ライフスタイル

大半の大学は価値がなくなってしまうが、学歴で勝負できなければどうすべきか?

少子高齢化の中で、私立の大学は学生集めに苦慮している。私立大学では定員割れが常態化している。試験を受けて名前を書き、入学金さえ払えば99%の人が合格するような大学さえもある。ここまで来ると、もはや「大学卒」という学歴は100円ショップの安物と同じ価値しかない。(鈴木傾城)

超巨大な時代の変わり目に、どう生きたらいいか分からない人に伝えたいこと

今、まさに目の前で「時代は変わった」のだ。そうした実感を感じているだろうか。こんな時代なのに、今までと同じような生き方を模索しようとしていないだろうか。時代が変わったのであれば、ライフスタイルも、考え方も、そして国際常識もすべて変わっていくのである。(鈴木傾城)

「どの価値感で生きてもいいが、その結果は自分で責任を負え」という社会の到来

次はどう動くのか、どう生きるのか、自分で何でも決めていい。しかし、代わりにその結果は自分ひとりが全面的に責を負う。そのため今後の社会では、個人の能力が生き残れるかどうかの大きな要素となる。誰もが懸念するように、それは非常に苛烈で厳しい社会でもある。(鈴木傾城)

IQ180。台湾の天才オードリー・タンと、「努力も遺伝の影響だった」という事実

「天才と呼ばれている人」はもともと天才なのだが、それだけではなく、努力によって天才性を磨いている。努力遺伝子を持った人が適性のある分野で努力することで天才性が際立つ。ただ、その「努力する」ということ自体が、生まれつきの遺伝子で決まっていた……。(鈴木傾城)

得意な分野に身を置くだけで生存確率は高まる。苦手な環境では生きていけない

世の中にはその世界で成功したい人が何百万人もいて、彼らは死ぬほど苦労している。その0.01%ほどが運や実力をつかんで、やっと自分の可能性を実現できる。そんなところに「この世界は好きじゃない」という人が出て行っても成功できる確率はほとんどない。どこの世界でも同じだ。(鈴木傾城)

集中力を途切れさせるのが現代社会のワナ。だから、それを逆手に取ればいい

集中できるのとできないのとどちらが有利なのかと言われれば、もちろん集中できる方が社会的にも有利に決まっている。この「集中力」が人間的な能力向上の重要な要素であることは、今さら分かったことではない。しかし、現代社会は集中力を奪う社会になっている。(鈴木傾城)

「実は人生を何度も生き直す方法は、あるのかもしれない……」と私が思った日

人間が死んでも何度も生き返って人生をやり直せるならば、最初の選択肢よりも次の選択肢の方が正しい方を選べる。答え合わせができているからだ。とは言えども、人の人生は一度きりだ。死ねばそれまでだ。しかし、私は「人生を何度も生き直す方法は、あるのかもしれない」と思った。(鈴木傾城)

「遺伝子的に有利」なものを伸ばしていくことによって普通の水準を超越できる

才能が埋もれているのは女性だけの問題なのだろうか。いや、日本社会は実力主義ではなく、「暗黙知の年功序列」があるので、男性もまた才能が発揮しにくい環境になっている。これは見過ごせない問題だ。日本人はもっと個人個人の才能を活かす社会にしなければ今後の成長は難しい。(鈴木傾城)

どうでもいいことをうまくやっても意味はない。自分の人生に重要なことをやる

自分の時間は有限なのに、その有限な時間を自分にとってどうでも良いことで食い潰すのは非常にもったいない。私たちに与えられた時間は決まっている。そして一度流れた時間はもう二度と戻すことはできない。金は取り戻すことができる場合もあるのだが、時間は取り戻すことは100%できないのだ。(鈴木傾城)

単身世帯の増加、離婚の増加、孤独死の増加という社会の裏側に何があるのか?

「個性や自由や自分らしさ」は他人と自分をバラバラにする。それが大切になると、家族と一緒にいることもできなくなる。家族の個性と自分の個性はまったく違うからだ。自分らしさの方が大切だと過剰なまでに思うようになると、家族の価値観もズレはじめ、バラバラにならざるを得ない。(鈴木傾城)

自分の好きな方面で生きていけるように、あれこれ試行錯誤する方が有益だ

自分に向いている「好きな仕事」で完全燃焼できている状態は最良の状態である。明日から「やりたくない仕事」を考えて憂鬱になるのであれば、明らかに向いていない。そうであれば、その仕事を惰性で続けて憂鬱な気持ちになるより、自分の好きな方面で生きていけるようにあれこれ試行錯誤する方がよほど有益だ。(鈴木傾城)

驚異的な潜在能力を持った人も、ゾーンに入ることもできずに幕切れになる理由

天才は、まず最初に自分が没頭できる分野を正しく選んでいた。好きなこと、関心のあること、面白いと思っていることに関しては、誰でも容易に「ゾーンに入る」ことができる。しかし、誰でも好きなことをやっていたらゾーンに入れるわけではないというのも事実である。むしろ、集中力が常に削がれ、ゾーンに入れない人の方が多い。(鈴木傾城)