「資産をゼロにして死ぬ」ことが幸せに直結するとは思えないたった1つの理由

「資産をゼロにして死ぬ」ことが幸せに直結するとは思えないたった1つの理由

ほとんどの人は「死んだときにカネが余っていたらもったいない」と考えなければならないほど余計なカネを持てない。資産をゼロにして死ぬことは考えなくてもいい。むしろ「途中でカネが足りなくなるかもしれない」ことをリアルに心配すべきなのだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

「貯金がなから今すぐ死ねと言われているも同然」

日本には1億円以上の資産を持つ富裕層は世帯の3%弱くらいしかいないのに、そういう日本で『ゼロで死ね DIE WITH ZERO』みたいな本が共感されるのが奇妙な話だと私に話した人がいた。

ゼロで死ね DIE WITH ZERO』は、たしかに示唆に富んだ内容であると私自身は思う。年齢によって体験できることが異なるので、若い頃は体験することに金を使い、「よぶんな金は生きているうちに使い切れ」というのが本書の趣旨だ。

莫大な資産を持っている富裕層にとって、これは有意義なアドバイスだろう。いくら大金を持っていても馬馬車のように仕事に追われ、やりたいことは何一つしないで死ぬよりも、どこかで「使う」側に回って人生を謳歌してゼロで死ねたらバランス感覚として非常に素晴らしい人生となる。

しかし、人類の大多数は金銭的に余裕がない。

日本でも富裕層なんかごく一部であり、大半は貯金3000万円以下のマス層である。若い頃から低賃金で生活に四苦八苦しているし、中高年になってもやはり生活に追われて四苦八苦しているし、高齢になったらなったで少ない年金で四苦八苦している。

すでにマス層でも、平均年収が186万円のアンダークラス層は約1200万人もの規模で増えている。彼らは「今がゼロ」だ。「ゼロで死ね」と言われても、人生を通して「貯金ゼロ」か「ほぼゼロ」なのだ。それで、私の知り合いはこのように言った。

「ゼロで死ねとか言ってるけど、俺なんて貯金がなから今すぐ死ねと言われているも同然なんだよ」

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貧困層に「ゼロで死ね」は机上の空論である

たしかに、貯金がない人からしたら「ゼロで死ね」という主張は、非常に残酷な主張であると言える。「ゼロで死ね」はしょせん金持ちの発想であり、金持ちへのアドバイスだったのだ。

65歳以上の日本人の貯蓄額の中央値は1677万円だが、月10万円ずつ使っていると、80歳までにはゼロになる。そこで都合よく死ねればいいが、現代は「人生100年時代」である。「ゼロで死ね」を気取っていると「ゼロになったがまだ生き残っていた」ということになる。

老いたら金を使わなくなるとも言うが、そうとも言い切れない。病院代・薬代で金がかかるし、老人ホームもタダではない。快適を望めば望むほど老人ホームもカネがかかる。自宅を保有している人も、自分と共に自宅も老朽化していくわけで、家の修繕にはだいたい数百万がかかる。

老いても想定外のカネがかかってくる。そうなると、それなりにあると思っていたカネはあっという間に消えてしまうだろう。現実は、「ゼロで死ね」と気取っている場合ではないのである。

それに、本当は1677万円も資産を保有していない世帯も多いわけで、資産が少ない人であればあるほど生きている途中でゼロどころかマイナスになってしまうことも十分にあり得る。

そう考えると、貧困層に「ゼロで死ね」は机上の空論であり、そんなことよりもいかにダウングレードと節約をしなければならないかに焦点を当てなければならないということになる。

貧困層は「今しかできない豊かな体験」なんかを味わっている余裕はない。何とか日々の生活を成り立たせるためにサバイバルしなければならないのだ。

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人生を通して一心不乱にカネを貯めておくべきだ

貧困層にとっては「ゼロで死ね」は決して最適解にはなり得ない。いろいろカネがかかって足りなくなるリスクのほうが高いので、人生を通して「いかにゼロから脱するか」を主流にしておかないと生き残れない。

今後、ますます弱肉強食の資本主義になるのだから、この厳しい時代に生き残るためには「ゼロではないこと」が重要な意味を為す。時代が厳しくなればなるほど、「ゼロではないこと」ことが不測の事態を乗り越える武器となる。

そもそも普通の人は、「死んだときにカネが余っていたらもったいない」と考えなければならないほど余計なカネを持てない。そういうシチュエーションは考えなくてもいいのだ。むしろ「途中でカネが足りなくなるかもしれない」ことをリアルに心配すべきだ。

人生は何が起こるのかわからない。突如として病気になるかもしれない。事故に遭うかもしれない。災害に遭うかもしれない。大地震でいろんな大切なものを失うかもしれない。

生きていると、予期せぬ衝撃的なことがいくらでも起きる。

いつ、どれくらいの規模でショッキングなトラブルに巻き込まれるのかわからないのであれば、「とにかく資産は減らさない」という決意が最後に身を助けることになる。普通の人は「ギリギリ」の人のほうが多いのだから当然だ。

だから、あまり余裕をかましたり、死んだときに資産が余ったらどうしようとか無駄なことを考えたりしないで、人生を通して一心不乱にカネを貯めておくべきだ。そうしないと、どのみち足りなくなる可能性が高い。

死ぬ前日まで資産があって金融的安定を保っていたほうが、寿命を計算しながらゼロにしようとするよりずっといい。

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それは人間心理としても間違っているように見える

「資産が減っていく」というのは、精神的に安定をもたらすのか不安をもたらすのかと言われれば、誰でも不安になって当然だろう。死ぬまでに資産をゼロにするというのは、要するに年齢がいけばいくほど不安が募る行為をすることになる。

それは合理的だろうか。

私自身は、人間心理から見ても合理的であるとは思えない。体験は大切だと言うが、資産をどんどん食いつぶしながら得る体験は常に不安と隣り合わせとなる。

私自身はバブル世代で若い頃から株式投資をしていたので、実は若くして分相応な資産ができたりしたが、バブルが崩壊したあとに私は資産を食いつぶす局面に入ったことがあった。

月にどれくらい使うのかが分かっていると、資産がいつゼロになるのかは計算できた。そのとき、私は東南アジアでいろんな体験を享受していたが、ではその状況が幸せだったのかと言われたら、決して幸せではなかった。資産を食いつぶす局面は、ゼロの結末が見えているだけ不安とストレスしかないのである。

そういうのを経験しているので、私は死ぬまでにきれいに資産を使い果たして死ぬよりも、「死ぬ前日まで資産を切らさない」ほうが精神的安定のために絶対に良いという確信を持っている。

想像を絶する資産がある超富裕層であっても「死ぬまでにゼロにできたら幸せだ」とは決して思わないはずだ。富裕層であればあるほど増えるのは幸せで、減るのは不幸せだという意識が強いからだ。

「減るのは不幸せ」というのは人間心理に即している。とすれば、弱肉強食の資本主義の中で得る本当の幸せというのは、死ぬまで資産を増やしながら無理しないで生きるということではないのか。

少なくとも「資産をゼロにして死ぬ」ことは幸せに直結するとは私には思えない。一見、合理的に見えるのだが、それは人間心理としても間違っているように見える。

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