
私自身はワクチン反対派がいることを認識しているが、実は彼らがワクチン賛成派になって欲しいとは1%も思ったことがない。彼らがワクチン反対派なのであれば、それはそれで構わないし、ただ「私と意見が違う人」というだけだ。いちいち意見を一致させるような無益なことをしたくない。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
相手の考え方までいちいち私が関知するところではない
私は基本的に他人を説得して個人の意見を変えさせようという努力をしたことは一度もなく、他人が私とまったく違う意見を持っていたとしてもそれはそれで受け入れる。自分の主張はするが、それを相手が受け入れてくれるかどうかは関知しない。
相手が頑なに何かひとつのことを主義として持っているのであれば、それが私の意見と違っても構わないと思う。
ワクチン接種にしてもそうだ。私は2020年4月からずっとワクチン賛成派でいたし、今も意見はまったく変わっていない。最初から私はワクチン賛成派としての立場を出しているし、別に他人がそれについて何を思おうと構わない。
Twitterでもずっとワクチン賛成の主張はしていたが、そのたびにワクチン反対派から嵐のような批判が飛んで来た。私は意見を変えるつもりはないので、一部は反論し、一部は無視し、大半はブロックした。
私自身はワクチン反対派がいることを認識しているが、実は彼らがワクチン賛成派になって欲しいとは1%も思ったことがない。彼らがワクチン反対派なのであれば、それはそれで構わない。ただ「私と意見が違う人」というだけだ。
人はそれぞれ信じたいものがあるわけで、いちいち意見を一致させるような無益なことを私はしたくない。人は自分が信じるものがある。そうであれば、その相手の考え方までいちいち私が関知するところではない。
2020年の段階ではむしろワクチン賛成派の私がまわりから「おかしな人だ」という目で見られていた。
今では私と同じように、ワクチン接種に対しては賛成する人は多くなったように思える。ただ、全員ではない。私の知り合いで強硬なワクチン反対派の人は大勢いる。
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「打ちたくなかったのに打たされた、謝罪しろ、賠償しろ」
政府や知事や一部の医者は、しきりにワクチン反対派に考えを変えるように言っている。東京都の小池知事に至っては「接種をためらう若年層に接種を促すPR費用」で10億円を使うということで批判が飛んだりしている。
私も東京都民なのでひとこと言わせて頂くと、私は意見を変えたくないという人の意見を変えるために莫大な予算を使うのは大反対だ。
つまり、打ちたくないという人がいるのであれば、別にわざわざ10億円もかけて効果があるのかないのか分からないような無駄金を使って欲しくない。
それよりも、その10億円でワクチンを打ちたくても打てない人を迅速に打たせる環境を作る方に使って欲しい。打ちたくない人よりも、打ちたい人を最優先で助けるのが合理的であり、効率的であるからだ。
そもそも打ちたくない人は、最初からワクチン接種に対しては拒絶心がある。拒絶心があるのだから副反応も敏感になるだろう。そういう人に強制して打たせても「打ちたくなかったのに打たされた、副反応が出た、謝罪しろ、賠償しろ」となるのは分かっている。
強制は常にリスクをはらむ。医療的なものは常にそうだ。後で何かあった時に「PRで誘導されて無理やり打たされた」みたいな話になって行政に賠償しろという話になってそれが通ったら、そこから支払われる金は私たちの税金である。
彼らが「ワクチン接種を促されたので打ったが問題が出たので国が賠償しろ」と恫喝してくることは十分にあり得ることである。
本当は大した副反応が出ているわけでもないのに弱者になりすまして、「重篤な副反応で仕事もできず今も動けない。賠償しろ」と、抗議デモを大々的に繰り広げて行政を脅す人間も出てくるかもしれない。
だから、ワクチン反対派に接種を強制するというのは絶対に反対だ。
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「ワクチン接種証明書」「ワクチン拒否証明書」
政府は私たちの税金を使ってワクチンを買って、国民に無料で打っている。それは誰でも打つ権利がある。しかし、絶対に打ちたくないという人がいるのであれば打たない権利もある。
打たない権利を行使する人に対しては「打たせない」というのが大切だ。
「打たなければ感染のリスクが高まる、打たなければ重篤化する」と彼らに説得する必要はない。彼らは逆に「打ったら健康は損なわれる、打たない方が生き残る」と信じている。
彼らからすると、ワクチンを接種する人の方が間違っているのだ。それは彼らの信念であり、揺るぎない思想である。
仮に彼らがコロナに感染して重症化したり死んだりしたとしても、「だから打てば良かったのだ」というのは意味がない。ワクチン接種をしたら副反応で翌日に死んでいたかもしれないのだから、「ワクチンを打っておけば良かった」という単純な話にはならない。
彼らはさまざまなリスクを勘案して「打たない選択をした」のだ。そうした選択をする人もいることを社会は認め、許容すべきだ。
私自身は「ワクチン接種証明書」と当時に「ワクチン拒否証明書」を国が発行し、ワクチンを信念として打たない人に発行して、今後のワクチン接種の行政から外した方が良いとさえ思っている。
それがあれば、行政はワクチン拒否証明書を持つ人に接種券や周知を送らないことで莫大な事務コストが削減できるし、リスクを考える医療施設はリスクを考えて接種者と拒絶者を別の扱いにすることもできる。
飲食業や企業も「接種者だけを入れる」「拒否者だけを入れる」と分けられればリスクをよりコントロールできる。
接種者と拒絶者を分離することによって、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置も「接種者はここまで活動して大丈夫」「拒絶者もここまで活動して大丈夫」ときめ細かく区分けができる。
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ワクチン接種者とワクチン未接種者は「別々の道」を行く
デルタ株は従来のウイルスよりも飛沫のウイルス量が1000倍多く重篤化しやすいという特徴がある。そのため、ワクチンを接種してもブレイクスルー感染の恐れもあり、絶対に安全であるとは限らない。
それでも、ワクチン接種をしていれば「感染しにくく重症化しにくく死亡しにくい」というデータはある。完璧ではないが、ワクチンはそれなりに効いているし、デルタ株に対しても無駄ではない。
デルタ株のリスクが人々に恐怖を与えるようになると、ワクチン反対派も静かに転向して誰にも黙ってワクチンを接種する人もそれなりに増えていくと思う。次第にワクチン反対派の声は小さくなっていくだろう。
しかし、転向しない人も少なくない数で残るし、ワクチンを打っても依然としてコロナに感染する人もいるので、ワクチン反対派が消えるわけではない。
日本でワクチン反対者が国民の10%であったとしたら1200万人がワクチンを打たない。20%であったら2400人がワクチンを打たない。
通常、ワクチンの未接種者は感染率が高いので、1200万人だとか2400万人の間で感染は延々と続くだろう。しかし、そうだとしても彼らには彼らの考え方があるので、全員にワクチン接種が進むわけではない。
そうであれば、ワクチン接種者とワクチン未接種者は「別々の道」を行き、互いに分離した方が生きやすくなる段階に来ているのではないか。きちんと分離できてれば、リスクも計りやすくて便利だ。
私自身は別にワクチン反対派に打って欲しいとは思っていない。彼らには彼らの考え方があるので尊重したい。
ただ、ワクチン反対派とはリスクの考え方が違うので、なるべくワクチン接種者と会い、ワクチン反対派とは会わないという選択ができれば便利だと思っている。「分離」して互いに違う世界で暮らせれば互いに安心だ。
