
無意識に選択を間違えるタイプというのは、「目先の利益」を優先してしまうタイプが多い。将来のために我慢した方がいいと分かっていながら、どうしても目先の誘惑に目が奪われる。短絡的であると分かっていても、目先の利益に引きずられてしまうのだ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
強盗事件の検挙率は99.3%。「強盗をしたら逃れられない」
現在は資本主義の世の中なので、誰もが「もっと金が欲しい」と切に願っている。そうした切実な感情が募って、ギャンブルや犯罪に走る人間も多い。
厚生労働省はギャンブル依存症の患者を320万人と推測している。しかし、ギャンブルは割に合わない。どのギャンブルも一番儲かるのは胴元だと決まっている。ギャンブルに依存する人間はみんなカモなのである。
強盗などの犯罪も割に合わない。警察が曲がりなりにも機能している先進国では、犯罪者の多くは逮捕される確率の方がかなり高いのだ。警察庁が出している『令和3年の犯罪情勢』によると、強盗事件の検挙率は99.3%なので、「強盗をしたら逃れられない」と考えても良い。
だとしたら、ギャンブルも犯罪もしないで、一生懸命に働いて、真面目に生きるのが合理的だという話になる。しかし、「真面目に生きる」というのは面倒くさいし、疲れるし、かったるいのである。
人間には体調の良し悪しもあれば気分の良し悪しもある。機械のように、時間が来たらいつでも無心で働けるようなコンディションにはならない。時には「サボりたい」「働きたくない」「辞めたい」「のんびりしたい」「何もしたくない」という気持ちになる。
しかし、資本主義の世の中では金を稼がないと、水が上流から下流に流れるがごとく、普通の生活から極貧の生活へと転がり落ちてしまう。
だから、どんなに気が乗らなくても体調が悪くても「仕方なく」働くのだが、そういうのを嫌って働かない人もいるのも間違いない。しかし、「もっと金が欲しい」という気持ちだけはしっかりある。
だから、一部の人はギャンブルや強盗などのリスクを取って自爆する。
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私たちの目の前には、2つの「利益」がある
どんなに巨額の金を持った人間でも、使いまくれば破綻する。(マネーボイス:なぜ年収数億円の有名人が破産する?私たち庶民にも参考になるたった1つの防衛策=鈴木傾城)
浪費しまくって破綻したセレブなどを見ると「金があるんだから少しはセーブしたらいいのに」と言う人もいる。しかしセレブだけでなく、人は誰でも程度の差こそあれ、誘惑に弱く、流されやすく、とても衝動的な一面を持っている。
セレブの浪費に「目先のことしか考えていないのか? 行き当たりばったりで愚かだ」と冷笑する人も、新製品のコマーシャルを見るたびに欲しくなって衝動買いしたり、趣味などにとめどなく金を使うのは日常になっているはずだ。
誰でも金は使うよりも貯める方が将来にとって良いのは誰でも分かっている。しかし、目先の誘惑に負けて散財してしまう。ある意味、それは人間らしい感情のエラーであるとも言える。
「こうすれば将来楽になるのに、目の前の誘惑に負けて将来を駄目にする」
こうした現象を「現在バイアス」と呼ぶ。ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン博士が行動ファイナンスの一貫として明らかにしたものだ。
人間は必ずしも最大の利益を合理的に取るわけではない。「将来の利益を軽く、現在の利益を重く感じる心の働き」があってそれが経済予測を複雑化させている。これを、ダニエル・カーネマン博士は「現在バイアス」という言葉で可視化したのだった。
現在バイアスは、たくさんある「不合理な選択」の中の典型的な例のひとつである。
貯金した方がいいのに新製品に飛びついて金を失う。真面目に働いた方がいいのに、仕事もしないでだらだら過ごして勝てもしないギャンブルに賭ける。捕まるのが分かっているのに、すぐに金が欲しいので他人から奪う……。
すべて、目の前の誘惑に負けて将来を駄目にする不合理な行動だが、目の前の利益しか見えないようになってしまっている「現在バイアス」で動いているのである。
