最近は、FIREと言っても潤沢な資金を手に入れて早期退職に入るわけではなく、1000万円にも満たない金額で無理やりFIREに入る人もいる。「資産400万円でセミリタイア」みたいな人まで出てきており、こういう人たちは「底辺FIRE」と言われるようにもなっている。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
1000万円にも満たない金額で無理やりFIREに入る?
2022年に入ってから株式市場が明らかに変調を来している。下落は今も続いており、「大きな暴落はむしろこれから来るのではないか?」と懸念を表明している関係者も増えてきている。
その中で、株式投資の収益でFIRE(Financial Independence, Retire Early=経済的自立と早期退職)に入った人たちの中には、苦境に追い込まれてしまった人たちも出てきている。
最近は、FIREと言っても潤沢な資金を手に入れて早期退職に入るわけではなく、1000万円にも満たない金額で無理やりFIREに入る人もいる。「資産400万円でセミリタイア」みたいな人まで出てきており、こういう人たちは「底辺FIRE」と言われるようにもなっている。
そうした底辺FIREのひとつの手法として、「先進国は高いので、ひとまず早期退職後は物価の安い途上国で暮らす」というものもある。かつてバックパッカーだったような人には、その手のFIRE組も多い。
しかし最近、海外出張組や国外で暮らすFIREが、コロナ禍による生活の不便に耐えかねて帰国してしまったり、帰国を考えているという話をよく聞くようになった。
さらに2022年から世界中で起こっている資源高・エネルギー高を起因としたコストプッシュ型の物価高にも見舞われており、底辺FIREにはひときわ厳しい環境になってしまった。
ロシアとウクライナの戦争は終わらず、欧米は生活破綻するほどの物価高に見舞われ、中国はゼロコロナで追い込まれている。これらがもたらす不景気は、今後は大量の失業者を生む。皮肉なことに失業は「強制FIRE」と言えなくもない。
失業したら、貯金が乏しくてもそのままFIREに入ってしまおうと考える人もいるかもしれないが、実際にそれができる人はほんの一部だろう。無理やりFIREしても、乏しい貯金ではどうしようもない。
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FIREの計算はすべて机上のもの
400万円でFIREなど、どれだけ節約しても無理である。どのみち働かなければならない。それは経済的自立を成し遂げているとは言えない状況である。本当の意味でFIREするためには、その後の人生を死ぬまで働かないで済むだけの貯金が必要だ。
もちろん貯金と言っても、その金額は人によってまちまちで明確な答えはない。
仮に40代でFIREした人がその後の人生の残りが40年だとすると、年間300万円で生きている人は、年金をアテにしないで計算すると、単純に1億2000万円が必要だということになる。
そもそも、普通のサラリーマンで40代にして1億2000万円を貯められる人はゼロとは言わないが極度に極小の存在だろう。年間200万円で生きられる40代は8000万円で生きられるということになるが、40代で8000万円を貯蓄できるサラリーマンもまた希有だろう。
さらに半分の4000万円ではどうか。猛烈に働き、極度に節約した成功したサラリーマンの中には、40代で4000万円を貯めた人はポツリポツリ出てくるかもしれない。では、この4000万円でFIREは可能なのだろうか。あるいは、不可能なのだろうか。
FIREではなく、セミリタイアに切り替えれば何とかなるかもしれない。1年間で100万円くらいの収入になるアルバイトをして、足りない分は年100万円を補填するというセミリタイアの形にすれば生活はそれなりに何とかなる。
ただ、こうした計算はすべて机上のものである。たとえば、資本主義社会では物価上昇はしばしば起こる。物価が上昇したらギリギリの生活をしている人から生活が成り立たなくなる。
2022年からの物価上昇もFIREに入った人たちにとっては誤算だったかもしれないが、人生はこういう誤算が次々と起こるものだ。病気になったとか、自堕落になって浪費癖がついたとか、誰かにタカられたとか、そのようなことがあれば一気にFIREのプランが瓦解してしまう。
ちなみに物価が安い海外に逃れれば何とかなるのかと言えばそうでもなく、物価は安いはずなのに、やたらと浪費がかさんだりする。たとえば、衣食住すべてに日本並みの快適さを求めれば日本にいるのとそれほど変わらない出費になる。FIREして破滅に追い込まれた人の話なんかゴロゴロある。
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「経済的不自由の中の時間の自由」がFIREの正体なのか?
