人生は80年は古い常識となった。今後、日本の社会システムが崩壊する理由

人生は80年は古い常識となった。今後、日本の社会システムが崩壊する理由

2020年代の残酷な現実。それは「高齢労働」だ。年金で食っていけないのであれば「身体が動くまで、働けるまで」、とにかく働くしかない。仕事が好きだとか嫌いだとか、そんなことを言っているような余裕などない。カネがなければ働く。それしか選択肢が残されていないのである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

今の時代、「人生は80年」と考えるのは大間違いだ

今、日本には100歳以上の人口はどれくらいいるのか。厚生労働省が2020年9月15日に発表した数字によると、8万450人である。実は毎年毎年100歳超えの人口は増え続けており、もう100歳超えの人の存在は珍しくなくなった。

厚生労働省は「日本人の人口は100歳を超えることになる」という試算の元で、社会システムを設計しようとしている。なぜなら、「2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きる」と推計されているからだ。

人生100年時代というのは、キリが良い数字だから100年と言っているのではない。本当に100歳以上生きる人が大量に出現するのである。

まだまだ私たちは今「人生は80年」と考えているのだが、医療が発達し、アンチエイジングの知識が広がり、人々が環境と健康に気を遣うようになった今、人生は90年を超えたり100年を超えるのは、もう当たり前になってきた。

だから、定年が60歳というのは政府にとって困るのである。年金の支払いが40年にも渡って延々と続く。しかも年金は積み立て方式ではなく、賦課(ふか)方式になっている。

賦課方式と言うのは、その時に働いている現役世代が納めた保険料がその時の年金受給者への支払いになる方式だ。

子供がどんどん生まれ、働いている現役世代の層が厚い時代であれば賦課方式でも何の問題もない。しかし、子供も働く現役世代も減る一方の社会になると、賦課方式では現役世代の負担は非常に大きくなる。

それが今、起きていることなのである。少子高齢化と人生100年時代が組み合わさると、今の社会システムは崩壊するしかない。厚生労働省が対策を急いでいるのは、そういう理由があるからだ。

【金融・経済・投資】鈴木傾城が発行する「ダークネス・メルマガ編」はこちら(初月無料)

なおさら貯金は必要になってくる理由とは?

そこで政府は対策を考えている。どうするのか。政府と言えどもマジックが使えるわけではない。できる対策は言い方をどのように変えたとしても、以下の3つが大きな柱にならざるを得ない。

「年金の受給年齢をひたすら引き上げる」
「定年年齢をひたすら引き上げる」
「年金額をひたすら引き下げる」

この3つが意味するのは、どれも「老後は年金で悠々自適」は、破綻したも同然のライフスタイルになったということである。よほどの貯金がない限り、私たちは死ぬまで働くしかないとうのが現状なのである。

しかし、「死ぬまで働く」と言っても健康寿命が死ぬ直前まで保てるというわけではない。死ぬ前に働けなくなる期間が発生し、その間は年金と貯金で食い潰して生きながらえる必要がある。

だから政府は「2000万円必要」という試算を出した。

実のところ、年金というのはそれだけで生活を充足させることができるほどの額がもらえるわけではないので、貯金は十分にあった方がいい。寿命が100歳まで延びるような環境になるのであれば、なおさら貯金は必要になってくる。

還暦を迎える人の平均貯蓄額は2900万円なので、現実を見ると「2000万円の貯金が必要」というのは、それなりにリアリティのある数字に見える。

しかし、貯蓄額に「平均」は意味がないというのは、以前から繰り返し指摘されていることだ。

巨額の貯金を持った人間が一部に存在すれば、平均値は一気に上がって現実を映さなくなる。実際のところ「2000万円未満が67%」であり、その中でも貯金額100万円未満が一番のボリュームゾーンなのである。

【ここでしか読めない!】『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』のバックナンバーの購入はこちらから。

否が応でも「高齢労働」という現実を突きつけられる

それでは、貯金100万円未満の人は、どうするつもりなのか。年金で食っていけないのであれば「身体が動くまで、働けるまで」、とにかく働くしかない。仕事が好きだとか嫌いだとか、そんなことを言っているような余裕などない。

