
三島由紀夫の存在は、今の「右翼」として生きる人間たちに深く刻印されている。そして、その三島由紀夫という刻印には、三島由紀夫が持っていた「感情」もまた右翼陣営にそのまま織り込まれたと私は見ている。その感情とは何か? それは、社会に対する怒りである。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
『日本国民党』鈴木信行、『国体文化』金子宗徳
今の日本の強硬右派を代表する政党『日本国民党』の代表である鈴木信行氏と、『国体文化』の編集長で日本の天皇制研究の第一人者である金子宗徳氏と一緒に新宿三丁目で会食したのは3月24日だった。(以下・敬称略)
『どん底』という隠れ家的な居酒屋だったのだが、この居酒屋は三島由紀夫が足しげく通っていた店だったということで、さすがに大物右派陣営の選ぶ店のチョイスは違うとしみじみ思ったものだった。居酒屋でさえも妥協しない。
作家・三島由紀夫は言うまでもなく今の右翼勢力に過大な影響力を与えた作家であり、「鈴木信行」と「金子宗徳」という2人の人生にも三島由紀夫の存在はかなり大きなものがあったはずだ。
金子宗徳は2012年の講演「三島由紀夫と国体論」の中で、義エリート養成所でもあった筑波大学附属駒場高校で早くも「現代社会に対する根源的違和感」を感じて、そこから三島由紀夫に関心を持つようになっていったと記している。(国体学者 金子宗徳:【講演要旨】「三島由紀夫と国体論」(上))
金子宗徳は京都大学在学中に「国家としての『日本』--その危機と打開への処方箋」で第三回読売論壇新人賞優秀賞を受賞するなど、その天才的な知性を早熟にして遺憾なく発揮する人物だが、その思想の根源に三島由紀夫の『英霊の声』などの著書の影響があった。
鈴木信行という人物はどうなのか。鈴木信行の方はさらに三島由紀夫の「刻印」は濃いのかもしれない。それは、鈴木信行の経歴を見れば分かる。何しろ鈴木信行の「右翼」としての出発点は、「一水会」から始まるのである。
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「三島由紀夫の影響力はまったく落ちていない」と思い至った
三島由紀夫は「楯の会」という軍隊を創設したのだが、三島由紀夫の死後しばらくして「楯の会」は解散し、その班長だった阿部勉が三島由紀夫の精神を継承するために創設したのが「一水会」だった。
ここに今の右翼の重鎮となる多くの人間たちが集まり、そして散らばり、それぞれの場所で台頭していくことになるのだが、鈴木信行はまさにこの「一水会」出身なのだ。鈴木信行は三島由紀夫の系譜から生まれてきた人物だ。
実のところ、現代の右派の中で三島由紀夫の影響は凄まじく強大だ。それは、鈴木信行と金子宗徳だけでない。
たとえば、2020年12月に私は多くの右翼陣営が集まる場に末席を用意して頂いて参加したことがあったのだが、そこでは大正13年に設立され、今もなお月刊誌『大吼』を出版し続けている大吼出版の編集長・丸川仁氏が乾杯の挨拶があった。
ここでも三島由紀夫の言葉が、まるで当たり前のように引用され、そして聞かれていたのである。それはあたかも三島由紀夫がまだ生きていて、まるで昨日それを語ったかのように語られている。
「三島由紀夫の影響力はまったく落ちていない」と私が思い至った瞬間だった。
その存在の圧倒的な大きさは私が想像している以上のものがあった。三島由紀夫の存在は、今の「右翼」として生きる人間たちに深く刻印されている。そして、その三島由紀夫という刻印には、三島由紀夫が持っていた「感情」もまた右翼陣営にそのまま織り込まれたと私は見ている。
その感情とは何か?
それは、社会に対する怒りである。
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三島由紀夫にとって日本はどのように見えていたのか?
三島由紀夫が割腹自殺をしたのは1970年11月25日である。三島由紀夫は当時の社会を憂う純粋で行動派の作家だったが、この作家の根底にあったのは不甲斐ない社会に対するたぎるような「怒り」であったとも言える。
その三島由紀夫の現代日本に対する歯がゆい怒りが読み取れるのが、三島由紀夫のクーデター呼びかけの際に撒かれた『檄《げき》』である。
われわれは戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを拔かし、國の大本を忘れ、國民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陷り、自ら魂の空白狀態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、權力慾、僞善にのみ捧げられ、國家百年の大計は外國に委ね、敗戰の汚辱は拂拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と傳統を瀆してゆくのを、齒嚙みをしながら見てゐなければならなかつた。
三島由紀夫にとって日本はどのように見えていたのか。今の言葉でわかりやすく言うと、このように見えていたということだ。
・経済的繁栄「だけ」にうつつを抜かしている。
・「国」そのものを忘れてしまっている。
・政治は矛盾だらけ、自己保身、権力欲、偽善だけ。
・国家の行方は外国(アメリカ)に委ねたままだ。
・敗戦国というおとしめは払拭されない。
・日本の歴史と伝統は潰されている。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を與へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に與へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは來ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に關する財政上のコントロールである。日本のやうに人事權まで奪はれて去勢され、變節常なき政治家に操られ、黨利黨略に利用されることではない。
日本人が日本人のための軍隊を持てない。日本を守れない、そうした怒り、いや怒りを超えた憤激を三島由紀夫は『檄』で述べている。この凄まじいまでの怒りを継承したのが、その後の日本の右翼だった。
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「三島由紀夫という存在」を人生に織り込んできた強硬右派
この三島由紀夫の『檄』に日本人は答えなかった。そして、日本人は以後も国のことを考えることもなく、社会を変えることもなく、なすがまま、流れるがまま生きてきた。その結果、どうなったのか。
今や日本人が拠り所にしていた経済も1990年以後からは徐々に衰退しはじめ、国は反日左翼・リベラル・フェミニストたちによって変質し、何もしない・できない政治は社会を混乱させるだけとなり、いまだに敗戦国というおとしめは払拭されず、日本の歴史と伝統はつぶされているのに何もできない。
当時の日本人は、三島由紀夫が「このままではいけないのだから日本を変えよう」と命を賭けて訴えた言葉に振り向きもせず、無為無策を決め込んだ。
そして三島由紀夫が割腹自殺で散って50年経ち、日本人は今になってやっと「あの時に三島由紀夫が叫んだ言葉に耳を傾けるべきだった」と考えるようになってきているのだ。
左翼・リベラル・フェミニストに汚染されて破壊されて亡国の道を辿っている「日本」に対して、いよいよ本気で立て直さないと間違いなく亡国に至るのではないかと、ごく普通の日本人が危惧するようになってきている。
亡国の道をひた走っている日本だが、私は今の状況の中で今後は「思想の揺り返し」が起こり得ると考えている。
戦前から戦中にかけて大きく右に振れた振り子は、戦後になって大きく左に振れた。そして、左に振れ過ぎて亡国が見えてきている今、人々は本能的に「この道を行きたくない」と考えて再び振り子を戻そうとしている。
そうなりつつある今、日本民族の触覚になるのは「三島由紀夫という存在」を人生に織り込んできた強硬右派であるのは間違いない。
居酒屋『どん底』での談笑が終わった後、帰りに『日本国民党』の鈴木信行は私を呼び止めて、壁に貼られている一枚の新聞記事に注意を促した。三島由紀夫が掲載された新聞記事だった。
私が鈴木信行にうなずくと、その後で金子宗徳氏がニヤリと笑った。
