産み落とし事件は増えていくのだろうか。それとも、少子化の加速の方が早くて事件数自体は減っていくのだろうか。いずれにしても、女性の貧困と産み捨ては密接な関連性がある。だから、貧困と格差が広がる日本で「産み捨て」の事件は注目した方がいい。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)
望まない妊娠と貧困が重なって赤ん坊を産み捨てる
相変わらず「生み捨て事件」が起きている。コロナ禍で女性が経済的に追い込まれている2020年7月30日、JR大船駅の商業施設のコインロッカーに赤ん坊の遺体が遺棄される事件があったが、約1年後の2021年6月に逮捕されたのは37歳の「無職」の女性だった。
「コインロッカーか……」と私は思う。自著『ボトム・オブ・ジャパン』にも、歌舞伎町のコインロッカーに赤ん坊を捨てる事件を描いたが、経済的に追い込まれた母親がコインロッカーに赤ん坊を捨てるというのは、とてもよくあることなのだ。
そして母親は大抵「無職」だったり、無職に近いほど経済困窮している女性である。
コロナ禍が収束しないまま12月を迎えた頃、東京都品川区のマンションに乳児の遺体が放置される事件が起きたが、逮捕されたのは26歳の「無職」の女性だった。
2021年5月に神奈川県横浜市保土ヶ谷区の空き家の庭に乳児の遺体が埋められているのが発覚したが、逮捕されたのは22歳の「ほぼ無職」の女性だった。
そして同じく5月、鹿児島市で自宅に出産したばかりの赤ん坊の遺体が放置されているのが発見されているのだが、逮捕されたのは「無職」の24歳の女性だった。
それぞれの女性にそれぞれの事情があっただろう。望まない妊娠があったはずだし、さらに貧困が重なっていることも多い。両方は切り離されるものではなく、セットになっているケースが大半だ。
生活苦に陥っているのに望まない妊娠をしてしまう。どうしようかと決断できないうちに6ヶ月が過ぎて中絶も不可能になる。そして、そのまま成り行きで出産し、どうしようもなくなって産み捨てる。
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子供の産み捨て事件には、「父親」の存在が常に希薄だ
産み育てることができない環境にあるのに、妊娠してしまう。そして手をこまねいているうちに手遅れになる。
子供の産み捨ての場合、大抵は母親がそれをするので母親が責めを負うことになる。しかし、子供は女性ひとりで作れるものではない。一方で必ず彼女を妊娠させた男が裏にいる。
子供の産み捨て事件には、「父親」の存在が常に希薄だ。それもそうだ。よくよく考えれば父親が責任を持たないから、母親は苦渋の決断を迫られているのである。
女性を妊娠させて男性が責任を取らないと、女性は妊娠中から貧困に落ちる危険が高まる。妊娠中の女性は働けないし、子供が産まれるとなおさら働けない。
もし男性のサポートや実家のサポートや行政のサポートがないと母子ともども飢え死にしてしまうことになっても不思議ではない。望まない妊娠と産み捨てが貧困とセットになっているのは、まさに「働けない」からでもある。
私はここ数年、多くの風俗嬢と会っていたのだが、その中には臨月にも関わらず働いていた女性もいた。なんと日本には「妊婦風俗嬢」までいたのだ。さらに彼女たちが子供を産むと、今度は「母乳風俗嬢」として働く。
妊娠した母体や母乳までも売りにして生きる女性がいるのは、経済的に余裕のない中で妊娠し、男性のサポートがなく、「ひとりで何とか生き残らなければならない」からだ。そのような状態に陥った女性は確かにいた。
人工妊娠中絶の件数も年間で約17万件近くもあることを考えると、女性を妊娠させる無計画な性行為や無責任な性行為をする男性が社会の裏側で少なくないことを意味している。
アンダーグラウンドに生きていた私が言うのも何だが、一部の男の無責任が女性を追い込んでいる事実は、日本人はもっと深く考えるべきだ。
