金融市場がギャンブル場になっていくと、政府の規制が邪魔でしかたがない。強欲な賭博師たちは常にこのように叫んでいた。「俺たちの自由にさせろ」「政府は何もしないで俺たちが儲けるのを邪魔するな」……。これが「新自由主義」だったのだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
現代社会を弱肉強食の資本主義にしたのは「新自由主義」
フリードリヒ・ハイエクは「金融システムはコントロールする必要はない」という信念を持っていた。国家が金融システムに介入するから妙なひずみが生まれ、結果として金融システムは機能しなくなるという概念だ。
「すべて市場の自由に任せればいい。市場に任せれば、たとえ暴落してもいずれ健全に回復するから」とハイエクは考えていた。
こうした考え方を政治に取り入れたのがイギリスのサッチャー政権であり、アメリカのレーガン政権だったのだが、政府の権限を最小限にして、民間や市場のあるがままに任せるという手法は、政府財政を改善させる効果もあって信奉者も多かった。
政府の役割を最小限にして、後は市場の自由に任せる。こうした手法は「新自由主義」と言ったが、福祉・公共サービスなどの縮小し、公営事業を民営化し、規制緩和で競争を促進した結果生まれたのは何だったのか?
それは、「市場の暴走」と「フェアではない競争」と「極度なまでの格差」であった。現在の人口の1%が世界人口の半分の総資産と同額の富を手にするほどの凄まじいまでの経済格差は、まさにフリードリヒ・ハイエクが生みだしたものだった。
現代社会を弱肉強食の資本主義にしたのは「新自由主義」である。「自由」とは強欲な強者が弱者を徹底的に収奪するという意味の「自由」であったのではないかと人々は思うようになっている。
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「政府は何もしないで俺たちが儲けるのを邪魔するな」
2000年代前半。アメリカは住宅バブルで、どんどん株価が上昇していた。それを見た世界の誰もが金融市場に乗り出してきて、何とか儲けようと鵜の目鷹の目になっていた。2000年代の前半はそんな時代だった。
この時代、銀行もまた「住宅」というゴールドラッシュに乗り込んできてサブプライムローンに手を出し、さらに投資業務ではレバレッジをかけて取引して、損は客にツケ、儲けは自分たちがせしめてきた。
金融市場がギャンブル場になっていくと、政府の規制が邪魔でしかたがない。強欲な賭博師たちは常にこのように叫んでいた。
「俺たちの自由にさせろ」
「政府は何もしないで俺たちが儲けるのを邪魔するな」
これが「新自由主義」だったのだ。「新自由主義」というと、何か小難しい経済用語のように誤解する人もいるが、そんなことはない。
儲かると思った銀行・保険会社・ヘッジファンド・政府が、欲の皮を突っ張らせて「金儲けの邪魔をするな!」と叫ぶのを、誰かが格調高く言い換えただけのものだ。たとえば、Wikipedia では、こう解説している。
「市場原理主義の経済思想に基づく、低福祉、低負担、自己責任を基本に小さな政府推進し、均衡財政・福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。競争志向の合理的経済人の人間像、これらを正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制をいう」
くだらない屁理屈をこねているだけだ。要するに、「俺たちの金儲けの邪魔をするな!」なのである。
浅ましいと思わないだろうか? この浅ましい金儲け至上主義が全世界に蔓延し、リーマン・ショックで何もかもが破裂するまで、世界の経済は「新自由主義」で動いていたのである。
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非正規雇用は「人材の使い捨て」であり「終身雇用の否定」
日本では、2000年代から急激に経済格差が広がっていった。当初、貧困に堕ちていく若者たちを見て、中高年たちの一部は「努力しなかったから悪い。自業自得だ。貧困になったのは自己責任だ」と言っていた。
しかし、本当に「自己責任」で終わらせられるものだったのか。中には「もしかしたら日本社会が変質したのかもしれない」と考える人たちもいた。
たとえば、1990年代のバブル崩壊以後に莫大な不良債権に苦しむ企業を、日本政府は「救済しない」ことを決めた。実際、北海道拓殖銀行や長銀が潰れても政府は救済しなかった。
そして政府にも銀行にも見捨てられていた企業は、生き残るために人を雇わなくなった。雇うとしても正社員ではなく非正規雇用として雇うようになった。非正規雇用は「人材の使い捨て」であり「終身雇用の否定」である。
