凋落を預言している批評家はみんなニセモノだということは分かる。