「天才と呼ばれている人」はもともと天才なのだが、それだけではなく、努力によって天才性を磨いている。努力遺伝子を持った人が適性のある分野で努力することで天才性が際立つ。ただ、その「努力する」ということ自体が、生まれつきの遺伝子で決まっていた……。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
人は努力しないと天才的な技能は習得できない。しかし……
ここ最近、台湾の天才プログラマーにして35歳にして台湾史上最年少の閣僚となった唐鳳(オードリー・タン)に関心を持って調べていた。
オードリー・タンは台湾では「ITの神」とも称されている人物だが、経歴を見ると驚くべきものがある。
8歳でプログラムを独学でマスター、14歳で中学を中退し、15歳でIT企業を企業、19歳でシリコンバレー進出するという凄まじい才人だ。知能指数は180以上で、まごうことなく「天才」である。
しかし、オードリー・タンは学校をドロップアウトして遊んでいて天才的能力を発揮したわけではない。天才的な資質を持つ我が子を、両親が独自のメソッドで知力を伸ばしていったのである。「天才と勉強、天才と努力」が根底にあった。
2014年に米ミシガン州立大学の研究グループが「遺伝か、環境か」の議論について、長年の研究成果を発表した。その研究成果は以下のものだった。
「人は努力しないと天才的な技能は習得できない。しかし、努力も遺伝の影響だった」
つまり、「天才と呼ばれている人」はもともと天才なのだが、それだけではなく、努力によって天才性を磨いている。そして重要なのは、その「努力する」ということ自体が、生まれつきの遺伝子で決まっていた、ということだった。
天才がすごいのか、努力がすごいのか、という議論は意味がなくて、努力遺伝子を持った人が適性のある分野で努力することで天才性が際立つということなのだ。
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いかに楽するかを考えてばかりの人も存在する
「人よりも努力する」という姿勢や性格や気質というのは、成功するためには欠かせない要素である。
どんなに体格が優れていてもそれで自動的にスポーツマンになれるわけではない。そのスポーツに適した筋肉や瞬発力を磨いていかなければならない。
どんなに音感が良くてもそれで自動的に音楽家になれるわけでもない。音感通りに楽器を演奏するための動きを会得しなければならない。
何らかの分野で天才と言われるほどの技能を持つためには、持って生まれた才能だけでなく、その才能を表現するための身体的能力を磨かなければならないのである。
「能力を磨く」というのは、基本を何度も繰り返して、どんな時でも一定のクオリティで結果を出し続けることができるようにするということだ。どれだけ意味のある反復できるのか。それが「努力する」という意味なのである。
実のところ、何らかの技能で大成するためには、他を寄せ付けないほどの努力が必要であるというのは誰でも知っている。問題は「その努力ができるかどうか」という一点なのである。
努力の継続こそが、とんでもない技能を身につけるための方法であるならば、本来であれば誰もがわき目も振らずに努力するはずだ。ところが、そうならないのが面白いところだ。
一心不乱に努力する人もいるのだが、逆に努力することを嫌って、避けて、逃げて、いかに楽をするかを考えてばかりの人も世の中にはかなりの数で存在する。
努力することを自らに課して狂気のようになる人もいるが、まったく逆に努力を嫌い、努力しないことを常に考える人もいるのである。それが遺伝だとしたら、どういうことなのか。
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遺伝するのは身体だけでなく、心も含まれていた
努力が重要なのは誰もが知っているのだが、それができない人がいる。それは性格だとも言われるし、気質だとも言われる。
「飽きっぽい、集中力が続かない、努力できない、やる気が起きない……」
そうやって物事をすべて中途半端で投げ出す人がいる。別に知能が低いわけでも、健康が優れないわけでもないのだが、努力が続かない。
このような人は、「本気を出せば何でもできる」のだが、その本気が出ない。
第三者がこの人を厳しく管理すれば何とか一定のレベルまで到達するのだが、最終的には努力を嫌って手抜きする方向にベクトルがあるので、一定のレベル以上には到達しない。
なぜ努力できないのか。米ミシガン州立大学の研究グループが明らかにしたのが「努力遺伝子があるかないか」だった。凄まじい技能を持った天才は、天賦の才能にプラスして「努力遺伝子」を持っていたということなのだ。
米ミシガン州立大学心理学教授のザック・ハンブリック氏はこのように言う。
「すぐれた音楽家は、その技能を獲得するために必要な長時間の練習ができるよう遺伝子にプログラムされている」
努力できるかどうかというのは、生まれつき持って生まれたものだったのである。
普通、遺伝というのは、容姿や肌の色や体格や病気や身体の各部位の作りという部分ばかりに注目がいくのだが、「身体の作り」が遺伝すると同様に、「心の動き」や「性格・気質」もまた遺伝していくというのが明らかにされつつある。
端的に言えば、両親が努力家であれば、子供もまた努力家になりやすい。それは環境のせいだけでなく、努力遺伝子を受け継いでいたからでもあると、米ミシガン州立大学の研究グループは明らかにした。
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ただし、100%遺伝するものではないということ
「あの親にして、この子あり」とは日本でもよく言われる。「カエルの子はカエル」とも言われる。
「カエルの子はオタマジャクシのような時期もあるのだが、結局はカエル以外になれない」という現象から「子供のレベルは親を見れば分かる」というのを指したのが「カエルの子はカエル」の意味だ。
米ミシガン州立大学の研究グループが明らかにしたのは、言ってみれば昔から知られている真理を研究で明らかにしたということに過ぎないとも言える。
親の知能指数が高いと、子供の知能指数も概ね高い。顔の作りが親に似るのと同様に、脳の作りも親に似る。ちなみに、オードリー・タンの両親だが、父親は台湾四大新聞のひとつ『中国時報』の元副編集長で、母親はジャーナリストだった。
知能に関連する前頭葉は80%が親の脳が遺伝するので、親の知能が高いと子供の知能が高くなりやすいのは「遺伝」だったのである。この事実は、実は倫理的な問題をも提起する危険な研究結果でもある。
というのは、「親が努力の人であれば子供もそれが遺伝する」というのであれば、ひどいケースもまた真であるからだ、つまり、「親がドラッグやアルコールに溺れ、犯罪に向かう人間であれば、子供にもそれが遺伝する」ということを言っているも同然になってしまうのである。
ただ、救いは「そうでないケースもある」ということだ。100%遺伝するものではないのである。親がどうであれ、超人的な才能を持った子供もいるし、親が大して努力家でもないのに、子供に努力遺伝子が備わっていたりするケースも往々にしてある。
親が持ち合わせていないものを子供が持っていたとしても不思議ではない。子供は父親や母親の100%コピーではなく、父親と母親の遺伝子のミックスだからである。
親の良い部分や悪い部分は100%遺伝するのではなく、「新しい遺伝子」を自分が持っている可能性がある。果たして自分はどうなのか……。それは自分が一番よく知っている。