そろそろ、優秀な人材の定義を変えなければならない時代だ

そろそろ、優秀な人材の定義を変えなければならない時代だ

かつて、1945年から1950年の日本では、石炭の会社が一流大学の学生の人気の就職先だった。石炭は日本のエネルギーを支える非常に重要なものであると思われていたからだ。

しかし、一流大学の学生が殺到していたその頃が石炭業界のピークで、あとは凋落の一歩を辿った。

同じ頃、衣料品に不足していた日本では、繊維業界も空前の売上を誇り、多くの一流大学の学生が繊維業界に殺到した。繊維業界は未来永劫に成長すると思われた就職先だったのだ。

しかし、一流大学の学生が殺到していたその頃が繊維業界のピークで、あとは凋落の一歩を辿った。

映画産業も、人々の羨望の的であり、一流大学の学生が殺到していたが、やがてテレビの時代が来ると、映画産業は一気に衰退して斜陽産業となった。

化学肥料の業界も、当時は最重要な分野だと言われて一流大学の学生が殺到していたが、やがて衰退して凋落していく。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

高級官僚には今や「死亡フラグ」が立っている

バブルの頃は、誰もが不動産産業に入りたがって、まったく関係ない人間も宅建法のような資格を取りに走ったほどだった。

ここでも、一流大学の学生が不動産会社に殺到していたが、バブル崩壊に見舞われると、不動産会社は一気に凋落していった。

この頃は金融機関に就職するのも流行っていたが、バブル崩壊で銀行や証券会社がどうなったのか。不良債権を抱えて身動きできなくなったのが、金融機関ではなかったか。

ちなみに、現在は日本企業がグローバル化に乗り遅れて苦境に落ちる時代だ。

その現状を見て、一流大学の学生は以前にも増して身分が安定している上級国家公務員を目指すようになっている。霞ヶ関でキャリア官僚になるのが目標になっているのだ。

在職中は高給がもらえ、下手なことをしない限りクビもなく、退職したら天下りでまた甘い汁が吸える。「上級国家公務員になれば一生が安泰」という発想である。

そう考えると、一流大学の学生に好かれる「官僚という職業」にはかなり強い「死亡フラグ」が立っていると言える。

それほど遠くない将来、官僚という立場は衰退し、崩壊し、見るも無惨な立場になっていくということが予測できる。

時代は必ず変わっていく。しかし、多くの人は「目の前の羽振りの良い業種」しか見えない。

次に何が来るのか予測も付かないので、とりあえず「現在素晴らしいもの」に飛びつくしかないと考えている。打算的な人であればあるほど、そうなのだ。

現在「素晴らしい」業界にいれば、まわりもちやほやしてくれるし、すぐに楽できる。しかし、現在が素晴らしいということは「あとは落ちるだけ」ということでもある。一瞬は良くても、あとはずっとじり貧が続く。

そして、「ここにいてはいけない」と気が付く頃には、もう抜け出せない年齢になっている。

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本当は、集まった人材は優秀ではなかった?

ここで気が付かなければならないのは、2点ある。

1点は、一流大学の学生が殺到する産業は、そのときがピークで近いうちに凋落するというのがひとつだ。

一流企業の学生は、その時代で最も輝いている企業から熱烈歓迎されるので、大勢がそこに向かうのだが、それは単なる人気投票で「今は」ナンバーワンであるというだけなのだ。

「今は」そうであっても、「将来も」そうであるとは限らない。むしろ、頂点を極めたら、あとは落ちるだけしかないというのは小学生でも思いつく社会現象だ。それを、なぜか「優秀」な学生が思いつかない。

いや、優秀なだけあってそうしたリスクは気付いているのかもしれないが、「一流企業に勤める」というブランド志向を止めることができない。海のものとも山のものともつかぬ新しいセクターの無名の企業に入るのは屈辱なのである。

また、一流企業は将来に渡って永遠に一流であるという錯覚にとらわれて、そこから抜け出せないこともある。

もちろん、欧米の多国籍企業のように、100年前から存続して、今もなお巨大な成長と利益を叩き出す「希有な企業」もある。

しかし、そんな希有な例を出して、日本でしか通用しない一流企業がそうであると思うのは大きな錯覚である。ほとんどの企業はピークを過ぎると凋落を余儀なくされる。

もう1点は、その業界に一流の頭脳が集まっていても、凋落を止めることができないという事実だ。

これを指して、このような指摘をする人もいる。

「一流大学の優秀な人材が集まった業界は衰退するというが、それほど優秀な人材がいたのであれば、なぜ会社は躍進できなかったのか?」

「本当に優秀なら先を読んで手を打てたのに、それができないとすると、実のところ集まった人材は優秀ではなかったのではないのか?」

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「体制が望む方向」に勤勉だったということ

昔から現在まで、日本で「優秀な人材」というと、まぎれもなく「有名大学を良い成績で卒業した人」という意味だ。学歴社会のコアになっている考え方がここにある。

一流大学の成績優秀者であればあるほど「良い人材」なのである。これらの学生は、必死に勉強し、熱心に暗記し、勤勉であるのは間違いない。

重要なのは、「体制が望む方向」に勤勉だったということだ。体制が作り上げた価値感に従順だったという言い方もできる。

与えられた課題を一生懸命にこなすという意味で優秀だったのだ。「なぜ、こんなものを覚える必要があるのか?」「なぜ、課題を与えられてこなす必要があるのか?」とは考えない。

不良学生は、逆にこう考える。「なぜ、学校は俺に命令する権利があるのか?」「なぜ、興味のないことを覚える必要があるのか?」

不良学生が不良であるのは、体制に従順ではないという意味で不良であり、優秀な学生が優秀であるのは、体制に従順であるという意味で優秀なのだ。

そう考えると、日本人の優秀な人材とは、必然的に体制に従順であることが分かる。そして、体制を疑わない人間ばかりがトップに集まるということになる。

体制を疑わないということは、体制のあり方に疑問を持って、それを変えて行こうとはしないということでもある。

そういう人間をわざわざ選んだのだから、体制のあり方に疑問を持てという方が間違っている。

世の中が変わっても、体制に従順なので、世の中に合わせようとする発想がない。それが変化できない大きな理由になる。

日本のあちこちが「先延ばし」「事なかれ」「優柔不断」になっているのは、要するに体制に従順な人間がトップにいるということであり、いよいよその弊害が現れているということでもある。

日本はすでに中国・韓国・北朝鮮と外交的な衝突を迎えている。今後は軍事的な闘争や暴力の時代に向かう。

その前に準備しておかなければならないのは、こういった従順な人材を一掃し、暴力や衝突に対抗できる人間に入れ替えることだ。

場合によっては、「血だるま」になっても相手に向かって行くような、凄絶な人間が必要になるのかもしれないのだ。

時代は待ってくれないので、逡巡している場合ではない。

日本が生き残るためには、そろそろ優秀な人材の定義を変えなければならない時代になっているのである。(written by 鈴木傾城)

 

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時代は待ってくれないので、逡巡している場合ではない。そろそろ、優秀な人材の定義を変えていかなければならない時代になった。

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