日本では年間120万円程度で暮らしている貧困層がかなり増えてきているのだが、120万円で暮らしていけるとは言っても、かなり切り詰めなければやっていけないのが実情だ。
4000万円でFIREになった人は3%以上の配当をもらって年間約120万円であったとして、それで我慢できるのであれば底辺FIREとして暮らしていけるかもしれない。この場合、貧困層の生活に甘んじることでFIREが実現できる。
こうした生活ギリギリのFIREを成功させるのに必要なのは「自制心」だ。働かないということは、年間120万円がすべてなのだから、自由に見えたとしても裏側では緻密かつ慎重な経済観念と極度の自制が求められる。
FIREすれば、自由気ままに生きられるようなイメージがあるのだが、実際にはFIREしても常に「金の計算」「生活費の計算」から逃れられない。資本主義で生きているのだからFIREしても金だけは飛んでいく。
確かに時間はたっぷりある。しかし、余裕はない。底辺FIREで得られる自由とは、多くの場合は「経済的不自由の中の時間の自由」であると考える必要がある。4000万円のFIREでも元本を減らさないで配当で何とかしようと思ったら年間120万円なのだから、生活は経済的不自由になる。
そうだとしたら、「資産400万円でセミリタイア」というのは、もはや底辺FIREにも入らないとも言える。
それは、ギリギリまで働きたくない人が、FIREを気取って極度の節約生活しているだけだ。それは、ただ「働きたくないだけ」の人であって、FIREとは呼べない。間違いなく生活は破綻してしまうだろう。
「隣の芝生は青く見える」と言われるが、毎日仕事に追われて生きている人に取って、FIREしてブラブラ暮らしている人というのは素晴らしい人生に見えるかもしれない。しかし、必ずしもFIREが素晴らしいとは限らない。それは知っておく必要がある。
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自分がどのように生きたいかで答えは違ってくる
理想のFIREがあるとすれば、少なくとも億単位の資産があって配当だけで400万円以上あって、永遠に資産が減らない状況になることである。400万円では非常に豊かであるとは言えないかもしれないが、一応FIREは可能な状況だ。
その場合、ほどほどの自制があれば、永遠に経済的自由の中でFIREを楽しむことができる。仮に配当の受け取りに問題が出てきたとしても、元本が億単位であれば最悪それを削っていけばいい。何にしろFIREを継続できる。
FIREの中でも一番良くないのが、配当を回して生活できず、ただ単に貯金を食い潰す形のFIREである。充分な資金がないままFIREすると、後の人生はどんどん目減りしていく貯金を見つめながら生きていくのが日常になるので、ストレスも相当なものになるはずだ。底辺FIREになればなるほど、ストレスは重くなる。
しかし、そこまでストレスを抱えてFIREを気取る必要はあるのだろうか。
FIREに入る人の心の中には「仕事をしない=幸せ」という方程式があるのだろうが、これに固執すると、本来は仕事で得られるはずの充実感もなければ、仕事を通して得られる成長もない。友人も消えていき、社会からも必要とされずに疎外感も感じるようになる。
生き甲斐もないまま、ただ目減りしていく貯金を見つめて生きるということに耐えられなくなる人もいるはずだ。不完全なFIREには強制的な節約が生み出す苦しみのようなものが付いて回る。
一生涯に渡って仕事をしないでいい、というのは必ずしも幸せに直結するわけではない。そう考えると、ことさら「何もしないで生きる」ためにFIREを目指すのは、すべての人が目指すべき合理的な生き方ではない。
特にわずかな貯金を食い潰すだけの底辺FIREなど、もっての他だ。
コロナによって精神的にも経済的にも人生が激変している人は多い。そんな中で、改めて人生を考え直す人も増えている。自分に合っていない仕事は止めるべきだが、だからと言って底辺FIREになればいいというのは何か違うようにも思える。