貧しくとも子供が欲しい夫婦は、臆せずに子供を持つべきだ

貧しくとも子供が欲しい夫婦は、臆せずに子供を持つべきだ

日本の少子高齢化は延々と放置されてきて、今でも政治的にはまったく何の働きかけもなく無視されているままだ。

しかも、日本を愛し、日本の将来を憂う人ですらも、刻々と日本を衰退させる原因となっている少子高齢化にはまったく何の反応も示さない。

日本を破壊したい人間どもは「日本人は多すぎる。人口が少ない方がいい」と方々で言って回り、「労働力が足りなければ移民を入れればいい」と主張している。

「日本を破壊する」という目的に沿って動いている反日の人間たちにとっては、日本人が減るというのはその原因が何にしろ、それは素晴らしいことなのである。

なぜか。日本人が減れば減るほど、そして日本が無人化すればするほど侵略が容易になるからだ。

「ありとあらゆる手段で日本人を減らし、中国・韓国・北朝鮮の人間を日本国内で増やす」ために活動している反日の人間にとっては少子高齢化は進んだ方がいい。

だから旧民主党系(民進党・立憲民主党・希望の党)や日本共産党やその他の泡沫野党は少子高齢化についてはおざなりにしか取り上げないし、解消に政治生命を賭けることもない。

放置すればするほど日本人が減っていくのだから、少子高齢化は日本破壊に沿っていると言える。少子高齢化はまぎれもなく、そして明確に、日本の「国難」なのである。

年度予算のたった2.9%で少子化は解決できる

信じられないかもしれないが、この少子高齢化は簡単に解決することができる。

たとえば、子供をひとり産んだ日本人の両親を持つ家庭には300万円のお祝い金を出すということにすれば、若い家庭は喜んで子供を作るはずだ。

日本の出生数は2017年の人口動態統計の年間推計を見ると約94万1000人である。彼ら全員に配っても2兆8230億円だ。

政府は2018年度予算案として97兆円超を出しているのだが、その予算の約2.9%、たった2.9%、たかが2.9%でそれは実現できるのである。

これで出生数が二倍に増えたとしても5兆6460億円である。政府の予算97兆円から見ると大したことはないが、それでも巨額だと言うのであれば、どこかで切り詰めなければならない。どこで切り詰めるのか。

無駄な海外支援、無駄な予算である。

安倍首相は4年近くで対外支援で約33兆円を使っているのだが、これをすべて少子化の解消に使えば、現在の出生数が2倍になったとしても6年も継続することができる。

現在の税の使い方は無駄も多い。高齢者が病院に行くと大量に薬が出されるが、不必要な薬に社会保障費を使う必要はまったくない。

生活保護については外国人に支給するのは絶対にやめるべきだ。生活保護は日本人のためにあるわけで、外国人は自国の生活保護に頼るべきであり、日本で生活できないというのであれば、自国に戻るべきなのだ。

あるいは、誰も住まないようなところで水道のようなインフラを整備する必要はないし、無人に近い場所の道路を整備する必要もさらさらない。

そんな無駄をすべて削って、子供を増やす方向に税金の使い道をシフトさせる。

子供を育てるというのは誰にとっても難関な事業

出生数が二倍になれば、高齢者が亡くなっていく分と相殺しても日本の人口は増える。しかも子供たちが増えて人口動態的にも望ましい形になる。

日本は、少子化対策を本気でやろうと思えば、明日からでもできるのである。少子高齢化で日本が長期衰退してしまう「国難」を突破するには、それくらいしてもいい。

子供をひとり産んだら毎年300万円もらえると分かったら、毎年子供を産む家庭すら現れる。

そうやって、人口が増えば当然のことながら活気が戻るし、内需も増える。長い目で見ると確実に不動産価格も上がるし、将来的な税収も上がる。

安倍政権は少子高齢化を「国難」と認識している。それであれば、子供を産む家庭に必要充分な額を配るというのは何が何でも検討すべきだ。

3万円や4万円のような端した金ではだめだ。思い切ってやらなければならない。日本を蘇らせるためには、絶対に必要な措置である。

今の社会はあまりにも日本人の若年層を萎縮させてしまっており、日本人の慎重さとも重なって出生率は下がっていく一方と化している。

今の若年層は「自分が子供を作るのは無責任なこと」とさえ考えている。

たとえば、運やツキに恵まれなくて低収入に甘んじている若い夫婦がいたとする。彼らは自分たちだけなら何とか生活できても、子供ができたら「子供に迷惑をかける」と悩む。

「低収入である自分たちが子供を持つ資格があるのだろうか。派遣労働では賃金も増えない上に、いつ契約が切られるのか分からないのに、それで子供を持つと言ったら無責任に思われないだろうか……」

