日本人が見捨てた2人、児玉誉士夫と野村秋介を見直すことで日本人は目覚める

日本人が見捨てた2人、児玉誉士夫と野村秋介を見直すことで日本人は目覚める

1954年から始まった高度成長期によって国民は「アメリカの犬でいた方が幸せではないか」「日本人魂なんかいらないではないか」と日本人は思うようになった。それが1960年代以後の若者の意識となった。そして、日本人は魂を失って、国すら保てないような状況になりつつある。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

敗戦した日本は資本主義を復活「させてもらった」のだ

1945年の敗戦でボロボロになった日本は、その後の高度成長期の時代に入って物質的に豊かになった。この裏側にはアメリカの思惑があったのは言うまでもない。

当時、全世界でソビエト連邦の影響力が広がって共産主義が民主主義国家に侵略をかけていた。

これに強い危機を感じたアメリカは、アジア全体が共産主義国家になるのを阻止するために、太平洋戦争で叩きのめした日本を経済的に立ち直らせて「共産主義の防波堤」にしようとした。

日本の高度成長は日本人の力のみで成し遂げられたわけではない。復興に賭ける日本人の懸命の努力はあったのだが、それだけではなくアメリカの政治的な思惑があったというのは紛れもない事実でもある。

ただ、アメリカは日本を経済的に立ち直らせても、軍事的に立ち直らせるつもりはなかった。だからこそ、日本は「憲法第九条」によって法的に軍事力を放棄させられ、牙を抜かれた状態のまま、共産主義国家にならないように資本主義国家に「させてもらった」のである。

ひとつのれっきとした国が「軍を持てない」というのは、誰が考えてもおかしいに決まっている。侵略されたらひとたまりもない。

だから、アメリカは日本を「同盟国」であると宣言して、中国やロシアなどが日本を攻めてこないように牽制した。この同盟国としての宣言が、1960年に締結された日米安全保障条約であったと言える。

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国民は「もうこれでいいのではないか」と思うようになった

・日本が共産化しないように経済復興させる。
・憲法第九条で日本が軍事大国化しないように縛る。
・軍事を持たない日本が侵略されないように日米安保を宣言する。

このどれもがアメリカの思惑であり、日本はアメリカの政治力に思うがまま翻弄されてきた。しかし、このアメリカの戦略は日本の政治家にも、日本の国民にも都合が良かったのだ。

1945年の敗戦で日本は焦土と化し、人々は虚脱状態となり、仕事も食料もなく、街は崩壊してしまっていたからだ。おにぎり一つのために身体を売って「こんな女に誰がした」と嘆く女性たちが大勢いたような、そんな時代だったのである。

そんな中、アジア最強の軍事国家としてのプライドを捨て、アメリカの属国となって犬のように従っていれば少なくとも国民はメシを食えた。つまり、日本人魂を捨てれば国民は飢えなくても済んだ。

爆弾が飛んで来なくて、毎日きちんとメシが食える。それまで国民は「欲しがりません、勝つまでは」と我慢に我慢を重ね、爆撃で家も財産もすべて失って極限のサバイバルを強いられていた。

メシが食えて安心して眠れるというのは、どれだけ幸せなことだったのか誰もが理解できるはずだ。

最初は「いずれ見返してやる」という臥薪嘗胆の感情はあったかもしれない。しかし、1954年から始まった高度成長期によって国民は「もうこれでいいのではないか」と思うようになった。

「アメリカの犬でいた方が幸せではないか」「日本人魂なんかいらないではないか」と日本人は思うようになった。それが1960年代以後の若者の意識となった。そして、日本人は、日本人魂を失ったのである。

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児玉誉士夫という国士は、いまや誰も顧みるものがない

魂を失わなかった巨魁《きょかい》がいる。それは児玉誉士夫である。

児玉誉士夫は赤尾敏の「建国会」から右翼活動に身を投じて、戦中は軍と密接な関係を保ちながら満州で海軍航空本部に納入するための鉱物を売って巨万の富を納めるようになっていく。

戦後、児玉誉士夫はA級戦犯の疑いで占領軍に逮捕されて巣鴨プリズンに送られることになったのだが、共産主義と戦うアメリカのために協力することを密約に保釈されることになる。