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自分が生んだ赤ん坊の処置に困ってこっそりとどこかに捨てる
ところで、貧困と子供の産み捨てについては、現代の日本と同時に「かつての日本」にも触れておきたい。
日本の社会で、「産み捨て」がピークに達していたのは1945年の戦後の混乱期である。この当時、日本の国土は敗戦と空襲で主要都市のすべてが灰燼と化していた。
社会は荒廃し女性たちは子供を育てるような環境ではなく、自分が生き延びられるかどうかが問われるような時代でもあったのだ。そのため、社会の裏側で「産み捨て」の事件が多発していた。
しかし、戦後の混乱が収束し、やがて復興に向けて動き始めるようになってから、この「産み捨て」事件も潮を引いたように減少していくことになる。貧困が解消すると、産み捨ても解消する。分かりやすい構図だ。
しかし、日本が高度成長期に入って「一億総中流」と言われるようになった1970年に入っても、赤ん坊の産み捨ての事件は決してゼロにはならなかった。
いつの時代でも、社会のどん底に堕ちて生活に困っている女性はいるし、そうした女性は闇の中で自分が生んだ赤ん坊の処置に困ってこっそりとどこかに捨てるからだ。
「一億総中流」が叫ばれていた1970年代、ある「産み捨て」の方法がいくつも発生したことはアンダーグラウンドの歴史にはしっかり刻まれている。
この時代、赤ん坊を産み捨てる母親の一部はどこに捨てたのか。それが「コインロッカー」だったのだ。
「コインロッカー・ベイビー」の最初の事件は上野駅で起きていたが、その事件は、やはり貧困の中で夫に捨てられた貧しい女性の犯行だった。
彼女は、夫に捨てられた後に妊娠に気がついたが、中絶するお金すらなく臨月を迎えて、住み込みの部屋で子供を出産した。住み込みの場所は上野の飯場《はんば》である。上野で飯場の集まる場所と言えば、もちろん山谷《さんや》だ。
当時、日本最大だったドヤ街に住み込んでいたというのだから、彼女の苦境の背景も理解できるはずだ。
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コインロッカーに赤ん坊を棄てるという事件が継承される
山谷は貧しい貧困層が唯一泊まれる賃金の安いドヤが密集しており、同じ境遇の人々が肩を寄せ合って生きている場所だった。
彼女は飯場で赤ん坊を産んだ。しかし赤ん坊を育てる自信がなく、そのまま首を締めて窒息死させた。そしてダンボールに赤ん坊の遺体を詰めて、それを上野駅構内のコインロッカーに棄てたのだった。
当時のコインロッカーはハイテクでモダンな装置であると思われていたのだが、いかにも都会的な収納ボックスと、彼女の極貧の生活状況とはなかなか結びつかない。
だから、極貧の女性の犯行であったということは忘れ去られ、やがて彼女の事件そのものよりも、コインロッカーに赤ん坊を棄てるという「テクニック」だけが人口に膾炙した。その後、類似事件が続出した。
やがて、コインロッカーがハイセンスでも何でもなく、ありふれた機械になっていくと、コインロッカー・ベイビーの事件も減っていった。日本はさらに豊かになり、やがてバブルを迎え、日本の女性たちは貧困とは無縁の存在になったかに見えた。
しかし、1990年にバブルが崩壊すると、再び日本女性にも貧困が忍び寄るようになっていった。今では独身女性の貧困も珍しくなくなっている。そして、そこにコロナ禍が襲いかかってきている。
再び産み落とし事件は増えていくのだろうか。それとも、少子化の加速の方が早くて事件数自体は減っていくのだろうか。
いずれにしても、女性の貧困と産み捨ては密接な関連性がある。だから、貧困と格差が広がる日本で「産み捨て」の事件は注目した方がいい。それは社会の底辺のバロメーターでもあるからだ。
コロナ禍は日本の女性を追い込んでおり、心を病んでしまう女性も増えているし、女性の自殺も増えている。どん底《ボトム》の世界は女性の環境悪化と共に荒れ果てていこうとしている。