誰も認識していないが、現代社会はサイコパスのような残忍な人間が求められている

誰も認識していないが、現代社会はサイコパスのような残忍な人間が求められている

いまや、傷ついた人や弱い人は「存在価値はない」と笑われるだけとなった。強者が「あんたらは弱者だよね」と指さして公然とマウントを取ってあざ笑うのだ。弱肉強食化していく社会の中では、その中で活き活きと弱者を攻撃できるサイコパスのような人格に需要が生まれる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

見下された人は這い上がろうと思っても這い上がれずに涙を飲む

コロナ禍はワクチン接種によって収束すると思われていたが、デルタ株の登場で早期の収束が危うくなった。すでに私たちは2年近くも自粛を強要されているのだが、こうした状況が続けば続くほど経済が干上がってしまう。

日本が壮絶な倒産件数の悪化や失業者の増大に見舞われていないのは、単に政府が企業や人に様々な支援を行っているからである。

倒産件数は歴史的な低水準になっている。それは政府が借入金の返済条件の緩和対応、各種補助金・支援金などの支援策を行って「休眠状態の企業」をも支えているからだ。決して、うまくいっているわけではないのだ。

倒産抑制の水面下でひずみは強まりつつあるので、いずれは倒産件数も跳ね上がっていくのは間違いない。そうでなくても、非正規雇用者は厳しい現実に追い込まれているわけで、そうした情勢がより悪化する。

社会や人々は余裕を失い、自分のことで精一杯となり、今後はより強烈かつ過酷な「弱肉強食の社会」がエスカレートする。蹴落とされる人も増えれば競争に敗れる人たちも増えるのだが、大半が蹴落とされる側となるのが世の常だ。

弱肉強食の世界がやってきているのだ。勝ち上がっていく人は資本を総取りして「ホームレスの命はどうでもいい」と言って飼っている猫でも撫でながら世間を見下す。そして、見下された人は這い上がろうと思っても這い上がれずに涙を飲む。

コロナによって経済環境は著しく悪化し、人々は生き残りのために激しい競争にさらされる。もともと資本主義に馴染まない人たちはいるのだが、彼らは欠陥扱いされてどん底《ボトム》に蹴落とされる。

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社会から見捨てられて、どん底《ボトム》に転がり落ちていく

弱肉強食の社会とは「自分が生き残るために手段を選ばない社会」である。これが突き進んでいくと、自分が生き残るために弱者を見捨てたり切り捨てたりする「能力」が求められるようになる。

うかうかしていれば自分が蹴落とされる社会である。そんな社会で何とか生き残るためには「他人は信用できない。蹴落とされるなら蹴落としてやる」と考えるようになる。誰に対しても攻撃的になり、マウントを取るようになる。

世の中には競争を好む人もいるのだが、そうでない人も膨大に存在する。そのため、このような社会のあり方に馴染めない人々は犠牲者になる。

犠牲者になるというのはどういうことか。弱肉強食の社会で犠牲になるというのは、要するに失敗したら嘲笑われて蹴落とされるということなのである。

寛容な社会では、競争に長けていない人であっても仲間と助け合ったり、互いに手を差し伸べながら生き残れる。しかし、厳しい社会がやってくると、競争が苦手な人は押しのけられるようになる。

競争社会に馴染めないのに競争させられ、しかもそこから降りることができない。精神的にキツい状態だ。この傾向は今後さらに先鋭的になっていき、温厚な人々の精神を確実に蝕んで荒廃させていく。

そして、荒廃していく社会の中で、限界に達した人から心を病むようになっていく。

この30年、日本の社会は政治の無策によってバブル崩壊による社会の環境悪化がじわじわと続いていたのだが、こうしたこともあって自己責任論や弱者切り捨て志向が広がっていき、うつ病患者は100万人をとっくに超えている。

風邪や病気で身体が壊れるように、心や感情が壊れて起き上がれなくなるほど重度の病気になる人が日本だけでも100万人もいるのだ。コロナ禍は荒廃した競争社会を激化させるので、やがて人々の心をも破壊していくだろう。

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激甚化していく競争社会の中で発生するのが「いじめ」だ

実際にうつ病になってしまった100万人だけではない。このストレス社会の中で押しつぶされるように「壊れかけ」の状態になっている「うつ病予備軍」はその10倍はいると精神科の医師は述べる。

100万人の10倍と言えば1000万人である。この1000万人はいつでも予備軍から本格的な病気になる可能性がある。これは、危機的なことでもある。

そして、激甚化していく競争社会の中で発生するのが「いじめ」だ。社会が不安定化すると、人々は刺々しくなり、ストレスを抱え、自分が堕ちないように「代わりの誰か」を突き落とそうとするようになる。

自分を守るために犠牲者を誰にするのかを集団が無意識に選び、そして、最も弱い者をみんなで攻撃することになる。これは、動物が持つ本能と言っても過言ではない。そのため、弱者は徹底的にいじめられる。誰もが自分が生き残るためにそうする。

1. 「集団の中で最も弱い人間」を選ぶ。
2. 弱者は無用であると集団の空気で決定する。
3. 攻撃を弱者に向け、自分に向かないようにする。

抑圧された集団では、こうした残酷な集団心理が必ず発生するのだが、実は攻撃される側だけでなく、攻撃する側もストレスになっていく。

自分が弱者になってしまえば、一転して自分が激しい攻撃にさらされることになるからである。自分の番にならないためには、常に自分よりも弱い人間を探し出して攻撃しておかなければならない。

この社会構造の残酷なところは、「もうそこから降りたい」と思っても降りられないことだ。社会のシステムの中に弱肉強食の資本主義が組み込まれているので、死ぬまで誰かを攻撃し、戦い続けなければならないのである。

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荒んだ環境でも生き残れる「サイコパス」が望まれている

自分が犠牲にならないために死ぬまで「弱肉強食でのサバイバル」を余儀なくされる現代人は、間違いなく誰もが神経をすり減らし、精神的にボロボロになっていく。

生まれつき神経がタフで、残酷な競争社会になって「いじめ」が横行する世界になっても、まったく動じない人もいる。動じないどころか、他人を攻撃して潰すことに快楽すら得る人もいる。

逆に、こうした社会のあり方に心が傷つく人もいる。しかし、もう傷ついた人は「存在価値はない」と笑われるだけなのである。強者が「あんたらは弱者だよね」と指さして公然とマウントを取ってあざ笑うのだ。

弱肉強食化していく社会の中では、その中で活き活きと弱者を攻撃できるサイコパスのような人格に需要が生まれる。

社会はこれからさらに残酷に、そして過激になっていくので、弱者にマウントを取れるサイコパスは相応しいと社会は認識するようになっているのだ。誰も認識していないが、現代社会はサイコパスのような残忍な人間が求められているのである。

時代は荒廃していく一方なのに、優しい性格でいたら損するばかりだ。そのため、現代社会はこれから「もっと残忍になって弱者をいじめられるようになれ」と私たちにそれを押し付けてくるようになる。

今の社会は、荒んだ環境でも生き残れる「サイコパス」が望まれている。

そのような人間を作るために、相手を言い負かしたり、マウントを取ったり、攻撃したり、嘲笑したりするような「残酷さ」が強調されるようになり、必須となり、それが賞賛される。

社会をあざ笑い、弱者を見下す能力を身につけた人は、自分がいかに精神的に鈍感かを世間にアピールするようになる。

そんな社会は、果たして正常なのだろうか? もちろん、それは正常ではない。私はそんな社会が嫌いだ。しかし、コロナによってどん底《ボトム》が広がっていく中、時代は明らかにその方向に暴走しているということには注意すべきだ。

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