以前、高齢のある方に「じぶん銀行というのを使っている」と言ったら「そんな聞いたことも見たこともない銀行は使わない方がいい」と本気で心配されたことがあった。きちんと看板があって窓口がある銀行でないと信用できないようだった。しかし今、それが銀行の負担となっている。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
日本社会全体が時代遅れになってしまう理由
日本の総人口は2019年10月1日の時点で1億2617万人となっている。このうち65歳以上人口は、3589万人となり、総人口に占める割合(高齢化率)も28.4%となった。この65歳以上の人口の内訳を見てみると以下のようになっている。
65~74歳:1740万人
75歳以上:1849万人
これを見ると、日本はただの高齢化社会ではなく、後期高齢者の多い高齢化社会であるというのがわかる。しかし、高齢化は今がピークではない。これからは人口のボリュームが多かった団塊の世代がどんどん後期高齢者に入ってくる。
そのこともあって、日本が本当の高齢化地獄に入っていくのはこれからなのだ。
高齢化すると社会保障費や介護などの問題が日本社会を揺るがすことになるのだが、実はそれだけではなく、日本社会そのものが「変化」や「イノベーション」が生まれ難くなるという問題も深刻化していくことになる。
要するに人口的にボリュームの多い高齢層の「時代の適応能力」が落ちてしまうので、日本社会全体が時代遅れになってしまうのである。
その結果、企業が下手に新しいイノベーションを取り入れても取り残される層があまりにも多くて機能せず、結局は古いものばかりが残って国も社会も企業も世界から取り残されてしまうということになりかねない。
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「窓口でサービスを受けて欲しくない」という姿勢
三菱UFJ銀行は2023年10月2日から、店舗の窓口やATMの振込手数料を引き上げる。窓口から他行への振り込みは一律990円となる。ATMで他行に現金で振り込む場合も一律880円に値上げされる。
しかし、インターネットバンキングによる振込だと、手数料は3万円以上が220円、3万円未満が154円である。同じことをするのに、一方は990円で一方は220円なのだから、これは驚くべきサービス格差である。
しかし、こうなる前に兆候はあった。
三菱UFJ銀行だけでなく、既存の銀行は通帳の発行にも金を取るようになってきていたし、窓口業務も縮小していた。「窓口でサービスを受けて欲しくない」という姿勢が剥き出しになっていた。
手間のかかる窓口業務を切り捨てたいという姿勢があからさまだったのだ。
では、窓口業務を使うのは誰か。もちろん高齢者である。だから、これは高齢者の切り捨てでもある。実際、この報道が出た時に「振り込みだけでこんな手数料を取るのはぼったくりだ」と銀行を批判したのは高齢層であった。
ところが、価格に敏感なはずの若者は、この価格差にはほとんど反応しなかった。若者は言われるまでもなくスマートフォンですべてを完結していたからだ。そもそも、窓口に並んで振り込みなど面倒くさくて若者には無理だろう。
若者がスマートフォンで手軽にやっていることを高齢者はできない。だから彼らは窓口で手続きをする。しかし、窓口を維持するのは場所代も人件費もかかり非効率だ。いつまでも非効率なものを残しておくと、既存の銀行はもうやっていけないところにまで来ていたのだ。
それが、手数料の差となって現れてきた。
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名前からしてふざけているとしか思えない!
ネット銀行は最初から窓口を持たない。すべてスマートフォンで終わらせる。楽天銀行やauじぶん銀行などは、その典型だった。
私はドコモがiPhoneを扱っていなかった時代、iPhoneを使いたいがためにキャリアをドコモからauに鞍替えして、ついでに「じぶん銀行」にも契約した。
その時に高齢のある方に「じぶん銀行というのを使っている」と言ったら「そんな聞いたことも見たこともないワケの分からない胡散臭い銀行は使わない方がいい」と本気で心配されたことがあった。
「じぶん銀行? 名前からしてふざけているとしか思えない。こども銀行みたいじゃないか」
この高齢の方は、じぶん銀行も楽天銀行もソニー銀行も知らなかった。「銀行と言えば、みずほ銀行、三菱銀行、住友銀行だ。全国どこに行っても窓口がある」と言った。窓口のない銀行なんか怖くて使えない、というわけだ。
しかし、今や彼が言う既存の銀行は、その窓口や、ATM機械や、人件費などが重荷になって、もうやっていけなくなっている。それらが過大なコストとなって、非効率であるがゆえに収益面で負けてしまうのだ。
ネット銀行は数字のやりとりだけで済むのに、既存の銀行は延々と「紙幣と硬貨」という「とんでもなく非効率な物体」をも扱わなければならない。しかも、その非効率なものを管理する媒体が「紙の通帳」なのである。ますますコストを抱え込む。
しかし、高齢者自身はいまだに「紙幣と硬貨」やら「対面の窓口」やら「紙の通帳」みたいなものにしがみついて変わろうとしない。
既存の銀行はもう高齢者に付き合えなくなった。だから、必死で窓口を縮小し、ATMを減らし、手数料も激上げし、高齢層を切り落とそうとしているのだ。高齢化社会というのは、新しい時代に適応できない人が大勢いる社会なのだが、それが社会のイノベーションや進化を停滞させてしまう。
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世界の最先端からも見捨てられていく可能性もある
日本が世界でも有数の高齢化社会になったということは、客観的に見ると「新しい時代に適応できない人が大勢いる社会」になったということができる。
1980年代は世界が羨むほど高度に進んでいた社会なのに、今ではキャッシュレスの波にしても、ハイテク技術にしても、イノベーションにしても、遅れっぱなしだ。
アメリカの新聞はすでに紙を捨ててデジタル戦国時代を戦っている。しかし、日本はいまだに「紙の新聞」が500万部も600万部も発行されているのだ。もちろん、毎年数十万部で減っているのだが、まだ「紙」が幅を利かせている。
すでにインターネットで瞬時にニュースが見られるような時代になっているのに、紙の新聞を必要とする人が大勢いる。
すでに若者の多くは文学も漫画もスマートフォンで見るようになっているのだが、それでも高齢者はまだ「紙の書籍じゃないと頭に入らない」とか言ってひたすら紙にしがみついているのだ。
恐らく高齢者もインターネットが縦横無尽に使えるようになったら、紙の新聞なんか捨ててインターネットの方に来るのだろうが、いかんせん彼らは時代に適応できないので、もはや紙にしがみつくしかない。
もちろん、インターネットを使い慣れた年代がこれから高齢層に入っていくので、紙の新聞もいずれは天然記念物になるのは避けられない。しかし、時代に適応できない高齢者が急に消えるわけではないので、凋落しながらも存続していく。
古いものが残るというのは素晴らしいことかもしれないが、そうやって徐々に時代遅れになって日本社会が立ち枯れたようになり、世界の最先端からも見捨てられていく可能性もある。悲しいことではある。
「時代の適応能力」が落ちて駄目になっていく日本の姿は、これからあらゆるところで顕著になっていくはずだ。