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「将来の利益」をしっかりと脳裏に刻んでおく
長い人生の中で無意識に選択を間違えるタイプというのは、「目先の利益」を優先してしまうタイプが多い。
将来のために我慢した方がいいと分かっていながら、どうしても目先の誘惑に目が奪われてそれを避けることができない。短絡的であると分かっていても、目先の利益に引きずられてしまうのだ。
将来をきちんと考える生き方をするためには「忍耐」が必要だ。きちんとした成果を将来に求めるのであれば、現在の欲望は抑えて将来に備えなければならない。
「忍耐は嫌いだ。ズルして何とかならないか?」と誰もが考えるのだが、だいたいは何ともならない。成果を得るためのすべては「忍耐」が鍵を握っている。忍耐のない生き方は間違いなく破綻が待っている。
世の中のほとんどは、そうなのである。
健康のためには、食事の制限は必ず必要だ。目の前にある食べ物を暴飲暴食するのは快楽だが、ずっとそうしていれば、将来は健康を失ってしまう確率が上がる。健康でいたければ、好き放題に食べる快楽はあきらめなければならない。
学力を得るためには、勉強の時間が必ず必要だ。勉強しないで遊び呆けていたら楽しいかも知れないが、ずっとそうしていれば、学力はまったく手に入らない。学力を手に入れたければ、楽しく遊び回る快楽はあきらめなければならない。
将来の欲しいもののためには、どれだけ忍耐ができるかでだいたいの物事は決まる。
つまり、将来の果実を得るためには「目先の利益」をあきらめるか、耐えるか、コントロールできていなければならないのだ。ここで意志決定を間違うと、将来は何も得られないということになる。
「目先の利益」をあきらめないと「将来の利益」は手に入らなくなるというのは、とてもシンプルな法則である。子供でさえ、ある時点でその法則に気づく。時には我慢が必要だとどこかで学ぶ。
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ただの戦略ではない。王道とも言うべき戦略である
もちろん、何でもかんでも我慢して忍耐した方が良いというわけではない。
「忍耐は美徳である」という概念を押し付けながら、不毛な忍耐を強いる動きもある。たとえば、自分が望んでもいないのに外から押し付けられたような局面では忍耐する意味がないとも言える。
家庭内暴力を振るう夫に忍耐しても意味がないし、好きでもない仕事やブラックな会社で、苦痛を感じながらも耐え忍ぶというのも間違っているとも言える。それは自分の将来に得るものがないばかりか、むしろ耐えることで自分自身を破壊してしまうものだからだ。
そういう忍耐はしない方がいい。意味のない忍耐は心身を破壊してしまうのだから、逆に一刻も早く逃れる方を選択しなければならない。
しかし、もし何かを得たいという目的があって、その得たいもののために戦略を練ったのであれば、その目的のためには継続的な忍耐が必要になってくるというのも間違いない。
自分が将来のために求めるものがあるのなら、そこには忍耐がなければならない。必要な場面では忍耐するのは最終的には自分のためになる。我慢強い人が絶対に成功するとは限らないが、我慢強くない人が成功する確率はほとんどない。
そう考えると、忍耐の正体が分かって来ないだろうか?
忍耐というのは「将来に大きく利益を得る戦略」なのである。ただの戦略ではない。王道とも言うべき戦略である。
誰もが「もっと金が欲しい」と切に願っているのだが、だからと言ってギャンブルや強盗で人生が成り立つわけがない。それが成り立たないのは「将来に大きく利益を得る戦略」がないからだとも言える。
目先のことしか考えていないというのは、将来のために忍耐するという戦略がないことを意味している。行き当たりばったりで愚かというのは、将来のために忍耐するという戦略がないことを意味している。
つまり、「こうすれば将来楽になるのに、目の前の誘惑に負けて将来を駄目にする」という現象は、要するに忍耐という「将来に大きく利益を得る戦略」が欠落していることを意味している。
ダニエル・カーネマン博士の言う「現在バイアス」も、「忍耐という戦略の欠如」がその本質である。
勝てる戦略が欲しい? それならばとにかく「忍耐という戦略」を覚えるのが基本なのだろう。