カネがなければ働く。それしか選択肢が残されていないのである。

だから、プルデンシャル・ジブラルタ・ファイナンシャル生命の調査によると『還暦を迎えても働き続けたいという人は8割以上に及ぶ』という調査結果になっていくのである。

日本は昔から「勤労が美徳」という意識が強い。そのため『還暦を迎えても働き続けたい』という結果が圧倒的大多数になっている要因も、そうした日本社会の文化が大きく影響していると考えることもできる。

しかし、一方で土日を待ち望む労働者の姿や、次の休みを指折り数えている労働者の姿や、アーリーリタイアを望む労働者の姿や、仕事が嫌で鬱病になってしまう人たちの姿もある。

「いったい、いくら貯金があればアーリーリタイアできるのか」と計算する人も多く、そうした記事もよく読まれる。(マネーボイス:早期リタイアは夢のまた夢?何とかなる?望むサラリーマンが決めるべき2つの覚悟=鈴木傾城)

客観的に見ると、日本人の誰もが「労働が好きで好きでしょうがない」というようには見えない。当たり前の話だが、「一刻も早く会社を辞めて、後はのんびりと暮らしたい」と考える層も莫大な数で存在する。

それでも日本人が『還暦を迎えても働き続けたい』と答えざるを得ないのは、結局のところ、老後を支える貯金がないというのが現実であり、生きるためには老体に鞭打つしかないと人々は思っているからに他ならない。

人生100年時代になると、否が応でも「高齢労働」という現実を人々は突きつけられることになる。これこそが、2020年代に起こり得る大きな社会変化だ。「死ぬまで働け」が現実化するのである。

身体がボロボロになっても好きでもない仕事で働き続ける。それが「高齢労働」の世界だ。

ダークネスの電子書籍版!『邪悪な世界の落とし穴: 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナに落ちる=鈴木傾城』

残りの人生を左右するのは健康でいられるかどうかである

貯金がなければ「高齢労働」をするしかない。しかし、この「高齢労働」が成り立つにはひとつの条件がある。

それは「労働に耐えうるだけの健康が還暦後も残っている」ということだ。貯金がなく、いくら還暦を過ぎても働き続けたいと思っていても、労働を支えるだけの健康がなければ何もできない。

もし、還暦を迎えるあたりで働けないほど健康を害していたら、まさに「貯金はないが働くこともできない」という最悪の局面に陥ることになる。

肉体のピークは10代から20代であり、それ以後は年齢がいけばいくほどどんな壮健な人でも必ず体力が落ちていく。

それだけでなく、あらゆる臓器が劣化していくので病気になりやすくなり、身体の故障も多くなる。騙し騙し生きるしかなくなる。場合によってはフルタイムの勤務はできない可能性もある。

肉体労働をするにしても、知的労働をするにしても、若い人よりもパフォーマンスが落ちるのは致し方がない。老後の労働は端的に言えば、いろんな面で衰えてしまった自分との闘いである。

この闘いが厳しいものになるのかどうかは、結局のところは残っている健康がモノを言う。そのために、貯金がなければないほど重要になってくるのは「健康」ということになる。

貯金があれば健康でなくてもいいわけではない。意識しなければならないのは、貯金がなければないほど健康であることの重要度は高まるということだ。それこそ貧困の度合いと生死を左右するものになっていくのである。

もし、「定年を迎える頃になっても、それほど貯金を貯められそうにない」というのであれば、残りの人生を左右するのは健康でいられるかどうかである。「身体が資本」というのは、そういう意味が込められている。

『ライフシフト 100年時代の人生戦略』

鈴木傾城のDarknessメルマガ編

CTA-IMAGE 有料メルマガ「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」では、投資・経済・金融の話をより深く追求して書いています。弱肉強食の資本主義の中で、自分で自分を助けるための手法を考えていきたい方、鈴木傾城の文章を継続的に触れたい方は、どうぞご登録ください。

一般カテゴリの最新記事