児玉誉士夫。徹頭徹尾「再軍備」「自主防衛」を求めて身を砕いていた右派最強の男

児玉誉士夫。徹頭徹尾「再軍備」「自主防衛」を求めて身を砕いていた右派最強の男

覚醒した日本人は、実は再評価しなければならない人物がいるのではないか。それは、戦後の日本において、徹頭徹尾「再軍備」「自主防衛」を求め、個人で裏側から日本の主権を取り戻すために身を砕いていた人物だ。日本人は児玉誉士夫をもう一度しっかり評価すべきだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

児玉誉士夫とは何者であったのか?

日本人が再評価しなければならない人物がいる。それは、戦後の日本において、徹頭徹尾「再軍備」「自主防衛」を求め、個人で裏側から日本の主権を取り戻すために身を砕いていた人物だ。

この人物は、今はアメリカやマスコミや反日国家の工作員やそのシンパや共産主義者にめちゃくちゃに批判されたまま1984年に亡くなった。

彼の名前は、児玉誉士夫(こだま・よしお)と言う。

今こそ児玉誉士夫を見直さなければならないのは、児玉誉士夫が戦った時代は今の時代とよく似ているからだ。貧困と格差が広がり、社会が騒然となっていた時代に、右翼としての児玉誉士夫は誕生したのだ。

児玉誉士夫が政治活動をするようになったのは18歳だったとき、すなわち昭和4年(1929年)のことだった。

この年は第一次世界大戦後の反動で激しい経済不況に見舞われていて、東京渡辺銀行とあかぢ銀行が倒産して一瞬にして取り付け騒ぎが起こって金融パニックとなった年でもある。

不況が極まって貧困と格差が極度に広がっていた。そして、この貧困と格差の中で不気味な胎動を見せて貧困層の間でじわじわと浸透していったものがある。それが共産主義的思想であった。

「貧困と格差が広がっているのは資本家の搾取のせいだ。資本家を打倒しよう!」

そのようなうねりが湧き上がり、多くの労働者が左翼思想に取り込まれていった。

当時、児玉誉士夫は貧困の最中にあって鉄工所で汗水働く労働者のひとりに過ぎなかった。この鉄工所でも左翼による労働争議が行われていた。労働者として国民を搾取することしか考えていない資本家たちに対して児玉もまた深い憤りがあった。

しかし、児玉誉士夫は左翼活動にも反発を抱いていた。

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建国会の思想はそのまま児玉誉士夫の思想だった

児玉誉士夫は、彼らが言う「祖国ソビエト」「赤旗」というのがまったく気に入らず、共鳴できないどころか反発すら感じていた。

それで、どうしたのか。児玉誉士夫は右でありながらも資本家を激しく批判する右翼団体である『建国会』に所属したのだった。この『建国会』は赤尾敏が深く関わり、顧問には玄洋社の頭山満もいる右翼団体であった。

児玉誉士夫が右翼団体『建国会』を気に入ったのは、「あくまでもバックボーン的思想は天皇中心主義」であることと、もうひとつ大きな理由があった。

建国会は「国内におけるあらゆる経済的不安の原因および、思想的混乱によってきたるものは、横暴な財閥の金権的勢力と、極度に堕落した既成政党との結託による、汚れきった金権政治である」と喝破して、これを激しく批判していたのだ。

これこそ児玉誉士夫が求めていたものだったのだ。

精神性は天皇主義という日本に根ざした日本中心のもの。そして、金権政治家や搾取資本家を激しく批判する。建国会の思想はそのまま児玉誉士夫の思想でもあった。日本人のために児玉誉士夫は戦いたかったのだ。

児玉誉士夫は頭山満の『玄洋社』や内田良平の『黒竜会』にも関心を示していたのだが、これらの右翼団体は大陸問題(満州)に重点を置いていたので、当時の児玉誉士夫の方向性とは違っていたと本人は語っている。

それで建国会に入って「200万の失業者と東北農民を救済せよ」と活動をしていたのだが、児玉誉士夫はすぐに限界を知った。この時の心境を児玉誉士夫はこのように語っている。

『何をどう政府に要求したところで、一時のがれの、ご都合主義の政治家どもには、まったく受け答えがなかった』

それで、児玉誉士夫はどうしたのか。悲惨な失業者と東北農民を救うためには天皇に直訴するしかないと考えて、赤坂見附で天皇陛下の乗った「お召し車」に直訴状を持って突進したのだった。