右翼の児玉誉士夫もまた反共の立場であり、日本を共産主義国家にしないという点に関してはアメリカとは完全に思惑が一致していた。以後、日本の右翼が激しく反共姿勢に向かっていくのは児玉誉士夫の存在が大きい。

1945年、日本の右派は敗戦と共に散り散りばらばらになってしまった。それを見て、共産主義者は大きく勢力を伸ばすようになっていき、全国のあらゆる職場や学校に共産党の支部が作られて大衆を味方に付けていた。

教育の現場にも左翼・共産主義者を信奉する学者や教師が次々と共産主義思想を子供たちに教えるようになる。GHQが結成した「日教組」がその牙城となっていき、右派思想を持つ教師は教育の現場から追放《パージ》されるようになっていった。

こうした中、児玉誉士夫は右派の立て直しのために奔走するのだが、表社会からどんどん右派がパージされ、軍部の再構築も許されない。そんな中で、児玉誉士夫が頼りにするようになったのが伝統を重んじる任侠右翼であった。

児玉誉士夫はアメリカと協力しながらも、常にアメリカとは同床異夢でもあった。なぜなら、児玉誉士夫の本当の目的は日本の「真の独立」「自主防衛」「米軍基地全廃」であったからだ。

しかし、その児玉誉士夫の動きを見透かしたように、最後にアメリカは田中角栄と共に児玉誉士夫を葬った。右翼・保守派を敵とするようになったマスコミも、右翼の巨魁を徹底的に叩きのめしていった。

児玉誉士夫は失墜した。そして、日本が共産主義国家になるのを防いだ児玉誉士夫という国士は、いまや誰も顧みるものがない。

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日本人は本当の意味で日本を愛していた人を見捨てた

日本人の魂を取り戻そうとした児玉誉士夫は、戦後の日本にとっては最も重要な人物であるにも関わらず、右派・保守の誰もが児玉誉士夫を振り返らない。日本人は魂を失っていた……。

児玉誉士夫が社会から抹殺された後、もはや右翼は拠り所をうしなって力を失い、魂よりも繁栄を求めていた当時の国民にも見捨てられてしまった。しかし、1980年代に入ってから急激に台頭する1人の右翼がいた。

それが、野村秋介《のむら・しゅうすけ》という人物だった。

野村秋介は横浜の愚連隊の一味だったが、獄中で右翼の思想に惹かれていき、以後は反権力の右翼として活動を始めることになる。この野村秋介もまた日本人が高度成長期の時代に入って、物質的な豊かさに浸りきって腑抜けになってしまっていることを激しく糾弾する人物だった。

「魂なき繁栄」と野村秋介は日本の高度成長と物質的豊かさを語った。日本人がいつまでも「真の独立」「自主防衛」「米軍基地全廃」を成し遂げずに魂なき繁栄に浸っていると、日本の将来はないと断言していた。

ある対談で野村秋介はこのようなことを述べている。

『結局この魂なき繁栄が行き着く先は、簡単なんだよ。古代ローマの繁栄と現代日本の繁栄が辿っている道は、まったく同じなんだ。古代ローマが滅んだ最大の原因は、自ら国を守らず傭兵制度を執って、ゲルマンに金を渡して守ってもらおうとしたことです。日本にもいま、何かあればアメリカに助けてもらおう、一方的にアメリカに守ってもらおうという日米安全保障条約がある』

『さらば群青 回想は逆光の中にあり』より

日本人は1945年に魂を売って、それを取り戻すことはなかった。そして、1990年。バブルが崩壊して30年を過ぎ、日本は繁栄も失った。これは、どういうことなのかというと、

魂も失った。
繁栄も失った。

ということを意味している。児玉誉士夫も野村秋介も闘ったが、日本人は淡い繁栄にしがみついて「国」を忘れ、繁栄が消えた現在になってやっと「なぜ、こんなことになっているのだろうか?」と呆然とするようになっている。

なぜ、こんなことになったのか。それは、日本人が魂を取り戻そうとしなかったからに尽きる。それは、児玉誉士夫や野村秋介が必死で取り返そうとしていたものだったが、日本人は本当の意味で日本を愛していた人を見捨てた。

だから、今のような惨状になっている。そういうことだ。

『激しき雪 最後の国士・野村秋介(山平 重樹)』

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