「自立する」というのは、成人したばかりの若年層だけが考える課題ではない

「自立する」というのは、成人したばかりの若年層だけが考える課題ではない

自分の人生を最後まで支えるのは自分でしかない。他の誰でもない。親も最後まで面倒を見てくれることはない。親もそうだし、会社もまた同じだ。結局は、親や会社が消えても自分で何とか生きていけるようにするしかない。それが「真の自立」であると言える。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「自立した=成人した」という定義でなければならない

成人したのであれば、自立しなければならない。自立できていないのであれば、自立する準備をしなければならない。自立するというのは、親の家から出て行き、自分の食べる分は自分で稼ぐということだ。

「誰か」に何から何まで面倒を見てもらっているうちは、成人したことにならない。何から何まで面倒を見てもらわなければならないのであれば、成人したと思うべきではない。

もし、いろんな意味で「親」から離れられない境遇であるのなら、それは「親」に借りがあると思わなければならない。そして、借りというのは返すべきものであるということだ。

自立するというのは難しい。厳しい。それは誰にとっても並大抵のことではない。その大変なことをしなければならなくなるのが「成人」であって、それから逃げていては真の意味で成人になれない。

20歳になって自動的に成人になれたという認識は甘すぎる。20歳になっても「誰か」に依存し、面倒を見てもらわなければ生きていけないというのであれば、成人していないと思わなければならない。

「自立した=成人した」という定義でなければならない。

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働いても働いても豊かになれない苛酷な時代に

現代社会はますます生きにくい時代となっている。その理由は何度も述べている通り、企業が明確に利益優先主義に向かうようになり、世の中全体が雇用を削減しようとしているからだ。

インターネットの発展、ハイテクの進化、AI(人工知能)、ロボット化は、人々の娯楽になる一方で、企業が雇用を排除するためのテクノロジーにもなっている。

企業はこうしたテクノロジーを存分に使って効率化を推し進めた結果、今まで10人でやっていた仕事を5人で、5人でやっていた仕事を3人で、3人でやっていた仕事を1人でできるようにしている。

企業が抱えるコストの中で最も大きいのは今も昔も人件費である。それはとても重い負担になる。特に競争が激しくなればなるほど、値下げが求められれば求められるほど、コスト負担は厳しくなる。

だから、利益を上げようと思えば、コスト削減が重要になり、コスト削減のためには人件費を削減する必要があるのだ。そのため、終身雇用を捨てた昨今の企業は、赤字になって大量のリストラをする以前に、黒字の段階でリストラをする。

そうした効率化を成功させればさせるほど、企業は利益を上げられる。これからの企業は「いかに人を雇わないで利益を上げるか」に邁進することになる。

だから人々は、少なくなっていく仕事口を求めて安い給料でも妥協して働くようになっていき、世界中でワーキングプアの人々が出現するようになった。「働いても働いても豊かになれない」という苛酷な時代になっていったのである。

これは別の言い方で言うと、「自立するのが難しい時代になった」ということでもある。

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自立するというのは、「依存から抜け出すこと」

自立するというのは、「特定の誰かからの依存から抜け出すこと」と考えなければならない。「特定の誰か」からの依存から抜け出し、自分の力で生きていけるという状態にするのが最終的な自立だ。

20歳前後の若年層が依存しているのは、大抵が「親」だ。だから、彼らから見ると「親」の依存から抜け出してひとりで生きていくというのが自立である。

しかし、「親」の依存から抜け出して、どこかの「企業」に入ってその企業に隷属してしまうと、今度はその企業なしには生きていけない身となってしまう。

つまり今まで親に隷属していたのだが、今度は企業に隷属する形になる。隷属する対象が変わっただけで、これでは自立したとはとても言えない状況である。「特定の誰か」に隷属したままなのである。

自分の食べる分は自分で稼いでいるという点で、働いている人は一応は自立していることにはなる。

親の家にしがみついて、子供部屋で引きこもりをしているような人間に比べるとずっとマシだ。しかし、それでも特定の企業に隷属するしか生きていけないのであれば、「自立している」とはとても言い難い。

どこかに隷属してしまうと、どんな理不尽を突きつけられても従うしかなくなる。

ブラック企業というのは、労働者を奴隷のように酷使する企業を指すが、その企業に隷属してしまっている人にとっては、そこに隷属するしか生きていけないと思っているので、どんなに酷使され、冷遇されても我慢するしかない。

そんな状況では自立しているとは言い難い。

今は無人島で暮らすような時代ではないので、人は誰でも誰かに依存しながら生きている。だから、自立するというのは「自分ひとりで何でもかんでもしなければならないこと」というわけではない。

自立するというのは、「特定の誰か」に頼らなくても生きていけるという意味である。特定の誰かとは、「親」かもしれないし「企業」かもしれない。

そう考えると、本当の意味で「自立する」というのは、20歳になって成人した若年層だけの課題ではないことに気付く。

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「自分は自立して、成人として暮らしているのか」

自分の人生を最後まで支えるのは自分でしかない。他の誰でもない。親も最後まで面倒を見てくれることはない。親もそうだし、会社もまた同じだ。結局は、親や会社が消えても自分で何とか生きていけるようにするしかない。

それが「真の自立」であると言える。

自分の生活は自分で支え、自分の人生は自分で支えるしかない。それが「真の自立」の意味だ。だから「自立しているのか?」というのは、生きている全員が自分の人生に問いかけなければならない重要な問題である。

引きこもりの子供に「自立しろ」と怒鳴る父親も、実は特定の会社に依存して、そこから追い出されると生きていけない立場であるのであれば自立していない。

零細企業の中には、大企業の下請けと化していて、大企業の理不尽な要求に「行かず殺さず」の奴隷状態に置かれている企業も珍しくない。企業として「自立していない」ので、そうなっている。

特定の誰かに依存し、隷属してしまうと、どんな理不尽を要求されても拒否できないという意味で「自立できていない」ということになる。

自立していると、理不尽なことがあったら、すぐにそこから抜け出せる。自分の道を自分で切り拓いていける。自分のために頑張ることができる。

そう考えると、自分が自立できているのかどうかというのは、一生を通して自分に問いかけなければならないことであり、人生の目標ともなることなのだ。

成人とは「人に成る」という意味だ。自立して人になる。

「成人の日」とは、20歳になった人々に「成人になった」と認める日ではなく、「自分は自立して、成人として暮らしているのか」と自分に問いかける日である。

誰かに隷属して生きているのであれば、「自立していない=成人していない」と自分を分析しなければならない。果たしてあなたは、自立して成人になっているだろうか?

成人になるというのは、難しいことなのだ。それは誰かが与えてくれるものではない。自分でつかむものである。

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