それでも、意を決して子供を産む決断をすると「貧しいくせに子供を生んでどうする」とか「貧しいのに子供を作って、頭が弱いのではないか」と、まったく関係のない第三者に思われたりする。

子供をうまく産み育てられるのかどうかは、金があるかどうかだけで決まる問題ではない。小さな子供を育てるというのは、誰にとっても難関な事業だ。

それを子供を持たない他人が「貧しいくせに」と揶揄するというのは、そんな人間はクズであると言っても過言ではない。子供は親だけで育てるのではない。家族が、地域が、社会が、国が育てるのである。

しかし、今の日本は子供を産んだ夫婦だけに、場合によっては子供を産んだ母親だけに子育ての責任を押しつける冷酷で残酷な社会と化している。そんな中で、子供を産み育てるというのはとても苦しいことだ。

これで少子化が解決するはずがない。

親や環境がどうであっても、成り上がる子供がいる

貧困は連鎖する。それは冷徹な事実だ。

貧困から抜け出すためには教育が必要だが、貧困家庭は子供が教育を受けるためのサポートが家庭にできていないことも多い。塾に通うどころか教材を買うことさえもできないこともある。

充分な栄養が取れずに体力も集中力も続かず、知的な分野を伸ばせないこともある。落ちこぼれると見捨てられ、見捨てられると学業放棄につながる。

貧困のために大学進学もあきらめないといけない子供たちもたくさんいる。大学どころか高校も途中であきらめてしまう子供たちもいる。

こうした「貧困の連鎖」を他でもなく一番よく知っているのが低学歴の親である。親は自分たちのできることはするが、限りがある。それ以上は、子供が厳しい社会を自力で乗り切ってもらうしかない。

「貧困家庭に生まれたら高等教育までの道筋も絶たれ、社会に出ればブラック企業の餌食にされる。貧困家庭に生まれてくる意味があるのか、生まれた子供は幸せなのか……」

そんな風に社会に思われながら、それでも孤立無援で子供を産み育てる家庭を、地域や社会や政治は放置し続けていいのか。そして、そう思われるのが嫌で子供を持つという喜びをあきらめてしまっている若年層を日本は見捨てていいのか。

恵まれた人たちは、貧困家庭の子供はみんな大した人間になれないと無意識に偏見を持つこともあるが、それは傲慢であり、浅はかな見方だ。自分だけは安全地帯で生まれ育ったと思っている人間の思い上がりだ。

どんな境遇の子供たちであっても、その個性はひとりひとり違っており、それぞれに何らかの才能がある。そしてその才能は、時には思いがけないものであったりする。

「貧困家庭の子供は大した人間にならない」と思うのは間違っているし、そんな風に考えているのであれば、私はそんな人間と口を利きたくない。関わりたくない。

親がどうであれ、環境がどうであれ、そうしたところから成り上がっていく子供たちもいるわけで、むしろ逆境を乗り越えて成り上がっていく姿は感動的ですらある。

だから、貧しくとも子供が欲しいと思った若年層の夫婦は、臆せずに自分たちの子供を持つべきだ。そうすれば、自分たちの子供が「貧しい人間は子供を産むべきではない」と言っている人を支配するかもしれないのだから……。

そして、地域や社会や政治はあらゆる手段でできる限りの支援をすべきでもある。やがて、そこから日本を導く次の指導者が生まれるのだから……。

貧しくとも子供が欲しいと思った若年層の夫婦は、臆せずに自分たちの子供を持つべきだ。そうすれば、自分たちの子供が「貧しい人間は子供を産むべきではない」と言っている人を支配するかもしれないのだから……。

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