ひきこもり、146万人に激増の衝撃。このままでは国の未来すら危うくなってしまう
人間は親子であったとしても、それぞれ独立した生命体である。親の生きる道と、子供の生きる道はまったく違う。だから、子供は自分の人生を生きるために、親から独立しなければならない。いつまで経っても自立できない子供は、親を精神的にも経済的にも消耗させている。(鈴木傾城)
人間は親子であったとしても、それぞれ独立した生命体である。親の生きる道と、子供の生きる道はまったく違う。だから、子供は自分の人生を生きるために、親から独立しなければならない。いつまで経っても自立できない子供は、親を精神的にも経済的にも消耗させている。(鈴木傾城)
2020年代に入って社会はますます弱肉強食の資本主義になっている。この中で経済的などん底に転落していく人も多い。うかうかしていると誰でも苦境に落ちる。そんな中で転落しないで生きていくためには、どうすればいいのか。何か特別なマジックが必要なわけではない。(鈴木傾城)
世界人口が増えて食料危機が起こるかもしれないというのであれば、「日本人は世界に迷惑をかけることなく日本国内で持続的に食料がまかなえるように自給率を100%かそれ以上にする」というのが正しい。それをしないで「言われるがまま昆虫食」は、まさに売国的な政策だ。(鈴木傾城)
無意識に選択を間違えるタイプというのは、「目先の利益」を優先してしまうタイプが多い。将来のために我慢した方がいいと分かっていながら、どうしても目先の誘惑に目が奪われる。短絡的であると分かっていても、目先の利益に引きずられてしまうのだ。(鈴木傾城)
年収300万円台のサラリーマンは、年収100万円台の非正規雇用者を見て「なんで這い上がる努力をしないのか。非正規雇用で働いているのが駄目なんだ。正社員で働ければ300万円台にいけるのだから正社員になれるように努力しろ」と思っているのかもしれない。しかし……。(鈴木傾城)
人々には自分なりの考え方や生き方があって、どうしてもそれを変えることができないコアになる部分があるのだ。たとえば、宗教的なものや政治的な主義主張に関する事柄は、往々にしてそれを認めない人と激しい論争や対立を引き起こす。そして互いに分かり合えることはない。(鈴木傾城)
何をどうしても正確に見通せないという現実がある以上、それを求めるのは単なる「ないものねだり」で意味がない。アメリカの大統領ですらも毎日のように想定外に見舞われている。そうであれば、私たちが本当に求めなければならない能力とは何だろうか?(鈴木傾城)
最近は、FIREと言っても潤沢な資金を手に入れて早期退職に入るわけではなく、1000万円にも満たない金額で無理やりFIREに入る人もいる。「資産400万円でセミリタイア」みたいな人まで出てきており、こういう人たちは「底辺FIRE」と言われるようにもなっている。(鈴木傾城)
トヨタの「カイゼン」はもちろん「改善」という言葉からきているのだが、これはトヨタが製造工程における効率化と合理化を推し進める手法として社内に定着させたものだった。ところで、このカイゼンの中で大きなウエイトを占めているのは「整理」と「整頓」である。(鈴木傾城)
実際には「怖いもの知らず」は無謀なリスクを取るがゆえに早死にし、何事にも慎重で臆病なまでに無謀なリスクを避ける人間が最後まで生き残るのである。仮に現実主義者がリスクを取るのであれば、最後の最後まで臆病なまでに準備し、勝率を高める方法を取る。(鈴木傾城)
世の中は「所有」ではなく「利用」の時代になってしまった。今後は思いもよらないものがサブスクリプション方式になり、人々の意識は大きく変わっていく。世の中の変化に対応できなくなれば人間もまた見捨てられていく。ダイナミックに広がっていく社会の変化に気づく必要がある。(鈴木傾城)
今、まさに目の前で「時代は変わった」のだ。そうした実感を感じているだろうか。こんな時代なのに、今までと同じような生き方を模索しようとしていないだろうか。時代が変わったのであれば、ライフスタイルも、考え方も、そして国際常識もすべて変わっていくのである。(鈴木傾城)
次はどう動くのか、どう生きるのか、自分で何でも決めていい。しかし、代わりにその結果は自分ひとりが全面的に責を負う。そのため今後の社会では、個人の能力が生き残れるかどうかの大きな要素となる。誰もが懸念するように、それは非常に苛烈で厳しい社会でもある。(鈴木傾城)
「天才と呼ばれている人」はもともと天才なのだが、それだけではなく、努力によって天才性を磨いている。努力遺伝子を持った人が適性のある分野で努力することで天才性が際立つ。ただ、その「努力する」ということ自体が、生まれつきの遺伝子で決まっていた……。(鈴木傾城)
世の中にはその世界で成功したい人が何百万人もいて、彼らは死ぬほど苦労している。その0.01%ほどが運や実力をつかんで、やっと自分の可能性を実現できる。そんなところに「この世界は好きじゃない」という人が出て行っても成功できる確率はほとんどない。どこの世界でも同じだ。(鈴木傾城)
集中できるのとできないのとどちらが有利なのかと言われれば、もちろん集中できる方が社会的にも有利に決まっている。この「集中力」が人間的な能力向上の重要な要素であることは、今さら分かったことではない。しかし、現代社会は集中力を奪う社会になっている。(鈴木傾城)
人間が死んでも何度も生き返って人生をやり直せるならば、最初の選択肢よりも次の選択肢の方が正しい方を選べる。答え合わせができているからだ。とは言えども、人の人生は一度きりだ。死ねばそれまでだ。しかし、私は「人生を何度も生き直す方法は、あるのかもしれない」と思った。(鈴木傾城)
才能が埋もれているのは女性だけの問題なのだろうか。いや、日本社会は実力主義ではなく、「暗黙知の年功序列」があるので、男性もまた才能が発揮しにくい環境になっている。これは見過ごせない問題だ。日本人はもっと個人個人の才能を活かす社会にしなければ今後の成長は難しい。(鈴木傾城)