得意な分野に身を置くだけで生存確率は高まる。苦手な環境では生きていけない

得意な分野に身を置くだけで生存確率は高まる。苦手な環境では生きていけない

世の中にはその世界で成功したい人が何百万人もいて、彼らは死ぬほど苦労している。その0.01%ほどが運や実力をつかんで、やっと自分の可能性を実現できる。そんなところに「この世界は好きじゃない」という人が出て行っても成功できる確率はほとんどない。どこの世界でも同じだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』の結果

内閣府は定期的に『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』を行っていて、最新のものは令和元年6月に2018年のものが報告されているのだが、この統計を見ると日本の13〜29歳までの若年層の心理について興味深いことにいろいろと気付く。

自分の将来に希望があるかどうかを訊ねると、アメリカは63.9%の割合で「希望がある」と答えているのだが、日本の若者は18.0%しか「希望がある」がなかった。これは、日本・韓国・アメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・スウェーデンの中でも断トツに低い数値である。

「将来、お金持ちになっているかどうか」という質問でも日本は7ヵ国の若者の中でやはり一番低く7.8%しか「お金持ちになっている」がなかった。ちなみにアメリカは31.0%である。

ついでに言うと、「(将来は)出世している」の割合も日本の若者は最も低かった。「(将来は)結婚している」の割合も日本の若者が最も低かった。そして「(将来は)幸せになっている」の割合も最も低かった。「(将来は)多くの人の役に立っている」の割合も低かった。

日本人が心配性で慎重な気質であるというのも統計に含まれているのは間違いない。

そうだとしても、日本の若者の大多数が「将来に希望があるとは思わず、希望を持たず、金持ちになれると思わず、幸せになれると考えず、結婚しているとも思わず、人の役に立つとも思わない」のだから惨憺たる結果であるとも言える。

日本人の8割はサラリーマンになるのを見ても分かる通り、日本では同調圧力があまりにも強くて本当にやりたいことができていない。そうした社会に従うしかない自分に悲観して「うまく生きていけるのだろうか」と心配している姿が目に浮かぶ。

やりたくない生き方を押しつけられる未来しかないのであれば、誰もが希望を失い、幸せになれると思わないのは当然ではないのか?

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「努力してもうまくいかないのが当たり前」の世界

自分の好きな世界で生きても成功できるかどうか分からないのは同じではないか、という人もいる。それは事実だ。好きな世界だから成功できるわけではない。

それはプロのアスリートを見ても分かる。2020年はオリンピックの年で、多くのアスリートが競技で能力を競う。アスリートたちは、誰もが激しい鍛錬と血のにじむような努力をしているわけだが、優勝できるのは「たった1人」である。

ほとんどの場合、努力はストレートに実らない。確率から言うとアスリートは「結果を出せない」方が圧倒的に多い。競技者が1000人いても、金銀銅はそれぞれひとつしかない。アスリートだけでなく、順位あるすべての世界はそうなのだ。

「将来は努力してもうまくいかないのが当たり前」であると考えた方が話が早い。デフォルトは「うまくいかない」に設定されているので、それをどうするかが問われているのだ。それが生きるための姿勢であると言っても過言ではない。

実際、どうすればいいのか。

自分の人生を少しでも実りあるものにするためには、つらく、長い、苦闘の時期を乗り切る自信のあるジャンルで生きなければならないことになる。そのためには、どうしても次の条件を満たす必要がある。

「自分の得意な分野に身を置く」

それは、何を置いても熾烈な世界で生きる上での絶対条件であるとも言える。得意な分野に身を置けば、それが得意でない人間を楽に出し抜けるのだから合理的な生き方だ。

欧米人が日本人よりも楽観的なのは、社会が「自分の好きなことを追求しろ」という風土になっているのも一因であるはずだ。日本人が悲観的なのは、得意な分野で仕事ができない風土も一因であるはずだ。

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苦手な環境で生きていけないのは当たり前

「自分の得意な分野に身を置く」という条件の中で生きていない人は、まず、何が何でもそのポジションに自分の身を置けるように、死にもの狂いで努力しなければならないと言える。

それが満たされないと、自分の人生が始まる「きっかけ」すらも手に入れることができない。

考えて見れば分かる通り、すべての生き物は苦手な環境にいて、うまく生きていけるほど器用にできていない。自分が苦手な環境、苦手な分野、苦手な世界、苦手な仕事の場にいても、自分の能力が発揮できるわけがない。

ビル・ゲイツがいくら天才だからと言ってもボクシングの世界で勝てるとは思えない。逆にマイク・タイソンがいくら最強であったとしてもコンピュータの分野で能力が発揮できたとは思えない。

成功した人は「得意な分野」にいたから成功したのだ。

世の中にはその世界で成功したい人が何百万人もいて、彼らは死ぬほど苦労している。その0.01%ほどが運や実力をつかんで、やっと自分の可能性を実現できる。

そんなところに「この世界は好きじゃない」という人が出て行っても成功できる確率はほとんどない。どこの世界でも同じだ。自分がやりたくない世界にいたら、成功できるどころか、その世界で生き残ることすらも難しい。

そういった目で考えると、「得意でもない仕事をいつまでも続ける」というのは正気の沙汰ではない。「得意でもない仕事」では、絶対に自分の能力を発揮することができない。一時的には何とかなっても、それで人生を支えていくことはできない。

どんな仕事をしていても必ず訪れる「つらく、長い、苦闘の時期」を、得意でもない仕事で乗り切ることは不可能だ。得意な仕事に全力投球しても生き残れる約束は誰もできないのに、得意でもない仕事を続けて生き残れると考える方がどうかしている。

とにかく、「自分の得意な分野に身を置く」というのは、生きる上で、どうしても譲れないことである。人生の話はそこから始まる。

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得意な分野に身を置くだけで生存確率は高まる

得意な分野に身を置けば、自動的に成功が約束されているわけでもない。それは確かだ。得意な分野にいても「確率的に有利である」というだけで、努力しなければ努力する人に打ち負かされる一方となる。

努力の方向というのは2つあって、1つは「得意をとことん伸ばす」というもので、もう1つは「弱点を補強する」というものである。

この両方は同時に行われなければならないが、どちらを伸ばす方が有利なのかと言えば、間違いなく「得意をとことん伸ばす」方である。

弱点を補強しても普通になるだけだ。しかし、得意を伸ばすと、超人に至る可能性がある。得意であるからこそ、その部分を突き詰めれば、それを驚異的に伸ばすことができる。

努力というのは、主に「得意を伸ばす」ことに集中していなければならないのである。攻撃が得意なタイプは、さらに攻撃力を磨き、防御の得意なタイプはさらに防御を磨くことで、その世界の超人になっていく。

「自分の得意な分野に身を置く」のと「自分の得意を伸ばす」の条件が満たされて、人はやっと自分の人生を切り開く勇気と自信が持てるようになる。そして、必ずやってくる「つらく、長い、苦闘の時期」をも、くじけないで乗り切ることができるようになる。

誰も環境を用意してくれない。得意な分野に身を置き、得意を伸ばすのは、自分自身で動くしかない。将来を悲観しているのであれば、なおさら自分の不利な場所で生きてはいけないと言える。

得意な分野に身を置いて得意を伸ばすことで、それが得意ではない人間よりも高みにのぼれる確率が高まる。心配が減り、希望が持てるようになり、幸せな気分に浸ることもできる確率も高まる。

得意な分野に身を置くだけで生存確率は高まる。得意な分野に身を置けば、それが得意でない人間を楽に出し抜ける。そんな単純なことにも気づけないほど、日本の同調圧力は強い。

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