児玉誉士夫はこれで警察に後から捕獲されて直訴状を渡すことができないまま逮捕されて群馬県前橋の刑務所にぶち込まれている。

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児玉誉士夫こそが、事実上の日本の頭領であった

こうした中で、児玉誉士夫はその後も右翼活動にどっぷりとハマっていくのだが、転機になったのは満州自治運動をしていた笠木良明と知り合ったことだった。ここから児玉誉士夫は中国に視察に行くようになり、やがて中国で軍部の物資調達を現地で担うようになっていく。

当時の中国は荒くれ者が集まり、内部で物資を調達するのには軍が立ち入れないアンダーグラウンドにも関わる必要があった。児玉誉士夫はそこに関わっていき、児玉機関を設立し、物資調達で莫大な利益を手にするようになる。

戦後、この利益が政界と右翼界と極道組織を動かすことになる。

児玉誉士夫は、1970年代のロッキード事件でアメリカにはめられて失墜していったが、それまでは一貫して満州時代に手に入れた莫大な資金を利用して、日本が共産主義者の手に落ちるのを避け、アメリカの占領下にあって「再軍備」や「自主防衛」が実現するように動いていた。

自由民主党の創設者でもあり、鳩山一郎も岸信介も中曽根康弘もみんな児玉誉士夫の支援と資金があって大成している。そういう意味で児玉誉士夫こそが、事実上の日本の頭領であったとも言える。

児玉誉士夫はA級戦犯として巣鴨プリズンに投獄されていたが、アメリカのスパイになることを条件に保釈されている。しかし、アメリカに首輪をはめられた状態でも日本の「再軍備」や「自主防衛」を目指して裏側で画策していた。

児玉誉士夫は自らが表に立つのを嫌ったので、当時の多くの政治家に資金を提供して日本の自主独立の夢を政治家たちに託したが、彼らはそれを成し遂げることはできなかった。

児玉誉士夫が支援した政治家たちが私利私欲や自らの地位の固執に汲々として、児玉誉士夫が目指していた日本の真の独立をないがしろにし続けたからだ。児玉誉士夫が次々と支援する政治家を変えざるを得なくなったのは、支援した政治家がうまく動いてくれなかったことにある。

支援された政治家にはアメリカと張り合う覚悟などなかったのである。

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そろそろ日本人は「本物」を評価すべき時代がきている

日本はアメリカとの戦争に敗れた。しかし、児玉誉士夫は日本が再度、強国になれると信じていた。だから、児玉誉士夫は黒幕(フィクサー)として動いていた。1953年9月18日付けのCIAの報告書によると、当時の児玉誉士夫が何を目指していたのかが列挙されている。

「日本共産党を破壊し、共産主義の影響をアジアから排除する」
「日本を反共産主義連盟の主要国にする」
「軍の再武装を通じて、国家主義的日本を再建する」
「日本共産党の流血革命に対抗し、それに備える」

児玉誉士夫が目指していたものは、まさに今の現代日本も目指さなければならないものであることに驚いて欲しい。なぜマスコミやアメリカや日本の周辺国は、児玉誉士夫を葬り去り、再評価させることもなく「いかがわしい人物」として歴史の闇に葬りさったのか?

児玉誉士夫は戦前は軍閥に関わり、戦後は多くの右翼人脈と共に任侠組織とも深く関わり合っていた。さまざまな企業買収や労働争議にも関わった。けっして清廉潔白な人物ではない。

しかし、政界のフィクサーとしての手腕は凄まじいものがあった。なぜこれほどの人物が評価されず、ただただ叩きのめされて日本の歴史から抹殺されたのか。それは、児玉誉士夫がもっとも日本の再建に手を尽くしていたからではないのか。

日本人が児玉誉士夫を再評価しなければならない理由がここにある。

左翼・リベラルの影響力が強いマスコミは、これからも間違いなく右翼の真の大物だった児玉誉士夫を闇に葬るために悪評を垂れ流す。マスコミが絶対に評価しない大物は、本物の大物なのである。

日本人は今も児玉誉士夫を評価できないでいる。右派ですらも「右翼」であった児玉誉士夫を裏の世界にも通じていた「右翼」であるがゆえに評価するのを恐れる。しかし、そろそろ日本人は「本物」を評価すべき時代がきているのではないか?

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