野村秋介という男。今こそ日本人が見直さなければならない強硬右派の巨人

野村秋介という男。今こそ日本人が見直さなければならない強硬右派の巨人

真の天才は自分のことを天才とは言わないように、本来は知性派であった野村秋介も知性派とは自らを称しなかった。しかし、振り返ってみると記憶に残るのは武闘以上に横溢《おういつ》する知性なのである。日本人は今こそ野村秋介という巨人を振り返るべきである。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

右派勢力を徹底的に潰すのが反日左翼マスコミのやり方

今、私たちが見直さなければならないのは、「野村秋介」という1993年に自決した強硬右派の巨人である。

多くの日本人は左翼・リベラル・フェミニストが現代の日本を歪め、破壊し、軟弱にし、駄目にしている元凶であるということに気付き始めており、その親玉に「朝日新聞」という巨悪が聳え立っていることに気付くようになってきた。

中国・韓国・北朝鮮は日本に対して激しい反日言動を繰り広げているのだが、朝日新聞がマッチポンプでそれを煽り立て、常に反日国家の側に立って「日本が悪い」という論調を日本人に押しつけてきたということも分かるようになってきた。

自虐史観はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本に押しつけたものだったが、それを育て、日本に押しつけたのは朝日新聞をはじめとした左翼マスコミなのである。

これをずっと言い続けて朝日新聞と戦い、日本が左翼に侵食されることによって国家が歪んでいると訴え続けてきたのが、他ならぬ野村秋介だった。

1992年に、日本最強の保守民族団体である日本青年社等を母体として「たたかう国民連合・風の会」を立ち上げて比例区で立候補した。

しかし朝日新聞は、これを「ミニ政党」と言って無視したり、「虱の会」と言って嘲笑したりして意図的な選挙妨害を行って野村秋介が当選しないように世論誘導を行った。

反日左翼マスコミの体質は変わらない。右派勢力を徹底的に潰すのが反日左翼マスコミのやり方であり、これと敢然と戦ったのが野村秋介だったのだ。

選挙後、野村秋介の追い込みで朝日新聞の経営陣たちは吊し上げられ、野村秋介に謝罪せざるを得ないところにまで追い込まれた。

野村秋介は朝日新聞東京本社でこの謝罪を聞き入れ、今まで自分を信じて付いてきてくれた人々に対するけじめ、武闘派としての自らの生き方への決着をつける意味で、1993年10月20日に自決している。

ちなみに、この「風の会」で選挙スタッフを勤めていたのが、現在の強硬右派政党『日本国民党』代表の鈴木信行氏である。この当時、27歳だった。

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日本が陥っているのは「魂なき繁栄」だと喝破した

野村秋介は武闘派右翼、行動派右翼、新右翼に分類されている。自らは「武闘派右翼」と称していた。しかし、その言動を追うと、野村秋介の本質は武闘ではなく汲んで汲み尽きぬ芳醇なる知性にあったのは間違いない。

武闘に明け暮れていた生き方に隠されているのだが、野村秋介が残した数々の著書、あるいは野村秋介について記した書籍を読むと、恐るべき感性と知性がほとばしっていることに気付く。

真の天才は自分のことを天才とは言わないように、本来は知性派であった野村秋介も知性派とは自らを称しなかった。しかし、振り返ってみると記憶に残るのは武闘以上に横溢《おういつ》する知性なのである。

現代の日本は高度成長期やバブルを経て「金こそすべて」みたいな下らない風潮に毒されていき、いかに自分の物欲を満たすか、いかに金を見せびらかせて虚飾を満たすのかばかりに気を取られるようになり、「社会や国がどうなろうと自分だけが経済的に豊かで幸せであれば良い」という風潮に染まっていった。

国がしっかりと自主独立の政治を行い、秩序ある社会の中で国民が幸せに暮らす。そういう当たり前を目指すのではなく、国がどうなろうとどうでも良くて、自分だけ良ければ良いという利己主義がまかり通ったのが日本の戦後だった。

これに対して、1970年代からずっと警鐘を鳴らしていたのが野村秋介だった。野村秋介はこの「自分さえ良ければいい、豊かになりさえすればいい」をエゴイズムであると切り捨て、日本が陥っているのは「魂なき繁栄」だと喝破した。

