「推し活借金」「推し活破産」という言葉も出てきている。「推し」のファンであるために、推しへの熱狂的な応援が求められ、他のファンに負けないために大金を使うことが強いられるようになる。過度な「推し活」は、ある意味カルトに似た構図があるように見える。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
とにかく消費をひたすら促進させる社会
現在は資本主義であり、資本主義はとにかく消費をひたすら促進させる社会でもある。そのため、人々は気がつかないうちに無駄な出費を強いられる。たとえば、企業は個人の無駄買いを促すために、セールやディスカウントを頻繁に行う。
テレビも見ても、インターネットを見ても、いまや広告まみれである。世界でもっとも人々に広告を届けるのがうまいのがGoogleとMetaとAmazonで、これらの企業は凄まじい時価総額を誇るまでになった。
消費社会ともなると、人々はブランドや高級品に惹かれ、必要以上に高価な商品を買う。あるいは、外食や高価なレストランでの食事を頻繁に行う。あるいは無駄なゲーム課金や高額な趣味具への支出をするようにある。
あるいは、予算を度外視した贅沢な旅行や急な海外旅行をする。高額な健康サプリメントや無駄な健康法に走る人もいる。
最近、マスコミが煽っているのが「推し活」というものなのだが、これは何かというと、対象となるアイドルやキャラクターのグッズやイベントへの参加を通して、無駄金を使わせるものだった。
推しの対象は、どこかのアイドルグループだったり、セレブだったり、著名人だったりするだけでなく、地下アイドルだったり、ホストクラブやコンカフェのホストだったり、いろいろだ。
別にお目当ての「推し」がいてもいいとは思うが、悪質な「推し」は自分に近寄ってくる人間から、ありったけ金を吸いあげ、奪い取るのが目的となっていることもあり、そこに金を投じるのは、まさに「無駄な消費」となる。
歓楽街ではホストクラブのホストを「推し」にして、風俗や売春に蹴り落とされた女性も大勢いるが、無駄な消費をしたあげくに社会の裏側に落とされて人生がめちゃくちゃになるのだから、これは無駄な「推し」の最悪のケースではないか。
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貧しくなればなるほど浪費が過激になっていく?
「推し活借金」「推し活破産」という言葉も出てきている。「推し」のファンであるために、推しへの熱狂的な応援が求められ、他のファンに負けないために大金を使うことが強いられるようになる。
アイドルのイベントやグッズ販売において、数量限定のアイテムや特典が用意されることがあるのだが、こうしたものをとにかく大量に買うのがファンの「義務」のようになっていたり、それを買うように煽られたりする。
握手会への参加、誕生日パーティーの参加、各種イベントの参加、ファンクラブの参加もそれぞれ費用がかかる。「推し」に熱狂すればするほど、自分の経済状況を度外視した活動になり、そして生活破綻に向かう。
しかし、こうした活動が「推し活」と呼ばれて、さも浪費するのが当たり前のようにマスコミもファンも煽ったりするので、浪費がとまらない。
この「推し活」による光景を、「新しいカルトのようだ」と評する人もいる。まさにその通りでカルト集団の教祖と信者の関係を、そのままエンターテイメントに落とし込んだのが「推し活」だったのだ。
表社会ではアイドルグループを追いかけて全国行脚し、数百万以上を「推し活」に使ったという人もいる。裏側では推しのホストを相手に「推し活」をして、数千万どころか数億を貢いだ女性もいる。
その結果として、「推し活借金」「推し活破産」が生まれてくる。そこまでして「推し活」にのめり込むのは、それが時代の風潮として煽られているという見方もできるし、資本主義の「消費文化」にどっぷり洗脳されているという見方もできる。
いずれにせよ、それは持続可能なライフスタイルではないのはたしかだ。
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金を増やす人間と、金を使う人間の二種類がいる
人は誰でも自分の趣味に合ったものがある。好きな歌手、好きな歌、好きな芸能人、好きな人がいる。好きなのだから、それに関連したものを集めようとするのは自然なことだ。「推し」は誰でもあるのだ。
だから、けっして「推し活」を否定するものではない。
しかし、世の中には限度というものがある。「推し活」にのめり込んで莫大な金を使っている人は、「推しの養分」になっているということだ。
ただ、それをふと自覚したとしても、彼らがとめられるのかどうかは未知だ。「推し活」はカルト教団の洗脳装置をそのまま右から左に持ってきたような側面があるからだ。いったん、洗脳されると場合によっては一生抜けられないこともある。
アイドルグループを推して破産する人や、ホストに入れ込んで破産する人を見て、第三者は「なぜ、あんなものに金が使えるのか?」と思うのだが、「推し活」というのは現代のカタチを変えたカルトであると考えたら納得できるはずだ。
カルトにはまった人間は個人の判断力が低下しており、カルトのリーダーの指導に従順になるように常に働きかけられている。
そして、カルト内では内部のコミュニティが非常に強力である一方で、外部の社会とのつながりは逆に希薄になる。社会的に孤立していき、カルトの内部に依存する傾向が強まっていく。
そして、カルトは個人のアイデンティティをカルトに結びつけるので、カルトを離れることは自己のアイデンティティを喪失するのと同じになる。ただ、こうしたものを外部が批判すればするほど、内部は「外の世界は危険だ」という認識になり、より結束が強まる。
「推し活」がカルトのそうした仕組みとかなり類似している現象であるとしたら、推し活をする人間が目が覚めるのは難しそうだというのがわかるはずだ。
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「自分が養分にされていないか?」を確認する
自分の生活が破綻するまでの「推し活借金」「推し活破産」は完全に行き過ぎである。それが人生のすべてとなり、自分の主体性が喪失してしまっているのであれば、それは「カルトの犠牲になった信者」というしかない。
養分から脱却するためには、まず最初に必要なのは「自分が養分にされていないか?」を確認することが必要になってくる。常識とはかけ離れた額を「推し活」に入れ込んでいるのであれば、まぎれもなく養分だ。
数百万円、数千万円も貢がないといけないほどいけないのは異常だし、それを許容してしまう精神状態も正常ではなくなっている。
常識ではないことをやって無尽蔵に金を失っているのであれば、それだけで問題だというのがわかるし、そうであるならばそこから脱却しなければならないという動機も浮かんでくる。まずは、認識しなければならないのだ。
そして、自分が養分であることは正しい生き方なのかどうかを自問自答する必要がある。誰かに金を貢ぐ生き方は正しいのか。誰かを崇拝して自分の人生を犠牲にするのは正しいことなのか。誰かに言われた通り、従順に金を払い続けるのは果たして自分の人生を向上させるのか。
生活破綻するほどのめり込むという状態が「正しいこと」であるはずがない。もし正しくない状態を続けてしまうというのは、もはや精神的な病(やまい)の領域でもある。
現代社会は資本主義社会であり、資本主義社会では資本(端的に言うとマネー)が増える方向のライフスタイルがおおむね正しい。なぜなら、資本が増えることによって、資本主義では恩恵を得られるケースが非常に多く、またその恩恵が継続するからだ。
とすれば、過度な「推し活」は無意味であることがわかるはずだ。それは資本主義の世界では単なる「養分」以外のなにものでもなく、まったく無意味で無価値な行為であるといえる。
ちなみに、「推し文化」はZ世代に流行っているということなのだが、そのZ世代のひとりにそれを聞いてみると、ただひとこと「気持ち悪い」と述べた。Google検索のサジェストでも「推し文化 気持ち悪いと出てくる。マスコミがいうほど若い世代全体が「推し文化」熱狂しているようでもなさそうだ。