「自分の専門外であっても取捨選択できる能力」が必要になってくる

「自分の専門外であっても取捨選択できる能力」が必要になってくる

グーグルやフェイスブックやツイッターなどは、右派からも左派からも「偏向している」と攻撃されている。

しかし、客観的に見ると、これらの企業は偏向しているというよりも、何とかバランスを取ろうとして失敗しているだけのように見える。

特に、バランスを取ることに失敗し、混乱の極みにあるのがフェイスブックである。

すでにフェイク・ニュースの温床になってブランドが大きく毀損してしまったフェイスブックは、信用を取り戻すために必死で手を打っている。

フェイク・ニュースの拠点になっているアカウントを大量閉鎖し、好ましくない情報の拡散を防ぐために利用者の信用格付けを開始するような涙ぐましい努力を続けている。

これまでフェイスブックはユーザーを増やすことだけに集中してきたが、今では新規ユーザーを取り込むことよりも、都合の悪いユーザーをいかに弾くのかに力を注がないとならない局面に立っている。

そうしなければ、再び「フェイク・ニュースの温床だ」と言われて存続すらも許されない局面に立ってしまうからだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

どれが真実なのか分からなくなってしまった

フェイスブックは、もう新規ユーザーを容易に増やせなくなった。誰でもウェルカムではなくなった。取り込んだユーザーも、監視して摘発して排除しなければならなくなった。

これは、「ユーザーを大量に取り込んで広告で稼ぐ」というビジネスモデルを持っているフェイスブックにとってはかなり致命的なことである。

さらに、「ユーザーが妙な情報を発信していないか監視する」というのは、ユーザーにとっても居心地の悪い空間と化す。自由に何でも言えない空間なのだ。

その上に下手なことを書いたら、たとえそれが冗談でも、突如としてアカウントを削除されるような目にも遭うことになる。実際「なぜ削除されたのか分からないが削除された」という人もかなりいる。

こんな中でシステムを使用するのは息が詰まる。

しかし、そうしないとフェイスブックは存続の危機に陥るからそうせざるを得ない。そう考えると、フェイスブックの立場はかなり深刻なことになっているというのが分かるはずだ。

フェイスブックは管理を強化してもしなくても、問題を抱えるジレンマの中にある。

それに、フェイスブックはユーザー減を打開するために中国に目を向けているのだが、そんなことをしたらどうなるのか。

中国を取り込んだら中国政府の意向も聞かなければならない。つまり、反中国の言動は厳しく取り締まられることになり、新しい偏向も生まれて批判の元になっていく。

フェイスブックは「人々のつながり」の中でトラブルを抱え込み、最終的に状況をコントロールできなくなるのは目に見えている。

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大量の情報を集めれば身動きができなくなる?

フェイスブックは大量のユーザーと情報を抱え込んで、一部の猛毒を発するユーザーと情報に苦しんでいる。ところで、このフェイスブックの置かれている苦境は、私たち個人は他人事だろうか。

いや、私たちひとりひとりも同じ問題にさらされていることに気づいている人もいるはずだ。

世の中で拡散されている情報は、それが拡散されることが容易になればなるほど玉石混交になる。これは、「大量の情報」に接する私たち自身がそれをどう判断するかの自己責任になることを意味している。

たとえば、ワクチンひとつに取っても、予防のために打つべきだという意見と、ワクチンそのものが副作用で問題を引き起こすので「絶対」に打たない方がいいという意見がある。

中には、インフルエンザや病原菌の蔓延そのものが人工的にばらまかれたもので、それは製薬会社がワクチンを売るための陰謀なのだという説もある。

あるいは、子宮頸癌ワクチンにしても、予防のために定期予防接種は重要だと言われる裏で、大して効果がない割りには一定数で不妊になるので打つべきではないという意見もある。

ワクチンは打っていいのかどうか。結論が180度違う情報がそれぞれ大量にある。しかも、それぞれ微妙に細部が異なるバージョンの記事がばらまかれる。

そうなると、結局のところ大量の情報を集めれば集めるほど身動きができなくなる。

普通、真実はひとつしかないはずなのだが、インターネットではあまりにも「真実」を称する記事がありすぎて、どれが真実なのか分からなくなってしまうのである。

真実を見失い、間違ったものを取り込んだとき、私たちは自分の人生ですらも存続の危機に立たされる可能性もある。

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専門外であっても取捨選択できる能力が必要に

現代社会は、科学も医学も社会のありかたも経済のありかたも、すべてが猛烈に細分化されている。もはや人々は自分の専門以外の部分で「何が真実なのか」を知ることができなくなってしまった。

ひとりの人間が身の回りで起きているすべてを正確に把握できるほど分かりやすい社会ではなくなっていったのだ。

だから、人々はインターネットに頼り、SNSに頼り、検索エンジンを駆使する。

しかし,そこから得られる情報もまた多種多様になり相反する主張が渦巻き、何が正しくて何が間違っているのか、何も分からなくなっている。

大量の情報は、物事を整理し、解決するためにあるのではなく、むしろ自分の判断を大混乱させるものと化す。大量の情報は大量のゴミと化して、それに触れれば触れるほど混乱していくことになる。

そうなっていくと、情報化社会になって必要なのは情報に依存して踊ることではないことに気付くはずだ。もっと重要なものが必要になってくる。

大量の情報を前にして重要になってくるのは、それは大量の情報に踊らされたり、捏造やプロパガンダを排除したりする取捨選択の能力である。

それも、「自分の専門外であっても取捨選択できる能力」が必要になってくる。では、この能力を発揮するために必要なものとは何か……。

それは「常識」しかない。私たちは大量の情報を前にして取捨選択する時、最も重要な能力である「常識」を働かさなければならないのだ。

世の中には常識外れな出来事が真実であることも往々にしてある。そして、常識がすべてを解決するわけではない。

しかし、きちんとした常識があれば、少なくと捏造とプロパガンダにまみれた情報に接したとき、「これは間違っている」と直感で判断できるようになり、正しい選択ができることの方が多い。

検索エンジンで得られる情報ですらも捏造記事とプロパガンダにまみれていく時代、「常識」はますます重要なものになりつつある。

ちなみに常識を外した生き方で成功するためにも、最初に常識を知った上でそれを外す必要があるのだから、結局は常識が身についていなければならないということだ。

生きにくい時代になればなるほど、常識は役に立つ。自分が身につけた常識は、大量の偽情報を前にしたとき、いずれ役に立つ日が必ずくる。(written by 鈴木傾城)

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