そして、『いつまで〝魂なき繁栄〟にうつつを抜かしていれば気が済むのか』と魂なき繁栄の頂点に君臨していた経団連に突入したのが1977年だった。

檄文から見る野村秋介。野村秋介の憂慮は100%正しかった

野村秋介は、この経団連襲撃事件では「檄文《げきぶん》」を持っていたのだが、この檄文には以下のような文言が連なっている。(ウィキペディア:経団連襲撃事件

『諸君らの営利至上主義が、どれほど今日の日本を毒し、日本の荒廃と混迷を促し、社会世相の頽廃を煽ってきたか、その罪状看過すべからざるものがある』

『日本の文化と伝統を慈しみ、培ってきたわれわれの大地、うるわしき山河を、諸君らは経済至上主義をもってズタズタに引き裂いてしまった』

『環境破壊によって人心を荒廃させ、「消費は美徳」の軽薄思想を蔓延させることによって、日本的清明と正気は、もはや救い難いところまで浸蝕されている。自ら産んだ子供をコイン・ロッカーに平然と遺棄する異常の社会を、君らは、君らが意図したか否かは別として、現実として構築し続けてきた』

『アメリカを中軸とした戦勝国は戦後処理を徹底的に日本民族の弱体化に置いて敢行して行った。瞭然たるの史実である。その結果が、現今、眼前に晒されている日本の姿である』

『日教組の目に余る偏向教育は、青年たちから夢や浪漫や祖国愛を奪い、連帯感や責任感の喪失を顕著にして重大な社会問題を提し、マスコミ、殊にマンモス化した新聞の横暴と跳梁は心ある人々の慨嘆と怨嗟の声を集めている』

野村秋介が檄文で述べた憂慮、そして経団連の人間たちに突きつけた叫びを、改めて検証すると、私たちはまさに「今もなお通じる戦後の腐敗」がこの檄文に記されていて驚くはずだ。

野村秋介の憂慮は正しかったのである。この檄文が書かれたのが1977年。当時から野村秋介は日本の問題が何なのかをしっかりと把握していたのだ。では、経団連は野村秋介に答えたのか。

いや、答えなかった。答えるどころか封殺し、ますます〝魂なき繁栄〟にのめり込んでいくようになった。

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今の私たちが必要としているのは、第二、第三の野村秋介

日本は未だに憲法第九条を改憲できていない。つまり、自前で「国軍」を持つことができず、自主独立ができていない。アメリカの傘の下に入っている。

これはアメリカに国家の命運が左右される「属国」であるというのが正しい見方であるが、日本人の多くは「平和主義」という美名でそれを隠蔽している。

こうした「平和主義」についても「まやかしである」と野村秋介は糾弾する。「本物の平和主義」になるべきだと訴える。

「永世中立国のスイスなんて、50歳まで徴兵されるんです。各家庭には銃もあるし、弾はないけど、それさえあればすぐ戦える。本当の平和主義というのは、それくらい命がけのものなんですよ。やっぱりこれからの日本は平和主義を標榜しようと。ただし、攻められたら逃げるというのはだらしがないだけで、平和主義でも何でもない」(アマゾン:『さらば群青 回想は逆光の中にあり(野村 秋介)』より

いざとなったら武器を持って戦えること。国家のために戦えること。侵略はしないので平和主義であるが、侵略されたら武器を持って戦える。それが本物の平和主義であり、アメリカだか誰かに守ってもらって自分は逃げるというのは平和主義でも何でもないと言う。

野村秋介は奇異なことを言っているだろうか。いや、常識を言っていると気付くはずだ。そうなのだ。常識人が常識を突きつけている。

この常識を徹底的につぶしていくのが日本を覆い尽くしている左翼・リベラル・フェミニストであり、それをコントロールし、巧みに人間と世論を操っているのが巨大反日マスコミなのである。

その中でも最も悪質で影響力を持っているのが朝日新聞であった。だから、野村秋介は朝日新聞と戦い、経営陣を追い込んでいった。

野村秋介というのはそういう人物であったのだ。「今こそ、私たちが見直さなければならないのは、野村秋介という強硬右派の巨人である」というのは、そういうことだ。今の私たちが必要としているのは、第二、第三の野村秋介である。

はっきり言おう。私は第二、第三の野村秋介が現れると確信している。

『激しき雪 最後の国士・野村秋介(山平 重樹)』

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