非正規雇用が広がることによって人件費を削減できることに気付いた企業は、以後はリストラと非正規雇用を常態化させていき、それによって貧困は若年層から中高年にまで広がるようになっていった。
そこに至ってやっと日本人は「貧困は自己責任ではなく社会が変わったからだ」と考えるのが正解だと気付いた。しかし、その時は日本企業はすっかりリストラと非正規雇用に馴染んでいた。今さら変えることができないところにまできていた。
リストラと非正規雇用という武器を経て日本企業は息を吹き返したが、その結果として富は企業に集中して従業員は疲弊していく社会が誕生した。儲かるのは企業のオーナー(大株主)、経営者、上層部社員だけである。
企業という強者が儲けて、労働者という弱者が使い捨てされる「弱肉強食の資本主義」はかくして誕生し、日本に定着し、経済格差がどんどん広がっていくようになった。
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それは「俺たちが自由に儲けるから邪魔をするな」という意味
日本で格差が広がるだけ広がっていた2000年代。アメリカでは不動産バブルが膨らんで、それを背景にしてすべての金融市場が博打の鉄火場のような状態になっていった。銀行も保険会社も金融市場に乗り出して、掛け金は膨らむまで膨らんでいった。
そして、強欲が許されたので、インチキもどんどん膨らんでいった。インサイダーから格付け偽証、デリバディブからアメリカ政府による量的緩和まで、ありとあらゆる「相場操作」が意図的に行われて市場は歪められていた。
銀行や保険会社はサブプライムローンの切り刻まれた債権を売り買いして、保険会社が片っ端からその保険を引き受けた。格付け会社は金をもらって、実態の分からないサブプライムローンの債権にAAA格をつけて金を儲けた。
フリードリヒ・ハイエクが提唱していた「自由」がここにあった。それは「俺たちが自由に儲けるから邪魔をするな」という意味の自由である。
2008年に入ってからパンパンに膨らんだ株式市場を見て、多くの人が「もう危ないのではないか」と感じたが、それでも市場の暴走は止まらなかった。
そしてある日、すべてが吹き飛んで金融市場が崩落した。
リーマン・ブラザーズは倒産し、シティ・バンクもバンク・オブ・アメリカもワコビアもロイズもバークレーもドイツ銀行も、どこもかしこも時価総額を吹き飛ばして未曾有の金融危機が発生した。
直接サブプライムローンに関わっていたファニーメイやフレディーマックと言った企業は助からなかった。AIGは名前こそ残ったが、政府が生かせると決めて名前を残しただけで、組織そのものはすでに2009年に死んだも同然だった。
新自由主義は、2008年9月にアメリカ政府が救済に入ったところで「自由」を失った。
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空前の経済格差は相変わらず広がっていく一方だ
フリードリヒ・ハイエクの提唱した「市場の自由に任せろ」は、問答無用の競争主義を生み出し、埋めがたい経済格差を生み出し、さらに過熱して暴走した市場は文明を崩壊させてしまうのではないかというほどの規模となって吹き飛んだ。
結局、アメリカ政府を初めとした世界中の政府は自国の金融システムや企業を救うために市場に介入し、金融を担っている金融企業を莫大な税金を投入して救済し、市場の崩壊を食い止めるために野放図な自由に規制をかけた。
この時にアメリカ政府が救済に入らなければ、資本主義は終わっていた可能性すらもある。各国の政府が介入したから資本主義が生き残っている。世界が最後の最後まで「市場の自由に任せろ」と言っていたら、今頃はどんなことになっていたのか想像することすらも難しい。
そういった意味で、新自由主義を無邪気に信じる時代は2008年9月のリーマン・ショックで終わったと言うことができる。
では、新自由主義の呪縛から目が覚めた私たちは、そこから何かを学んで素晴らしい社会を構築できているのだろうか。
現実を俯瞰してみると、どうもそうではないようだ。政府に救済された金融機関は再び「強欲」に戻っているし、新自由主義が生み出した空前の経済格差は相変わらず広がっていく一方だ。
弱肉強食の資本主義は相変わらず続いており、取り残された人々が置いてけぼりにされた分を何とか埋め合わせようと金融市場でもがいている。
2017年のビットコインを筆頭とする仮想通貨バブルに踊ったのは主に若年層だったのだが、何も持たない若年層が熱狂したのは弱肉強食の資本主義で自らが強者になれる千に一つの可能性がそこにあったからである。
こうした状況を俯瞰するに、人々はまだ弱肉強食の資本主義で「もがき続ける」つもりであるというのが分かる。フリードリヒ・ハイエクの夢見た「自由」が作り出した弱肉強食の資本主義。そこで強欲な強者が弱者を徹底的に収奪する世界は、これからも観察できそうだ。